くまくま会談:「3.11前と後 われわれはあのとき/これからなにができた/できる のか?」

全体の音としてはこんな感じで   YouTube - 軌跡  ~kiseki~ :「空と風」 ワイヨリカ http://www.youtube.com/watch?v=8IjMF5HjYRk 続きを読む
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m_um_u @m_um_u

そこで目指される「お金にならない(かもしれない)恊働」の形というのはウェーバーやアーレントがいっていた「仕事」の意義ということになるでしょう。お金にならないかもしれないけどその恊働性を通じてわれわれの生が充足していくような活動。 これは既存の労働の場でも見出されれます

2011-05-09 06:30:42
m_um_u @m_um_u

そういった「本当の生の充足とはなにか?」を見出すための留保をもった態度がおそらく「観想」とアーレントが呼ぶもの。たんに「( ゚Д゚)<労働は実践だってえらいひとがゆってた!(∩´∀`)∩ワーイ」だとか「( ゚Д゚)<運動は実践だってえらいひとが(ry」すればいいというものではない

2011-05-09 06:32:29
m_um_u @m_um_u

まあ、そんな感じでこの話は「これからは恊働志向してくでよくね?(゚⊿゚)」「んだんだ」「実践の中で」「んだ」「試行していって、随時やり方を修正していけば、あるいは( ^ω^)・・・」「(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」 みたいな感じでほぼ落ち着いていく

2011-05-09 06:34:36
m_um_u @m_um_u

それがレジュメ的には(4)までですね。 まあ、自分的にもそこまでできてれば半ば満足だったのでそれでいいかなーって感じだったのだけど。 スピンアウト的な二次会に行くことになって(5)(6)辺りの話が期待されたりされなかったり (/ω・\)チラッ

2011-05-09 06:35:52
m_um_u @m_um_u

イドの住人の話、イドを壊す話というのは( ^ω^)・・・まあ、けっきょくはそういう理性的な話というのも内部のどろどろしたものが解決されてなかったら「おりこうさんの論理」として表面的・タテマエ的な実行性しか持たないのではないか?みたいな疑念から。鶴見俊輔/吉本隆明あたりですね

2011-05-09 06:38:29
m_um_u @m_um_u

この辺は人の中の偏見が無意識的な志向性/思考や意思決定への機制としてはたらいているのではないか?という疑念から、そこを壊して(いったん白紙(ゼロ)にして)新たにインストールしていかない限り、根本的な解決にはならないのではないか?というお話です。まぁ、実存哲学なんですけど

2011-05-09 06:40:32
m_um_u @m_um_u

現象学的還元(白紙状態を作る)から始まる(偏見を廃した)「ほんとの自分 / ほんとの願い」への気づき、還元みたいな話。「ほんとの」というところに言語ゲーム的な疑義は発声するでしょうが、どうでもいいツッコミなので無視します。身体性で突破する

2011-05-09 06:41:56
m_um_u @m_um_u

ただ、それはやはり「しんどい」のですね( ^ω^)・・・。それで「簡易なスピリチュアルに流れたりホメオパシーにながれたりーって層はけっこうふえてるよねー」「(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」「流行りっぽいよー」みたいな話が二次会で展開。オレもねむくてあたまぼーっとしつつ聞く

2011-05-09 06:43:22
m_um_u @m_um_u

ただ、これは( ゚Д゚)<ゆるふわ乙! っていう話でもなく、「そういうひとたちもいるよなー ( ^ω^) それは仕方ない」って感じで聞いてはいたんだけど、最終的に、というか今日辺りになってなんか感触が変わったり

2011-05-09 06:44:34
m_um_u @m_um_u

まだ、ちょっとよくわからないんですが、わたしなんかの志向性/至高性というのはまあ、一定の事情を抱えてる人にしてみれば共有される課題として仕方ないところはあるんだけど、どうしてもシンがはいってしまって、ともすれば( ゚Д゚)<三島ーみたいな感じになる。

2011-05-09 06:45:52
m_um_u @m_um_u

性的欲動(LIBIDO)、果たされなかった(あるいは反転した)エロース的欲動を戦争の中にみたてていく、というあれですね 淫グロリアス・バスターズ http://bit.ly/eLIqDg オトコノコ的思考/志向というのはすくなからずそういうところがある

2011-05-09 06:48:46
m_um_u @m_um_u

それで至高の系としての「うつくしい生活」「それを実現するための生活の中の闘争」を戦争の代替物として扱っていくわけですが、それさえも果たされなかったときに割腹し自決したり。 自分の死をもって至高に華を添え現実とするんですね。志向性に喰われる、というか

2011-05-09 06:51:03
m_um_u @m_um_u

三島由紀夫について補足すれば実際にそういう傾向、実存→存在論への志向はもっていたようです http://bit.ly/hATluN 理解としては中途半端なところもあったけど( ^ω^)・・・

2011-05-09 06:51:48
m_um_u @m_um_u

そういったオトコノコのとんがった志向、いわゆる「ますらお」と呼ばれるような志向性に対して、生活の中での実践的な志向というのはやはり「そんなこむずかしいことどーでもいーじゃーん (´∀`*)ウフフ」なしたたかさというか図太さのようなところにあるように思うんですね。

2011-05-09 06:53:05
m_um_u @m_um_u

かつては聖的なものだったスピリチュアルなものをモジュール分化してコモディティし、それを遊びとして簡易に取り入れていくしたたかさもそうでしょうし、そういうのが、「生活の実際」だったりする

2011-05-09 06:54:04
m_um_u @m_um_u

そういう志向。生活に根ざした女性?的な思考・志向というのは「たおやめ」として日本文化がもっていたものなのかなぁ( ^ω^)・・・となんとなく思いました。「もっていた」というか、まだ「そうやってある」ものなのかなぁ、と

2011-05-09 06:55:17
m_um_u @m_um_u

魔女にならないための選択 http://bit.ly/irqVVC あるいは魔人的なものにならない選択というのは案外とそういうところ、生活という冗長性のなかにあるのかなぁ、とぼんやりと反省させてもらいますたよ @sunnyfunny99 m(__)m

2011-05-09 06:57:44