バッハ自筆譜によるマタイ受難曲の解説(BCJ 鈴木雅明 音楽監督)

BCJの鈴木雅明 音楽監督が、マタイ受難曲をバッハの自筆譜とともに解説する。
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ50] ユダは後悔のあまり首をつって自殺。その直後42曲で「私のイエスを返せ」のアリア。華麗なヴァイオリンソロは、カンタータ162番第3曲にも似て「お金のモティーフ」で埋め尽くされる。自らを、父に許された放蕩息子に喩えてしまったユダが哀れ。#BCJマタイ pic.twitter.com/yUj2S1Vj0Z

2019-04-19 10:40:27
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

訂正:カンタータ163番のことでした。失礼しました。

2019-04-19 12:15:55
Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ51] マタイの奇妙な証言が続く。ユダが神殿に投げ込んだ銀貨30枚は「汚れた金」なので神殿に収めず、その金で買った土地が「血の畑」と呼ばれたという。この「血」はユダではなくイエスの血であり、この土地はイエスの血の代価と言える。銀貨30枚とは、かつて預言者ゼカリアが値踏みされた額。

2019-04-19 12:42:46
Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ52] イエスの血で購入された土地が「外国人の墓地」となったことで、異邦人伝道が約束されたので、マタイはこれをエレミアの預言の成就と呼ぶが、実は後半はゼカリアの預言。この淡々とした福音史家のレチが、実はマタイ受難曲の中の最も重要な預言のひとつ。#BCJマタイ pic.twitter.com/Sf8ki0izQG

2019-04-19 12:53:10
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ53] ピラトの「おまえは神の子なのか?」という尋問にイエスは「その通り」と答えたきり沈黙して弁解しないので、ピラトは訝る。すかさず挿入されるコラール44曲は、神の御手にすべてを委ねることを歌う、最も平安に満ちた曲。全5回登場する「血潮滴る主の御頭」の3回目の編曲。 pic.twitter.com/sP9N3VNjEg

2019-04-19 13:01:51
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ54] ピラトは、恒例の恩赦の習慣に従って群衆に尋ねる「どちらを赦して欲しいのだ?バラバか、イエスか」ピラトは恐らく「イエス」という答を予想していたが、群衆は「バラバ!」と叫ぶ。バッハは、群衆の誤った答には誤った終止形をあて、低音がA⇒DではなくA⇒D#に。#BCJマタイ pic.twitter.com/644feeHRuZ

2019-04-19 13:19:16
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[マタイ55] ここからマタイ受難曲シンメトリーの中心へ向かう。45曲の叫び「十字架につけよ!」が群衆にしてはあまりに整然とBas-Ten-Alt-Sopと導入されるので唖然。典型的十字架音型を歌う全強奏に対し、可憐なフルートだけが逆行の対旋律を演奏して懸命にこれを打ち消そうとするかのよう。#BCJマタイ pic.twitter.com/K6Nl2RH7uh

2019-04-19 14:05:17
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ56] 「十字架につけよ」の後、あたかも会衆がその場面にいるかのように46曲コラールが反応「何と驚くべき刑罰!羊飼いである義しき主が僕の罪を償おうとされる」この「義しき人」というところで、奇妙な第5音が最上声となる和声配置でキリストを象徴する。第3曲の同じコラール参照 #BCJマタイ pic.twitter.com/9Hg6LJH6QN

2019-04-20 11:33:16
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[マタイ57] ピラトのつぶやき「彼はどんな悪事を働いたのだ?」を受けて直ちにレチが「ただ善き事のみをされた」と答え、49曲有名なSopアリア「ただ愛により」に続く。この曲のみ通奏低音は沈黙しフルートソロとダカッチャのみで伴奏し「上から」の愛であることを示す。ただ息を呑むばかり #BCJマタイ pic.twitter.com/kcAlpAL8jX

2019-04-20 11:42:59
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[マタイ58] この驚くべきアリアの後、再び同じ「十字架につけよ」が全音上がって叫ばれることで、アリア「ただ愛により」がシンメトリーの中心であったことがわかる。つまりこの曲全体が「愛」を中心としていることを、バッハは見事な構造で示したのだ。#BCJマタイ pic.twitter.com/E0LlubSda9

2019-04-20 13:29:14
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ59] 十字架は普通の死刑と違い子孫まで呪われる呪いの刑であったので、ピラトは「手を洗って」自分には責任がないと示す。が群衆は開き直って叫ぶ「この血が自分と子孫の上に降りかかってもよい」。50曲dの後半「上に」überという言葉が殊更強調される。「血の呪い」の意味は深い。#BCJマタイ pic.twitter.com/jMyrZK6uSW

2019-04-20 13:59:34
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[マタイ60] ピラトはバラバを赦しイエスを鞭打たせた。アルトのレチとアリア51曲と52曲で、鞭打ちを表す付点リズムが徐々に柔らかくなり、信じる者にとっては、血が「呪い」ではなく「贖罪」へ、血の滴りは涙の滴りへと転ずることがわかる。#BCJマタイ pic.twitter.com/WQyoFPvrd0

2019-04-20 14:13:36
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ61] 53曲兵士達がイエスに茨の冠を被せ嘲って叫ぶ「ユダヤの王様、ご挨拶致します!」兵士達は嘲っているつもりだが、バッハは両合唱の交代に、明らかな反行形を与えて十字架音型を作る。冒頭フルートのトリルは、殊更嘲りを表現しているのか。#BCJマタイ pic.twitter.com/Wv8416Y86q

2019-04-20 14:33:52
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ62] 54曲コラール「血潮滴る主の御頭」。同じコラールが5回登場するうち最も高い調性であり、ここでのみ2節歌われる。1節の最後、兵卒の嘲弄と同じ言葉を使って「ご挨拶致します」gegrüßetと歌う時、私達の敬意も一瞬のうちに嘲弄に転じかねない人間の罪深さを思う。#BCJマタイ pic.twitter.com/V4RlfquSV2

2019-04-20 14:47:01
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[マタイ63] キレネ人シモンを「強いて」イエスの十字架を運ばせたという単語から、自らを「強いて」十字架を負うことをバスが諭し、57曲「来たれ、甘き十字架よ」に続く。「甘い」十字架はあり得ないが、ガンバの表す苦渋の後に来る恵みを音で表現。自筆パート譜にバッハの思い入れを見る。#BCJマタイ pic.twitter.com/YkkoVsoDd5

2019-04-20 15:26:45
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ64] 58曲ついにイエスは十字架につけられ、その衣服は兵卒がくじによって分けた。罪状書には「ユダヤ人の王」。彼らは知らなかった、これらの愚弄と籤引のすべてが預言の成就であり、罪状書きが事実であったことを。彼らは叫ぶ「神殿を壊して3日で建てる者よ、十字架から降りてこい」#BCJマタイ pic.twitter.com/q4v0o46l3n

2019-04-20 15:58:14
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ65] 58曲d「他人を救ったが自分を救えない者よ」は群衆合唱の中で最も印象的。「『イスラエルの王』なら十字架から降りてこい」の「イスラエルの王」の所で、見事全声部で第1曲「おお汚れなき神の小羊」のコラールが想起され、「彼は『私は神の子』と言った」で戦慄のユニゾン。#BCJマタイ pic.twitter.com/vp7z6l8rIo

2019-04-20 16:11:31
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[マタイ66] 群衆の嘲りはすべてシャープ系で書かれ、今十字架上のイエスに目を向ける時突如フラットが増えて、59曲変イ長調60曲変ホ長調。十字架上にぶら下がるイエスを表して59曲オーボエは一貫して係留、最後まで解決しない。チェロのピッチカートは釘の音。ああ呪われしゴルゴタの地よ。#BCJマタイ pic.twitter.com/nyUbcUMlcI

2019-04-20 16:23:24
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[マタイ67] 60曲イエスは、私達を抱こうと、十字架上で御手を広げられる。第17曲コラールは「主が死なれる時、私の腕に抱きましょう」とペテロの思いを歌ったが、イエスこそが私を抱かれる。オーボエの伸びやかな旋律と上へ上へと駆け上る通奏低音が私達が向けるべき視線を表して余りある。#BCJマタイ pic.twitter.com/PwNEzo38KM

2019-04-20 16:31:36
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ番外] 今日は一日マタイ受難曲ツイートの日。明日はなにしろイースターなのだから、何が何でも今日中に最後までたどり着かなければならぬ。機関銃のようなツイートを、どうぞご容赦ください。

2019-04-20 16:34:09
Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ68] ゴルゴタの現場に戻ると、イエスが今にも息絶えようとしている。「エリ、エリ、ラマ・アザブタニ」人々は訝って「エリアを呼んでいるのだ。エリアが来るかどうか見てみよう」旧約の預言者エリアは死ぬことなく天に挙げられ、最後の審判の前に再来することが預言されていた。#BCJマタイ pic.twitter.com/PhGcCFqLUs

2019-04-20 16:49:07
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ69] イエスはついに息絶える。最後の言葉「わが神わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」ヨハネ福音書では「すべては成就した」と最後に神の摂理を語ることを思うと、マタイでは人間イエスの最大の悲惨を表した言葉と言える。神に見放される事ほど悲惨なことはないのだから。#BCJマタイ

2019-04-20 17:01:42
Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ70] ここで同じコラールが5度目に登場。最も低く最も静かにイエスの死を自らの死に重ねて歌う「死の恐怖に苛まされる時、私から離れないで下さい」。メンデルスゾーンはこれを無伴奏合唱で歌わせた。「耐えがたき不安」に当てられた和声に、バッハ自身の恐れを垣間見るよう。#BCJマタイ pic.twitter.com/3AemRkJns8

2019-04-20 17:08:21
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ番外] 今日は聖金曜日の翌日、復活祭前日の土曜日。日付は違ったが2000年のこの日父が昇天したので、命日はいつもイースターイヴだと記憶している。あの日にもマタイ受難曲を演奏したことを思い出す。そしてあの日初めて、なぜバッハが第62曲を自分で挿入したのか、わかったような気がした。

2019-04-20 17:10:52
Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ

[マタイ71] ここでマタイ独特の3つの記事。神殿の幕が裂け、地震によって岩が割れ、聖徒が蘇った。幕の奥に昔あったはずの契約の箱は既になく空であったのに、ここを聖所としてきた形式主義が覆された。岩の破壊と聖徒の復活は、イエスの死によって新たな命がもたらされたことを示す。#BCJマタイ pic.twitter.com/bTfg47cM4o

2019-04-20 18:22:37
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