【神聖ローマ帝国】はちゃんと【神聖でローマで帝国】だった? ほか、「カール大帝とフランク王国」など歴史談話

①「神聖でもなけれはローマでもなく、ましてや帝国ですらない」と呼ばれる神聖ローマ帝国はちゃんと実態があった!? ②「皇帝」と「王国」について~カール大帝とフランク王国から ③そもそもローマ帝国ってどうなった? ④西洋では称号(爵位)を兼ねるのは当たり前
歴史 古代ローマ 神聖ローマ帝国 西洋中世史 カール大帝
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【プロローグ】
①フリードリヒ1世(赤髭帝)の時代まで、神聖ローマ帝国は強い国だった?
神聖ローマ帝国→ドイツ帝国への認識の転換点について

はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
英雄だったからこそ、その死を悼んで「帝国(ドイツ)の危機には蘇り、救済する」という伝説になったんでしょうね。 カール大帝の列聖など、皇帝権威の強化に奔走したひとりだと思っています。 twitter.com/mmmnvivi/statu…
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
そういったフリードリヒ赤髭帝の言動を見ていると、カール大帝の継承者を自負していたようなところがあります(個人的な所感) 実際、彼の死後に孫フリードリヒ2世は聖界諸侯・俗界諸侯に対し大幅な権利を認めるので、フリードリヒ赤髭帝の時代が神聖ローマ帝国のまとまってた最後の時代と言えるのかも。
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
(世界帝国を目指していた)神聖ローマ帝国が(一地方のみの)ドイツ帝国となったのは転換期がいつなのか、時期は諸説ありますが、やはり皇帝フリードリヒ3世(在位1440~93)が「ドイツ国民と神聖ローマ帝国」、すなわち国号にドイツを書き加えた時でしょうか。
Sz73 @Sz73B
百年戦争が終わって英仏が明確に分かれ、レコンキスタも最終段階に入り、ローマ帝国の正当な継承者であるビザンツ帝国が滅亡した時期だ。その時期にドイツという自覚が明瞭化したということかな。>RT
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
フリードリヒ3世の曾孫カール5世の退位の際には、「弟フェルディナンドに《ドイツ帝国》を譲る」との文言が出ているので、この頃には神聖ローマ帝国は実質ドイツ帝国となっていたのでしょう。 次のフェルディナンド1世はちょくちょくドイツ皇帝として紹介されている資料をみます。
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
もちろん、フェルディナンド1世は正式には「神聖ローマ皇帝」であり、ドイツ皇帝という帝座があった訳ではない。 そして更に言えば「ドイツ王」という称号はあったが、これは未戴冠の神聖ローマ皇帝を指すものであり、イコールでドイツ王国があった訳ではない。
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
やはり神聖ローマ帝国の、ドイツ王選出(ローマ王指名)→皇帝戴冠という手順は、ちょっと概念としては中々難しい(そこが面白いんだけども)
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
よく神聖ローマ帝国を指して「神聖でもなければローマでもなく、ましてや帝国ですらない」という有名な文言を引用してる人がいますが… それは三十年戦争後の、新教徒が権利を持ちローマで戴冠することもなくなった、分裂した帝国のことであって→
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
→フリードリヒ赤髭帝や、その前のサリエリ朝の諸皇帝に対してはそう言えないと思うんですよ。 彼らの時代、まだ神聖ローマ帝国はまだまとまりがあり、強国でした。 フリードリヒ赤髭帝は十字軍を率いようとしてましたし、ハインリヒ獅子公の追放に見られるように彼の時代まで皇帝の権力は強かった。
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
何が言いたいかって、神聖ローマ帝国と見て、無闇に「ああ、あの神聖でもなければローマでもなく、ましてや帝国ですらない国ね!」というのは何も考えずに条件反射してる証拠です。実態がわかって言ってんのか。
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
ローマを領有していないから否定するのではなく、諸侯によって帝国が分裂し皇帝権威が失われており対外勢力にも弱い、かつての大ローマ帝国の面影もへったくれもないというならわかる(ヴォルテールにケンカ売ってる発言)
中卒アスペニート @mmmnvivi
>rt 丸っと同意せざるを得ない。ザクセン朝、そしてザーリア朝の途中まではまさに西欧を代表する帝国って感じだし、叙任権闘争が始まったあとも強い。バルバロッサが即位した頃は危機的な状況になり掛けていたが、一応にせよ立て直して再び最強国に近いところまで持っていったのは確か。
中卒アスペニート @mmmnvivi
ハインリヒ六世が早世しなければ、名実ともに独伊に跨がる帝国が表れてた可能性すらある。どうしようもなくなるのはせめて大空位時代からでしょう。つまりフリ2が悪いんだ(ドイツ根本主義感)
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
「叙任権闘争」で、よく一般には皇帝ハインリヒ4世が教皇に破門された、よくいう「カノッサの屈辱」で皇帝側の敗北というイメージが強い。 だけどその後ハインリヒ4世は体勢を立て直しているし、ローマを包囲して別の教皇を立てている。
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
あくまでネタでもマジでもよく取り上げられる「カノッサの屈辱」は「叙任権闘争」のやりとりを表すエピソードであって、これによって皇帝側の敗北ではない、ということも伝えていきたい。
大正義失地王ジョンと失われた帝国達 @J_theLackland
ウェストファリア条約も昨今の研究でHREの死亡証明書ではないことが史実になりつつあるし17世紀以降のHREに関してのイメージも刷新するひつようがあると
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
ルドルフ1世の皇帝(ドイツ王選出)も、使いやすい駒として選ばれたのではなくフランス王・ボヘミア王に対抗しうる実力者という意味だったみたいですからねぇ。 フリードリヒ3世の評価も変わってますし、西欧史も歴史評価が変わっていきます。

②「フランク王国」なのに「皇帝」が治める?

敬仲子🐢 @keityusi
神聖ローマ帝国が帝国で、フランク王国が王国なのどうしても納得いかないマン
中卒アスペニート @mmmnvivi
カールの即位とか神聖ローマ皇帝という存在、そして中世の「キリスト教世界」という概念もこういった前提の元に捉えないと、どういう意義を持っていたのかよくわからないように思います。
中卒アスペニート @mmmnvivi
少しまとめると、カールが800年に皇帝になったときはビザンツに女帝エイレーネが現れていたので、西方世界はその正統性を否定してフランク王をローマ皇帝にしたのでした。801年にカールが名乗った称号は以下のようなものです。
中卒アスペニート @mmmnvivi
カール、神により加冠されし至尊なるアウグストゥス、偉大にして平和的なる、ローマ帝国を統治する皇帝、神の慈悲によるフランク人の王にしてランゴバルド人の王。 これによって西方世界に数百年ぶりに「ローマ帝国」を名乗る政府が現れるわけです。
中卒アスペニート @mmmnvivi
またビザンツはカールのことを「フランク人の皇帝 Imperator Francorum」とも呼んでいます。つまりローマの皇帝としては認めないが(ローマ帝国中の)フランク人の領域を統治する皇帝とは認めてやる、ってところでしょうか。ある意味「フランク皇帝」とは他称として存在してたんですね。
はくえー@新刊固定ツイ@君主レビューの人(ニコ動) @tomoshibi6o6o
いっかい、帝冠(皇帝)と国家を切り離してみるといいかも カール大帝から後、西ローマ皇帝として戴冠した者をフランク=ローマ皇帝というけど 彼らの支配していた領土は「帝国」ではなく「王国」だった 帝国と呼べたのはカール大帝と息子のルイ敬虔帝で、その次の代で帝国ば分裂する
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コメント

バラライカ宮崎 @b_miyazaki 2017年12月26日
そうすると、もし百年戦争が無ければ、フランスもドイツのようにgdgdになっていた可能性があるのだろうか。
RXF-91 @rxf_91 2017年12月26日
あいつローマ帝国の話になると早口になるの気持ち悪いよな
stackfield(たまです) @stackfield_jpn 2017年12月26日
てかこれ、当時の中央ヨーロッパは、日本の歴史で言う「平安時代より前、豪族とその連合がささえた朝廷と呼ばれるようになった大和政権」みたいなものが乱立していた状態みたいなものということ理解してないときついとおもうの。 *当時の肩書きが地名やら称号やらならんでいるのは「土地とその民たち」に結びついてたからとかやらんと(酒いり
文里 @wenly_m 2017年12月26日
良い自まとめ。皇帝なきローマ元老院と教皇の関係知りたい
いしおか @mino_ishioka 2017年12月26日
「神聖ローマ帝国」(菊池良生/講談社現代新書)これくらいは押さえましょう。
ろんどん @lawtomol 2017年12月27日
「明治時代に各国の君主号をどう日本語で表現するかという話で、独立国(属国でない)国の君主は皆『皇帝』」になったのは、横浜税関長・星亨が、ヴィクトリア「女王」と翻訳したことに駐日英公使・パークスが抗議して揉めたのが発端
ろんどん @lawtomol 2017年12月27日
ところで大英帝国君主が皇帝位を得るのは、ようやくヴィクトリアがインド皇帝になってからなのは何故なのかしら。
アイマキ @banzokuuuu 2017年12月27日
ちなみにドイツとベルギーが連邦制なのは当時の名残
アイマキ @banzokuuuu 2017年12月27日
ヨーロッパユニバーサリス3の神聖ローマ帝国は皇帝が小国か大国かでフランスとポーランドに浸食されるかどうかが決まる。そりゃオーストリアが皇帝位独占するわ
ぽんぽこたぬき @pompocotanuky 2017年12月27日
mino_ishiokaウィルソン『 神聖ローマ帝国:1495‐1806 』岩波書店、の方がいいかも。
シャムロック @shamrock974 2017年12月27日
神聖ローマ帝国の名はチンギス・ハーンⅣで初めて知りました。中世のドイツが統一せず選帝侯やら諸侯が割拠していたのは中国の春秋時代のような感じなのでしょうか
日暮掟 @OmiKaneko 2017年12月27日
ていうか普通に菊池良生の本に書いてある内容じゃないのこれ
ろんどん @lawtomol 2017年12月27日
ルドルフ1世やフリードリヒ3世の評価からすると、新書であれば、菊池良生先生の本ではなく、岩崎周一先生の本でしょうね
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