ドヴォルザーク『新世界より』とスフィアン・スティーヴンス『イリノイ』をつなぐ1893年シカゴ万博

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kentarotakahashi @kentarotakahash

僕が知る限り、世界で最初に「レコーディング・スタジオとして建設されたスタジオ」は1890年にニューヨーク・フォノグラフ・カンパニーがマンハッタン五番街の28丁目と29丁目の間に作ったスタジオ。先にスタジオがあったのだ、ティン・パン・アレイの辺りには。

2019-04-17 09:56:30
kentarotakahashi @kentarotakahash

それにしても、1893年というのは凄い年だったんだな、まさしく、アメリカ音楽史の転換点だ。

2019-04-17 10:02:51
kentarotakahashi @kentarotakahash

1893年、ヴィクター・ハーバートはニューヨーク州兵第22連隊バンドの指揮者に就任し、マーチング・バンドの世界でスーザに次ぐ人気者となる。

2019-04-17 10:04:31
kentarotakahashi @kentarotakahash

ドヴォルザークの『新世界より』の初演は1893年12月16日のカーネギー・ホール。アントン・ザイドル指揮するニューヨーク・フィルハーモニー。そこで筆頭チェロ奏者を務めたのもヴィクター・ハーバートだ。

2019-04-17 10:07:00
kentarotakahashi @kentarotakahash

ドヴォルザークの校長就任前からナショナル音楽院で教鞭を執っていたヴィクター・ハーバートは、ドヴォルザークを多く助けたものと思われる。『新世界より』の素材となった米南部に伝わるスピリチュアルをドヴォルザークに教えたハリー・バーリーももともとはハーバートの生徒だった。

2019-04-17 10:11:00
kentarotakahashi @kentarotakahash

1893年からティン・パン・アレイの時代が始まる。そこで最初にソングライターのチャンピオンとして君臨したのもヴィクター・ハーバートだ。ハーバートの最初のオペレッタ「プリンセス・アナニアス」が世に出るのは翌1894年。

2019-04-17 10:17:56
kentarotakahashi @kentarotakahash

ルービン・ゴールドマークが「ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調」を書いたのも1893年だ。現代でも演奏される彼の代表曲だが、作曲時の彼はナショナル音楽院在学中。ドヴォルザークの作曲クラスにいて、ハーバートにチェロを弾いてもらって、同曲を初演した。

2019-04-17 10:25:44
kentarotakahashi @kentarotakahash

ルービン・ゴールドマークはその後、教育者として大きな業績を残す。ジョージ・ガーシュウィン、アーロン・コープランド、アルフレッド・ニューマンもゴールドマークの指導を受けた。ということは、彼らもドヴォルザーク学校の孫弟子的な存在だ。

2019-04-17 10:30:11
kentarotakahashi @kentarotakahash

僕が「1893年」に興味を持ったのはスフィアン・スティーヴンスの『イリノイ』がきっかけだった。で、アメリカ音楽史上の1893年に注目すれば、ドヴォルザークとヴィクター・ハーバートに行き着くのは当然とも言える。

2019-04-17 10:41:03
kentarotakahashi @kentarotakahash

でも、こんなにも様々な動きの真ん中にいたヴィクター・ハーバート、ASCAPの創設者でもあった巨人が、なぜ、二十世紀後半には忘れ去られてしまったのか?というのが、僕のレコード・コレクターズ連載のテーマな訳です。

2019-04-17 10:48:24

kentarotakahashi @kentarotakahash

2016年に出たハリー・バーリーの本。分厚いんで、まだあまり読めてない。 pic.twitter.com/mvcjJub7lA

2019-04-17 10:56:43
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ハリー・T・バーリーの本読んでたら、これまで散逸した興味としてあったことが、いろいろ繋がった。米国の黒くない黒人音楽史。 pic.twitter.com/p9grtF7Vns

2019-04-21 08:28:44
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kentarotakahashi @kentarotakahash

黒くない、というのは後々の人々が「黒い」とする(そして、安易に「アフリカ由来」とする)感覚との対比においてだけれど。

2019-04-21 08:31:07
kentarotakahashi @kentarotakahash

そして、その二つの対立がこの本で最初に描かれるのは、1893年のシカゴ万博においてなのだった。わおー。

2019-04-21 08:33:38
kentarotakahashi @kentarotakahash

バーリーはドヴォルザークとは別に万博に行くんだね。で、ドヴォルザークがスピルヴィルで過ごした1893年の夏はバーリーはサラトガ・スプリングスのホテルで働く。その仕事を紹介したのはヴィクター・ハーバート。

2019-04-21 08:37:11
kentarotakahashi @kentarotakahash

サラトガ・スプリングスは今もヴィクター・ハーバート・フェスティヴァルが開かれる避暑地だが、当時は毎夏、ヴィクター・ハーバートがホテルでサロン・オーケストラを指揮してたんだね。

2019-04-21 08:42:05
kentarotakahashi @kentarotakahash

ハーバートはナショナル音楽院の学生だったバーリーに目をかけていて、二人は生涯の友人だったという。

2019-04-21 08:46:27

kentarotakahashi @kentarotakahash

オペレッタの王様とスピリチュアルの指導者が、実はドヴォルザーク学校の仲間で、生涯の友人だったなんて。アメリカ音楽史は面白過ぎるな。

2019-04-22 07:37:58
kentarotakahashi @kentarotakahash

こんなことは「ヴィクター・ハーバートから夢綴るロスト・アメリカーナ」という連載を始めた頃には知らなかった。

2019-04-22 07:51:40
kentarotakahashi @kentarotakahash

なぜ、「ヴィクター・ハーバートから〜」という連載をやりたかったかというと、ヴィクター・ハーバートなんて誰も知らないから。僕も知らなかった。15年くらい前に「Dreaming, Dreaming」という曲を聴いて、初めて興味持った。

2019-04-22 07:55:28
kentarotakahashi @kentarotakahash

音楽の仕事をしていく上でやめようと思ったこと。アイドル産業に関わることもそうだったけれど、もうひとつ、有名ミュージシャンのアーティスト本とか、ミュージシャンの知名度にオーヴァーライドした商売はしたくないというのがあった、、

2019-04-22 08:05:07
kentarotakahashi @kentarotakahash

その点、ヴィクター・ハーバートなんて誰も知らない。自分でもよく知らなかったりする。でも、書き始めてしまう。そういうのが面白かった。よくやらせてくれたと思う。レコード・コレクターズ誌には感謝しかない。

2019-04-22 08:09:29