持統天皇の火葬で首都移転がなくなった?
@ABOFAN @m_izawa あなたのおっしゃっていることが循環論法になっていて解釈しかねます。それに私と意見を言い合って楽しいのですか?
2019-04-24 00:00:24@ABOFAN @m_izawa それより昔は日本書紀では確認できませんよ。神武天皇のような神話の時代のことを持ち出さねば解決のつかない問題の議論なんですか。それに私と議論して歴史学がどうにかなるんですか。
2019-04-24 00:03:18@bafkm @m_izawa 申し訳ありませんが、具体的に私の文章を引用していただかないと、何が「循環論法」なのかお答えいたしかねます。なお、私は単純によしぼうさんのエビデンスを確認したいだけです。
2019-04-24 00:07:55@bafkm @m_izawa つまり、初代神武天皇から第40代天武天皇まで、4人(安閑、反正、雄略、武烈)が皇子宮に遷宮したことのみが確認できる。これが「ほとんどの皇子が皇子宮を持っていることから、[ほとんどの皇子宮が大王(天皇)の住むところになったことは]十分考えられることですよ。」というエビデンスですね?
2019-04-24 00:09:20@ABOFAN @m_izawa 神武天皇から天武天皇という基準が分かりません。神話時代のことを持ち出せば議論にもなりませんよ。少なくとも挙例の4人はほぼ歴史上の記録として信用できるレベルですよ。エビデンスって何ですか。私に質問するより図書館で一冊でも本を読んでみれば分かることですよ。
2019-04-24 00:17:25@bafkm @m_izawa では、第21代雄略天皇から第40代天武天皇まで、4人(安閑、反正、雄略、武烈)が皇子宮に遷宮したことのみが確認できる。これが「ほとんどの皇子が皇子宮を持っていることから、[ほとんどの皇子宮が大王(天皇)の住むところになったことは]十分考えられることですよ。」というエビデンスですか?
2019-04-24 00:22:13@ABOFAN @m_izawa 継体以後の系譜に従って4例なんです。武烈以後にもあると思います。ただ不勉強にしてそこまでは分かりません。ただ皇子宮に「遷宮」という言い方はおかしい。「遷宮」ではなくそこで即位してそのまま経営してるだけです。以後は宮都が整備されます。エビデンスという言い方は失礼だし気持ち悪いです。
2019-04-24 00:28:40@bafkm @m_izawa では、第26代継体天皇から第40代天武天皇までの15人のうち安閑天皇のみ(反正、武烈、雄略天皇は継体天皇より前なので除く)が「皇子宮」で即位し、他は違うということでよろしいですか?
2019-04-24 00:36:57@ABOFAN @m_izawa そもそも私に何を期待してるんですか。以後は宮都が整備される方向に進むので、大王宮出の支配とは違う方向に向かっていきます。ただ、それが一筋縄でいかないことは紹介した研究史に述べられています。ただ、私に何を期待してるんです。あなたのせいで眠ることができないんですが。
2019-04-24 01:31:29@bafkm @m_izawa 「週刊ポスト」4月19日号に掲載された呉座氏の「古代の首都移転」の再反論は、ことごとく間違っていることがわかりました(汗)。abofan.blog.so-net.ne.jp/2019-04-27
2019-04-27 11:25:05