平成文学史論序説

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中沢忠之 @sz6

そういう意味では、文化的な多様性の諦観を描いたとも言える受賞作もそう違いはないように思いますが。同じディストピアを描く村田沙耶香氏は、しばしば性の多様性を描いて称賛されるけど、人の生死のジャッジが政治的・倫理的な形で介入する点に特筆すべきところがあり(柴崎さんもそうですね)、

2019-03-23 14:37:33
中沢忠之 @sz6

手前味噌ですが村田論はそこに注目しました。311の震災小説も「誰が事件を代表=表象できるのか」という政治的側面を色濃く持っている。現実と虚構、ドキュメンタリーとフィクション。『美しい顔』は色んな意味でその問題を露見させたところはあるでしょう。この辺は『文学+』で詰めたい。

2019-03-23 14:37:33
中沢忠之 @sz6

書誌のために石川忠司氏『現代小説のレッスン』(05)を読み返してたら、「純文学のエンタメ化」(マーケットを意識しつつ距離をとる)を考察していて、バリバリ純粋小説論(横光)してることに気づいた。純文学がエンタメなりマーケットを意識してたのはこのあたりまでですね。

2019-03-27 13:41:19
中沢忠之 @sz6

次にケータイ小説ブーム(07~08)が来るけど、まともに取り組むべき相手として認知してない。前世紀末のJ文学から新生『早稲田文学』『WB』まで文学はマーケットを強烈に意識していて、文学フリマもそういう文脈(純文学論争)から出てますし、逆に今思えば不思議と思う人も多いでしょう。

2019-03-27 13:41:19
中沢忠之 @sz6

純文学がマーケットを意識するのは定期的なサイクルなのだが、要はこの時期、倫理的な問いと美学的な問いが複雑に絡み合っている(批評と研究が混線してたのもこの時期まで)。ラノベのファウスト系がジャンルを越えて受けたのも、オタクの趣味に倫理的哲学的な問いを重ねて読まれたことが大きいでしょう

2019-03-27 13:41:20
中沢忠之 @sz6

教科書的な説明をすれば、批評では、この後はロスジェネ的なもの(倫理・実存)と美学的なもの(安藤氏や佐々木氏)とが分岐していくということになる。ただ、批評がパージされた純文学全般は、一部をのぞいて、実は「純文学のエンタメ化」が成功したんだと思う、というか成功したということにした。

2019-03-27 13:41:20
中沢忠之 @sz6

「なんとなく面白くてなんとなく考えさせられる」という形で。かつて石川氏が「純文学のエンタメ化」を提示した時は難解派やジャンク派(J文学)など文学の外延がリミットまで拡張していて、「純文学のエンタメ化」はその整理の意味でもあった(そういう意味でも「文芸復興」で文学を整理した横光と酷似)

2019-03-27 13:41:20
中沢忠之 @sz6

これらを考えると、今の文芸誌や芥川賞が代表する文学は雑多なものを削除し純化された状況ということがわかる。資本の包摂後に文学を輪郭付ける外部を問題にするなど反動でしかないかもしれぬが、そろそろ文学とは何かという糞真面目な問いが改めて問われても悪くないかもしれない(まあ必ず失敗するが)

2019-03-27 13:42:52
中沢忠之 @sz6

前世紀までは認識論的アンチノミーに対していかに振る舞うか(美学的に?倫理的に?)が議論の中心で(柄谷氏の他者論加藤氏のねじれ論スガ氏のジャンク論など)、今世紀からは美学と倫理(欲望と正義)をどうすり合わせるかに重点が移動してると思うのだけど(ポリコレ批判にせよ左右ポピュリズムにせよ)、

2019-04-27 21:22:00
中沢忠之 @sz6

文芸批評にどう活かせばよいのかまだ整理できない。文学全般は倫理的に硬直しているように思うけど(ただSFは日本SF大賞とか見ていてエンタメから倫理的なものを捉える動きを感じる)、最近の文芸批評は面白い動きがあるように感じる。

2019-04-27 21:22:01
中沢忠之 @sz6

倉数氏が純粋小説論的な(?)問いを立てておられる。注目。今日の文学に「衰弱」なり「不満」を述べる言説が出てきており(ある意味純文学の通常運転だけど)、主題の不足を唱える矢野利裕氏がいて、「新潮」今号では福嶋亮大氏が叙述(形式)の観点から論じている。このあたりの議論は可視化しておきたい。 twitter.com/kurageru/statu…

2019-05-16 09:57:57
倉数茂 「再魔術化するテクスト ──カルトとスピリチュアルの時代の文化批評」文学+WEB版で連載中 @kurageru

ここ十年の純文学は、中産階級の都市生活者の目に見えない生きづらさや葛藤をシュールレアルな日常として描く技術を高度に発達させてきた。例えば村田沙耶香、藤野香織、谷崎由依など。背景に単なるリアリズムでは逆にリアリティは描けないという感覚があった。だがその代わり

2019-05-16 08:27:26
中沢忠之 @sz6

最近の芥川賞を見てもロスジェネ世代は文壇の枢要を占めるようになったと思うのだが、良くも悪くもロスジェネ的な怨嗟が削られ、上品になったなと思う。ロスジェネ的な怨嗟というか暴力性を最も時代にマッチする形で表出できたのはかつてのファウスト系で、福嶋氏がそれを再考したくなる気持ちは分かる

2019-06-01 13:08:49
中沢忠之 @sz6

ファウスト系は現代の無頼派と以前書いたと思いますが、無頼派も出自は30年代の青年の怨嗟でした。30年代は経済的に不況、文化的には祭の後とされた時代で、ゼロ年代に通じる。右傾エンタメを見るなら(勝手に売れててくれくらいにしか思わないが)、ロスジェネ世代の再検討こそ必要なのかなと思うなど

2019-06-01 13:08:50
中沢忠之 @sz6

文学史における無頼派評価問題は重要で、例えば加藤典洋が『敗戦後論』で無頼派に注目し、戦後レジーム(戦後派以降)を立ち上げるために、戦後の汚れ・ヤバイものを全て無頼派に押し付けて見ないことにしたという説を披露していて、ここは本書の一番好きなところですね。

2019-06-01 17:01:11
中沢忠之 @sz6

出自は全く違うとはいえ、ファウスト系も文学史から浮いているというか位置付けづらい。

2019-06-01 17:01:12
中沢忠之 @sz6

ゼロ年代半ばから保坂氏に近い立場の作家が一つの達成を示していく。一方、諏訪哲史や川上未映子など技巧的な作家がリーダブルな文脈で登場。ゼロ年代前半は、J文学の余波で等身大的なリアリズムや素人性みたいなのが(逆説的に)評価されたり、ラノベ/ファウスト系に圧されて危機意識が提唱されていた twitter.com/kurageru/statu…

2019-06-03 11:07:22
倉数茂 「再魔術化するテクスト ──カルトとスピリチュアルの時代の文化批評」文学+WEB版で連載中 @kurageru

@sz6さんから勧められた矢野利裕「新感覚系とプロレタリア文学の現在」(すばる2017・2)を読んだ。現在を戦前の「三派鼎立」に重ねるという見立てがどれだけ効果的だったのかは疑問だが、2005年から純文学に密やかだが確かな変化が訪れたという認識には共感した。

2019-06-03 08:32:46
中沢忠之 @sz6

その一端が純文学論争に結実するわけですが、ゼロ年代半ばから良くも悪くも勢いが出るんですよね。芥川賞のプチ改革(川上+小川など若手選考委員の参入)があったり。そこに批評家不要説が出てくる。ただ、最近ゼロ年代前半を検証してるのですが、

2019-06-03 11:07:22
中沢忠之 @sz6

批評空間やカルスタの歴史研究の文脈もあって、戦後(歴史)の検証が全体小説みたいな形で問われていて、例えば『彗星の住人』(無限カノン三部作)『シンセミア』(神町サーガ)『海辺のカフカ』『日本文学盛衰史』『静かな大地』『取り替え子』などの共演が豪華に文学史を彩っているのを確認できました。

2019-06-03 11:07:23
中沢忠之 @sz6

阿部和重論は色々あるのだけど、一番痛快なのは短いながら中島一夫氏の『グランド・フィナーレ』論で、これはオススメします。『収容所文学論』に入ってます。論点は、このロリコン小説はPC批判として読みなさいと。

2019-06-21 10:34:53
中沢忠之 @sz6

『シンセミア』は、パンの田宮家を天皇家として読むとか、どちらかというと田宮家を主線に読まれがちですが(田宮家=皇室はあからさますぎてフェイクだと思う)、やはり隈元=中山の線で読まれるべきでしょう。

2019-06-21 10:34:54
中沢忠之 @sz6

すっかりPCだらけの純文学にはこの線の再考が大事で、村田沙耶香氏はポスト阿部氏(=谷崎)の流れを掬いとってる。PC批判は単にグロテスクなものを描写すればよいというものではなく(大抵はPC的な文化の多様性にしか貢献しない)、ナレーションも享楽的な発露を見せないといけないので、なかなかしんどい

2019-06-21 10:34:54