- tomoshibi6o6o
- 4754
- 7
- 0
- 0
このヨハンの息子が「金印勅書」で有名な皇帝カール4世です。 しかし彼はルクセンブルクよりはボヘミアを中心に統治しました。 ルクセンブルクは弟ヴェンツェルに継承され、その元でルクセンブルクは「伯爵」から「公爵」へ格上げされました。 pic.twitter.com/p7EpgxLVTU
2019-04-23 21:17:01ヴェンツェル1世公爵の時代は、中世ルクセンブルク国家が独立して栄えていた、最後の時代でした。 ヴェンツェル1世には嫡男がなかったことから、ルクセンブルク公領はカール4世の息子ヴェンツェルへ、次いでその弟ジギスムントへ継承されます。 pic.twitter.com/jjby9BWlqy
2019-04-23 21:18:36特にジギスムントは、神聖ローマ皇帝にボヘミア王、ハンガリー王も兼ね、中欧に一大勢力を築いていました。 しかしこの兄弟は、発祥の地であるルクセンブルクを軽んじ、借金の抵当として売却してしまいます。
2019-04-23 21:19:52ここにルクセンブルクの「抵当物件時代(Pfandherrschaf)」が始まります。 その間に、皇帝ジギスムントは息子を残さず死に、皇帝家としてのルクセンブルク家は断絶してしまいました。
2019-04-23 21:21:24結局ルクセンブルクの支配権を得たのは、フランス王の縁戚であるブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)でした。 (皇帝位の方はハプスブルク家に渡りました) pic.twitter.com/gNieuopZ3h
2019-04-23 21:22:38しかしフィリップ善良公の息子、シャルル突進公は嫡男ないまま戦死してしまい ルクセンブルク含むブルゴーニュ家の領土はフランス王家と…シャルル突進公の娘と結婚したハプスブルク家のマクシミリアン大公の間で争われます。 pic.twitter.com/loFS7tpIV6
2019-04-23 21:24:24結果として、ルクセンブルク含む低地地方はハプスブルク家の支配下となります。 そして1501年。この年に1歳を迎えた、ハプスブルク家の相続者が「ルクセンブルク公」を叙爵され、「カール3世」となりました。 pic.twitter.com/tUPF6LoljR
2019-04-23 21:26:36カール3世は後にスペイン王としてはカルロス1世となり、神聖ローマ皇帝にも就いてカール5世となります。 これ以降、ハプスブルク家はスペイン支配下の低地諸国の一部として、ルクセンブルク公を継いでいきました。 pic.twitter.com/LC8T5EFUus
2019-04-23 21:28:08三十年戦争の時代にルクセンブルクの一部が条約によってフランスに割譲されたことを機会に、フランス王ルイ14世はルクセンブルク全体の獲得を目指します。 これは成功したものの、結局はその後の戦争の和約で手放すことになり、オーストリア・ハプスブルク家のものになりました。
2019-04-23 21:45:12立地からルクセンブルクはフランス革命の荒波に巻き込まれ、フランス占領下の時代が続きます。 しかしフランス皇帝ナポレオン1世が滅びると、ルクセンブルクの人々は「神聖ローマ皇帝万歳」と唱えました。 このとき、神聖ローマ帝国は既に滅亡していました。
2019-04-23 21:47:32結局ハプスブルク家は領地交換によってルクセンブルクを手放すことになり、オランダ王ウィレム1世が「ルクセンブルク大公」として格上げしたこの土地を、同君連合で統治することになりました。
2019-04-23 21:48:561830年にベルギー革命が起こり、オランダ王国の南半分が独立した際にはルクセンブルクも巻き込まれ、実に国土の半分以上をベルギーに割譲させられてしまいます。 (ベルギー領ルクセンブルク)
2019-04-23 21:50:11そして1890年、オランダ王ウィレム3世が亡くなり、その娘ウィルヘルミナが継承します。 しかしルクセンブルク領は「男系相続」とするサリカ法をとっていたため、ここにオランダ王国との連合は解消されました。 そして、ナッサウ一族の遠縁からアドルフが大公に迎えられます。 pic.twitter.com/I82b8YS6Ku
2019-04-23 21:53:14このアドルフは、神聖ローマ皇帝(ドイツ王)だったアドルフ・フォン・ナッサウの子孫にあたります。 ですが、その孫で男子が絶えてしまい、婿に来たのがフェリックス公子でした。 彼はパルマを支配したブルボン=パルマ家の最後の公、ロベルト1世の息子です。 pic.twitter.com/5PwRYTM9sJ
2019-04-23 21:55:35このフェリックス公子と、女大公シャルロットの間に生まれたのが、今日亡くなられた前のルクセンブルク大公ジャン殿下になります。 twitter.com/tomoshibi6o6o/…
2019-04-23 21:56:43【訃報】 前ルクセンブルク大公ジャン殿下、ご逝去さる 殿下は年末前後から肺の病に附しておられ、昨日様態が急変 本日ご逝去された 殿下はブルボン=パルム=リュクサンブール家に属し、フランス王室の直系にあたる 98歳であった ルクセンブルク大公位は2000年に息子アンリ殿下に譲られている pic.twitter.com/LokRdV88Cm
2019-04-23 14:43:34