2019年3月24日

平成文学史論序説

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中沢忠之 @sz6

平成は30年で終わる。意外に長いんだ。僕が大学入ったのが30年前。すでに三島は古典だった。自死して、今思えばわずか20年のこと。というか1990年は戦後45年にすぎない。昭和文学史は豊かで、平成は何もない? 繰り返すと平成は30年。あの頃はネットも携帯もなかったな(笑)

2018-12-15 00:48:51
中沢忠之 @sz6

磯崎さんのこの時評はやや我田引水があると思う。確かに、週末医療の切り捨てと読めるところはオーバトークですが、プロットが好きだからという部分のみ切り取って身体性がないというのは敵認定しすぎです。朝吹さんの『timeless』が好きって言ってるじゃないですか。 twitter.com/BARANEKO0409/s…

2018-12-31 21:18:22
中沢忠之 @sz6

それから、文芸誌体制から逸脱せずに、そのキャリアで規定路線の大学教員にまでなった作家に身体性とか言われてもまるで僕には説得力ない。磯崎さんが批判する若い二人の方が、ジャンルの庇護なく試行錯誤してますよ。

2018-12-31 21:46:45
中沢忠之 @sz6

文学史をやっていて感じるのは、平成(今世紀でよいのだが)に入る前から文芸誌体制が批判されながら、最近はより強化純化されているところですね。昭和の頃は、文芸誌に書いている作家・批評家も同人誌に絡んでいたりして同人誌の中間共同体が形成されていた。

2019-01-01 21:42:09
中沢忠之 @sz6

20年前のウェブ環境が整備されて文学フリマが出来たりした頃はまたこういう場所が多層的に造成されるのではという淡い期待があったけれど、現状は同人誌文化と文芸誌体制の二極化で、その中間がスカスカという印象です(批評はハードコアなものが同人誌に、書評的なものが文芸誌にという棲み分けかな)。

2019-01-01 21:43:02
中沢忠之 @sz6

文芸誌の外で文学の場所を独自に確保することをやり続けているのは村上春樹・吉本ばなな両氏で、同じく昭和の残り香を知っている島田さんも若い頃は瞠目新聞(92)とか文芸誌を利用して作家個人が色んなジャンルの中で文学の場所を確保するという試みをしていたと思います。

2019-01-01 21:43:22
中沢忠之 @sz6

昨日磯崎さんの批判をしてしまったのは、特定のジャンルの支えなく場所(個人的な居場所も含め)のデザインをしている若手を、「文学は身体性が大事」という特定ジャンルの主張のための根拠にしているように見えたから。

2019-01-01 21:43:41
中沢忠之 @sz6

文芸誌については、僕はかつての大塚さんのように(笑)批判的ではなく、赤字でも存続していてほしいと思いますが、文芸誌出の若い作家たちはもっと仕掛けた方が面白いのにと思いもします。 と、新年にやや保守的(?)なことを考えました。

2019-01-01 21:44:34
中沢忠之 @sz6

暇なので新年の文芸誌体制の話を続けると、純文学は、ストーリー(プロット)やキャラクターに依存しないジャンルということもあり(ナレーションに特化しやすい)、自分のジャンルや作品がどこに価値があるかを語らなければいけない文学ジャンルです。すると必然的にパラテクストが豊富にならざるをえない

2019-01-03 13:37:10
中沢忠之 @sz6

磯崎さんが最近時評で身体性が大事だみたいなことをおっしゃっているのは意義深いと思いますし(価値観は違いますが)、平成の初め頃に出た作家まではそういう緊張感があったように記憶してます。黙説法を駆使するとされる村上春樹氏も実際はパラテクストの非常に豊富な作家です。

2019-01-03 13:37:52
中沢忠之 @sz6

確かに文学が無条件に教養として読まれえたり、批評家との論争や文学史が機能していた時代はあったけれど、そのような支えの崩壊は昭和の終わりに明かになり、若い作家は独自にパラテクストを増やしたはず。高橋島田春樹ばなななどから阿部まで。

2019-01-03 13:38:51
中沢忠之 @sz6

それがいまやウェブを中心にテクスト外の活動がよりしやすくなっているのに、ギリ存在している文芸誌に作品が出る(そして文学賞をとる)ことで完結しているのだとすれば、自分の作品とジャンルはすでに流通している文学的なものに従っただけということになりはしないかと。

2019-01-03 13:39:12
中沢忠之 @sz6

もちろん私はテクストは二の次と言いたいのではないし、テクストにパラテクスト的な言説を折り畳んでいるんだそこを読めよという作家もいらっしゃるだろうことは存じています。このような文学史の見取り図からものをいうのは老害でしかない可能性も高い。

2019-01-03 13:39:43
中沢忠之 @sz6

ただ、歴史的にみてパラテクストが面白い作家ほどテクストも面白いはずなのにという頑固な思いも捨てきれない。この辺は吉本論でも言及したので是非。仕事が休みだと無駄話が増えますね。

2019-01-03 13:40:13
中沢忠之 @sz6

古市さん批判をして今ホットな磯崎憲一郎さん時評については、『大失敗』の佐藤青さんが詳細に分析されていましたが、私は文学の方から少し。

2019-01-05 22:00:30
中沢忠之 @sz6

磯崎さんの僕が物足りないと感じるところは、彼がストーリー(プロット)を趣味的なもの、文体(ストーリーに還元されぬ何か)を倫理的なものとする二分法を前提にしているところなんです。近代文学は趣味と倫理を同時に担うジャンルとして形成されたわけですが、

2019-01-05 22:00:52
中沢忠之 @sz6

その分裂は、大衆文学が台頭した大正・谷崎芥川の筋論争からつねに問題化されていました。その分裂を決定的に明示化したのが、「文学もしょせんマーケットの商品にすぎない(資本の包摂)ので近代文学は終わった」とする柄谷宣言(笑)でしょう。

2019-01-05 22:01:11
中沢忠之 @sz6

一方、純文学の多くは商品にすらなれないということで、倫理に居場所を求めたわけです。ゼロ年代の大塚さんと笙野さんの純文学論争は、批評の大塚さんが倫理急進主義で、笙野さんは多様性の確保という趣味の問題を倫理的に確保するという屈折した場所で戦っていたように思います。

2019-01-05 22:01:30
中沢忠之 @sz6

村上春樹と吉本ばななの僕が好きなところは、資本の包摂の後で、ストーリーに文学の可能性をとりながら、そこから倫理的なものを考察し続けているところです。その結果、全体主義とかスピリチュアルとか批判されたりもしますが、趣味か倫理かの単なる二分法で考えていないことだけは確かです。

2019-01-05 22:01:44
中沢忠之 @sz6

これらは、横光の純粋小説論の射程(純文学とエンタメの総合)でもありますね。それで純粋小説論的な問題は、春樹ばななのみならず、島田高橋奥泉から阿部まで、つまるところ昭和の終わり・平成の初めに作家を始めた人はけっこう考えていた。

2019-01-05 22:01:59
中沢忠之 @sz6

プロット=抽象的だから文学から排除するなんて発想がまかり通るのは、平成文学(とあえて言えば)の問題だと思います。そしてこれは良くも悪くも保坂的なものの問題だと思っています。

2019-01-05 22:02:05
中沢忠之 @sz6

僕は文学でこの件は考えてます。三島以降は中上もいたし、早い段階で新保守的な身ぶりを呈した村上龍、それに島田雅彦や高橋源一郎も元は「左翼」に収まらないいかがわしさを持っていました。これも平成以降の問題かもだけど、すべての作家がリベラル優等生になっていった。エンタメとかマーケットとか twitter.com/sssugita/statu…

2019-01-27 13:13:54
中沢忠之 @sz6

純文学不要説とか考えなくてよい環境ができてしまったことが一要因かもしれない。身体性とか多様性とか言ってミクロポリティカルなことへの追及はあっても、大きな政治には無関心で(文学を再編しようという発想すら見受けられません)、いざ発言してもリベラルの紋切り型しか出てこない。

2019-01-27 13:14:09
中沢忠之 @sz6

僕も杉田さんの言われるように震災後のゆらぎは、自分が躁状態だったこともあってなんか期待してましたね(ただ震災後文学があるとすれば僕は結構充実してると考える派です)。検証なし+概念適当だけど、震災から阿倍政権・ヘイトの流れが結果的によりポリコレというかリベラルというか

2019-01-28 23:56:04
中沢忠之 @sz6

そういうような(カルスタ以降の)文化環境を強化した印象を持ってます。ただし、そう言うことでバブルやニューアカのころが良かったという話ではないです。とはいえ80年代の芥川賞をみると、春樹源一郎島田ばなながのきなみ拒否られている時代って笑よく考えるととてつもない地殻変動があったのだろうし

2019-01-28 23:56:59
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