Carlos Rodrigues(@fever7777)による「戦後政治史」【第十章】経世会支配の終焉(1994~2001)村山内閣から森内閣まで

【参考】「戦後政治史」【第一章】http://togetter.com/li/108740 【参考】「戦後政治史」【第二章】http://togetter.com/li/109443 【参考】「戦後政治史」【第三章】http://togetter.com/li/113219 【参考】「戦後政治史」【第四章】http://togetter.com/li/113959 【参考】「戦後政治史」【第五章】http://togetter.com/li/123490 続きを読む
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fever7777 @fever7777

今回の戦後政治史は、記憶に新しい1994年から2001年までを一気に振り返ります。社会党首班の村山政権以降、権力は経世会支配の時代に逆戻りし、それが森政権まで続きます。そして森政権はまた清和会支配の始まりでもありました。なお、文中は敬称を一切省略しています。

2011-05-14 19:00:05
fever7777 @fever7777

【バックナンバー1】第一章→ http://bit.ly/hqlRZS (1948年までの戦後のゴタゴタ時代) 第二章→ http://bit.ly/gKoPxf (日本の独立) 第三章→ http://bit.ly/eTJk9E (55年体制と日米安保の闇)

2011-05-14 19:00:35
fever7777 @fever7777

【バックナンバー2】第四章→ http://bit.ly/g8fZSJ (高度成長) 第四章補足→ http://bit.ly/e1Ezrd (子供の視点からの高度成長) 第五章→ http://bit.ly/dITthc (三角大福・前期)

2011-05-14 19:01:05
fever7777 @fever7777

【バックナンバー3】第六章→ http://togetter.com/li/125274(三角大福・後期) 第七章→ http://togetter.com/li/126825(新自由主義の萌芽)

2011-05-14 19:01:30
fever7777 @fever7777

【バックナンバー4】第八章→ http://togetter.com/li/130259 (ニューリーダー時代) 第九章→ http://togetter.com/li/133144(55年体制崩壊)

2011-05-14 19:01:55
fever7777 @fever7777

【第十章】経世会支配の終焉(1994~2001) 村山内閣から森内閣まで

2011-05-14 19:02:23
fever7777 @fever7777

1. 1994年6月に羽田内閣が退陣すると、新党さきがけを媒介として自民党・河野洋平総裁と社会党・村山富市委員長が連立協議を行う。河野は村山首班の打診を行い、社会党との合意に達する。連立与党は自民党を離党した海部俊樹を首班候補に担ぎ出す。その結果、村山が勝利した。

2011-05-14 19:02:38
fever7777 @fever7777

2. 村山富市は社会党右派の出身(当時のメディアは反小沢サイドを左派と呼称したが誤り)であり、1993年9月から山花貞夫の自任にともない委員長に就任していた。社会党在籍者の総理大臣就任は、片山哲、鈴木善幸に次ぐ3人目であった。

2011-05-14 19:03:05
fever7777 @fever7777

3. 村山は1994年7月の首相就任とともに「自衛隊は合憲」と歴代の自民党出身総理でも言い難いことを発言、社会党の政策を大幅転換してしまう。以後、村山内閣では、その後の社会党大分裂につながる強硬的な政策を打って行く。

2011-05-14 19:03:35
fever7777 @fever7777

4. 1995年1月に予期せぬ阪神・淡路大震災が発生、対応の遅さが支持率急落をもたらす。続いて3月には地下鉄サリン事件が発生、村山は破壊活動防止法を適用してしまう。6月の全日空機ハイジャック事件では、警察の特殊部隊を突入させる。一連の対応は、極めて自民党的であった。

2011-05-14 19:04:05
fever7777 @fever7777

5. ただ1995年8月にはいわゆる「村山談話」を発表、日本の植民地支配を公式に謝罪したところは、いかにも社会党らしいとも言えよう。結局、政権は事実上竹下登の意向を大きく汲んでいたため、経世会支配が復活しただけであるとみる向きも多い。

2011-05-14 19:04:35
fever7777 @fever7777

6. 1996年1月、高齢と総理の器でなかったことなどから村山は退陣、連立三党は橋本龍太郎を首班指名し、橋本内閣がスタートした。橋本は1995年9月、自民党総裁選で小泉純一郎を破り、自民党総裁に就任していた。河野洋平前総裁は宮澤派の支持が得られず、出馬を辞退していた。

2011-05-14 19:05:05
fever7777 @fever7777

7. 橋本龍太郎は、大蔵大臣、通産大臣、厚生大臣、党幹事長、政調会長など主要ポストを歴任しており、田中角栄の言葉を借りるなら「総理総裁の資格」を備えた最後の総理大臣である。また河野と並び国民的人気を強い武器としていた政治家と言える。

2011-05-14 19:05:35
fever7777 @fever7777

8. 橋本はまず住専の不良債権に6,800億円もの財政支出を行い、最大野党の新進党やメディアから大反発を受けた。しかし米クリントン大統領との日米首脳会談で、普天間基地返還の道筋をたてたことで、支持率を上昇させる。1996年9月には衆議院を解散、自民党は28議席を増やす。

2011-05-14 19:06:05
fever7777 @fever7777

9. 総選挙の勝利を踏まえ、1996年11月の第二次橋本内閣は、3年ぶりの自民単独政権として発足、社会党とさきがけは閣外協力に留まった。橋本は行政改革に着手、直属の行政改革会議からは官僚出身者を一切排除するなど、一定の評価を受けている。

2011-05-14 19:06:35
fever7777 @fever7777

10. またロシアのエリツィン大統領と、2000年までに平和条約を締結する合意を得、さらには1996年12月のペルー日本大師公邸人質事件を邦人犠牲者ゼロで乗りきった。このあたりまでが橋本内閣の絶頂期であったと言える。しかし、内外からの政権を揺さぶる動きが顕在化する。

2011-05-14 19:07:05
fever7777 @fever7777

11. 1997年通常国会の駐留軍用地特措法は、新進党党首の小沢一郎の協力で成立した。しかし自民党内は、加藤紘一や野中広務など「自社さ維持派」、梶山静六や亀井静香などの「保保連立派」の路線対立を産むことになった。

2011-05-14 19:07:35
fever7777 @fever7777

12. さらに橋本は、1997年6月「米国債の売却」に触れ、米国市場からの批判を浴びる。橋本は財政再建論者であったが、北海道拓殖銀行や山一證券が破綻してしまう。さらには消費税増税を図り、恒久減税を巡る発言が二転三転し、1998年7月の参議院選で自民党は敗北してしまう。

2011-05-14 19:08:05
fever7777 @fever7777

13. その結果、橋本内閣は総辞職し、1998年7月に小渕内閣がスタートする。小渕恵三は経世会会長であり、重要閣僚である外務大臣、内閣官房長官などを歴任したが、大きな実績を残すまでには至っていない。むしろ裏方としての働きが多く「人柄の小渕」と呼ばれた。

2011-05-14 19:08:35
fever7777 @fever7777

14. 橋本退陣後の総裁選挙では、梶山静六=軍人、小泉純一郎=変人、小渕=凡人、の3人で選挙戦を行ったが、経世会の大多数をまとめた小渕が勝利した。小渕はニューヨークタイムスからは「冷めたピザ」と呼ばれ、あまり国内外からの評判は芳しくはなかった。

2011-05-14 19:09:05
fever7777 @fever7777

15. 1998年10月の金融国会では、野党・民主党案を丸飲みするなど、優柔不断さが前面に出てしまう。なお、この頃までには、社会党、新党さきがけ、新進党は分裂していた。社会党は社民党と党名を改めている。この頃には、現在与党の民主党が発足している。

2011-05-14 19:09:35
fever7777 @fever7777

16. 1999年1月には、小渕内閣は小沢一郎の自由党との連立政権となる。政権基盤は安定し、、周辺事態法(日米ガイドライン)、憲法調査会設置、国旗・国歌法、通信傍受法、住民票コード付加法(国民総背番号制)などの重要法案を次々に成立させた。10月には公明党も連立に加わる。

2011-05-14 19:10:05
fever7777 @fever7777

17. 小渕内閣には強いリーダーシップはなく、国務大臣の裁量権が大きかった。小渕内閣の目玉は、大蔵大臣に首相経験者の宮澤喜一を起用したことだった。宮澤は42兆円もの経済対策を打ち、公共事業を行いながらも、減税や金融対策に充てた。この結果、景気が上向いてくる。

2011-05-14 19:10:35
fever7777 @fever7777

18. ITバブルの発生などで、日経平均株価も2万円台まで回復、しかし想定のつかない事態が待っていた。2000年4月1日には自由党との連立交渉が決裂、翌日には小渕は脳梗塞で倒れてしまう。そして4月5日には、青木幹雄首相臨時代理から、小渕内閣の総辞職が発表される。

2011-05-14 19:11:05
fever7777 @fever7777

19. 青木が首相臨時代理に指名されたか否か野党から「疑惑」として追求されたが、小渕の後任を「五人組」が密室で選んでしまうという更なる問題が生まれた。5人とは、森喜朗幹事長、野中広務幹事長代理、亀井静香政調会長、村上正邦参議院議員会長、青木幹雄官房長官である。

2011-05-14 19:11:35
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