編集部イチオシ

「あだ名で読む中世史」で見るヨーロッパの王侯の「○世」の数え方

備忘録。「○世」の数え方にはまとまってないところがあるという話です。
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

「家門意識」は気になってたところなのでぜひぜひ。

2018-01-27 17:10:51
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

やばい…「あだ名で読む中世史」読むのを断念しそうなレベル あだ名リストで50ページも割かれてるんですが…最初から「緑伯アマデーオ6世」とか見たことないんですが…うわ…

2018-01-27 17:15:18
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

とりあえず目次を書いておきます。 第1章 ヨーロッパ中世はあだ名の宝庫 第2章 「カール・マルテル」の謎 第3章 ピピンはいつから短躯王と呼ばれたか 第4章 姓の誕生 第5章 中世の命名方法とその背後にあるもの 第6章 中世の家門意識はいかにして形成されたか 第7章 混迷のユーグ・カペー

2018-01-27 17:19:20
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

あんまり開けっぴらけに書くと著作権法でしょっびかれそうなので、興味あるところから適切解説していくという感じでいいですかね…… たぶんみなさん中世初期とか、家門意識よりはもっと「なんでこうなったの?」とプリミティブな興味があるはず。

2018-01-27 17:21:56
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

「○世」の序数の数え方については問題があり、フランス名「アンリ2世」もドイツ名「ハインリヒ2世」も、共に英語で呼べば「ヘンリ2世」となる。 称号を付与しなければ、文脈を離れると特定が難しくなる。

2018-01-27 17:26:08
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

また同じドイツ名の「フリードリヒ2世」にしても神聖ローマ皇帝とドイツ王に分かれるように、同語名であっても人名にはややこしい点があるが →もっといえば、時代によって「世」の数え方が変化した例がある、という。

2018-01-27 17:28:06
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ドイツ王ハインリヒ3世は、1046年の皇帝戴冠において「ハインリヒ2世」を名乗った。 これはオットー大帝の父ハインリヒ捕鳥王をドイツ王として「1世」と数えるが、未戴冠であったためである。

2018-01-27 17:30:58
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

今度は「カール」という名前が題材に挙げられる。 「ハインリヒ」の場合は何人目かの基準は皇帝位ではなく国王位であった。 しかし「カール」の場合は、国王位ではなく皇帝位を基準として呼ばれている。

2018-01-27 17:32:53
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

皇帝カール4世といえば金印勅書で有名だが、皇帝カール3世とは誰ぞや? ドイツ王にいないのである。それもそのはず、3世というのはその前進であった東フランク王/ローマ皇帝カール3世のことだからだ。 そしてカール2世に至っては、シャルル2世…つまり西フランクの王/皇帝であるのだ。

2018-01-27 17:35:19
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

…と考えると、復活西ローマ帝国と神聖ローマ帝国が繋がっている…欧米では神聖ローマ帝国の起源を「800年のカール大帝の戴冠」に求める説を採用しているというが、こう見れば納得である。

2018-01-27 17:36:48
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

しかし事態をもっとややこしくしているのが「ルートヴィヒ」である。 この名を数える定義はすばり「ドイツ地域の国王であったこと」という、なんつーアバウトな法則。 カール大帝の息子、ルイ1世/ルートヴィヒ1世《敬虔帝》を最初として数えるが、2世を誰とするのか問題となる。

2018-01-27 17:39:19
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ここで念頭に入れて欲しいのは、これは皇帝位のカウントではなく「ドイツ地域の国王」であったことである。 皇帝ルートヴィヒ2世は、皇帝ルートヴィヒ1世の嫡孫であるが、ドイツ史において「ルートヴィヒ2世」と呼ばれるのは東フランク王ルートヴィヒ2世(ドイツ人王)らしい。

2018-01-27 17:43:05
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

更にその系統から「ルートヴィヒ3世」「ルートヴィヒ4世」が登場する。 だが、皇帝位では10世紀初めに、カール大帝の女系子孫であるプロヴァンス王ルートヴィヒが皇帝位に就いた。彼は「皇帝ルートヴィヒ3世」と呼ばれる。

2018-01-27 17:45:11
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

更に時代は飛んで1300年代、バイエルンのルートヴィヒが皇帝位に選出される。 彼は本来なら(?)ドイツ地方・東フランク王の数えも継承して「ルートヴィヒ5世」と呼ばれるはずだったが、しかし実際には皇帝位を基準として「皇帝ルートヴィヒ4世」を名乗った。 ハインリヒは東フランク王も数えたのに。

2018-01-27 17:48:09
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

一方でフランク王国/フランス王国を見てみると、「ルイ」は先述のカール大帝の息子ルイ1世/ルートヴィヒ1世(敬虔帝)から始まり、フランク王国の分裂後は西フランク王国に継がれ、その地の王を数えた。 (西)フランク王としてはルイ5世(無為王)まで、フランク王としてはカペー家のルイ6世(戦争王)から。

2018-01-27 17:53:14
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

しかし一方で「シャルル」には数え間違いが起きているという。 西フランク王シャルル単純王を、「3世」と数える見解は一致しているが、彼以前のフランク王に「シャルル」は3人いるのである…あれ?

2018-01-27 17:54:42
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

カール大帝/シャルルマーニュ シャルル禿頭王 シャルル肥満王 シャルル単純王「3世」 …あれ?

2018-01-27 17:55:54
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

山川の「新版 世界各国史12 フランス史」では禿頭王をシャルル1世として、シャルル2世には「触れず」にシャルル単純王を3世と呼ぶ。 この本の旧版では「禿頭王と肥満王を共に2世と数え」て単純王を3世とする。 また筑摩の「世界の歴史8 ヨーロッパ封建社会」では禿頭王を1世、肥満王を2世と数える。

2018-01-27 17:59:08
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

しかし同じ山川でも「世界歴史体系 フランス史1」では、カール大帝を「シャルル1世」と数えて禿頭王を「シャルル2世」、単純王を「シャルル3世」と記す。 肥満王は単に「カール3世」と呼ばれているのであった。

2018-01-27 18:01:23
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

つまり!! 「シャルル3世に至るまでの呼び方が固定されていない」という。 自分はてっきり、シャルル肥満王は東フランク王メインだったからカウントせずに、シャルルマーニュを「1世」として、禿頭王を「2世」、単純王を「3世」とすると思っていたが…そうではない、もっと深刻なようだ。

2018-01-27 18:03:31
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

話を戻して、この「○世」という序数が使われるようになったのは《9世紀末期》であり、メロヴィング王朝およびカロリング王朝の王は自らをそう呼んでいない。 880年に修道士ノトカーは、「カール大帝業績録」において『さらに私は《最初の》ルートヴィヒの仁徳に…』これがルートヴィヒ1世のこと。

2018-01-27 18:06:51
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

また908年の「レギノー年代記」では『888年、カール、この名前と栄位の《三人目》の皇帝が…』と表されている。これは皇帝カール3世である。 では、先ほどの「シャルル」はどうなるか?

2018-01-27 18:08:47
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

「サン・ジェルマン年代記」より878年の条項。 『皇帝ルイの息子、禿頭の、《三番目》のシャルルが死去した』 つまり禿頭王を3世とこれを書いた人は認識していた! 単純王ェ…

2018-01-27 18:10:48