- JunNakagawaWork
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私のセミナーに出席した若いSEが次のアンケート文を綴った──「(講師の嗜好 [ 選り好み ] で)言いたい放題を言っている」と。
2019-01-20 23:42:14しかし、「客観」と称して尺度に従って語る事などは簡単です、自分自身が実践して掴んだ真(論理的・事実的な真)を生々しく語る事はそう簡単な事じゃない。私は私自身の嗜好を無視する事も論理の公共性に違反する事もできない──思考とは論理の形式をとった独白の他ない。
2019-01-20 23:42:41そして、その独白は面白くなければ他人(ひと)を惹きつける事ができない。その面白さとは、視点や文体が醸す──同じ材料(あるいは、主題)を扱っていても、面白い文もあれば退屈な文もある。こんな事は、今更ながら私がどうこう言わないでも、誰もが実感している当たり前の事ではないか。
2019-01-20 23:43:10「客観」という語は「主観」に対比して使われる語なのですが、「客観性」という性質は論理の中にしか実現できない(構成できない)属性でしょう──視点は常に主観に属するのだから。
2019-01-20 23:43:41勿論、文学では、空想の面白さもあれば、現実 [ モデル小説(現実を材料にした作り話)] の面白さもある。日々の仕事が面白いのであれば、面白くない文学をわざわざ読む人もいないでしょう。
2019-01-20 23:44:12こんな事は当たり前の事ではないか、作品の技術を云々して小説を読むような読者は(作家を目指している文学青年や、文芸批評家を除いて)いないでしょう。
2019-01-20 23:44:41私は自分の生活を振り返った時に、大学生・大学院生の頃そして就職した後の三年間ほど、自分が社会に適応できないのではないかという不安の中で、数多い人生論の書物を読んで、不安を打ち消そうとしていた。
2019-01-27 17:58:04当時、私の読んだ書物には、有名な作家(小説家、文芸批評家)が著した人生論もあれば、洋書のハウツー本を翻訳した人生論もあって、色々な人生論を私は多数読みました。そして、それらを読んでいる最中は気持ちが落ち着いた。
2019-01-27 17:58:39人生論とは云いながらも、私は、鼓舞された文を文脈から切り抜いて、さながら「標語」の様に座右の銘としていた次第です──勿論、(今になって振り返ってみれば、)そんな読みかたは人生論としては適切でない事がわかるのですが(苦笑)。
2019-01-27 17:59:12つまり、私は、「現実」を直視しないで、不安を痲痺させる即席のソリューションをもとめて足掻いていただけだった。こういう罠に陥る青年は、今でも多いのではないかしら──ひょっとしたら、青年に限らず、壮年にも。
2019-01-27 17:59:44酔う時には酔えばいいのだけれど、酔っぱらった状態では酒の味はわからないでしょうね。尤(もっと)も、酒の呑みかた(酔いかた)を覚えるには、幾多の失態をやらかして体得するしかないのですが、、、恐る恐る呑んでも味わう事はできないでしょう。
2019-01-27 18:00:17「かたはらいたきもの、・・・思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる」(「枕草子」)、酒類に限らず、思想などに酔っぱらった状態についても言える事でしょうね──「酔ひて、同じことしたる」、思想に関して言えば、視点・思考がブレないという事じゃない、杓子定木という事。
2019-01-27 18:01:04社会の中で生活するとは、「役柄」を演じる事なのかもしれない。我々は、普段、科白(セリフ)を言っている。それを科白とは感じないなら、それでいいのかもしれないが、科白であると感じていながらも自己を社会化するために「仮面」を被る。
2019-01-27 18:01:43