フィギュア野外撮影者がポケモンの指人形を連れて、熊本で現代へ受け継がれた軌跡を感じた旅行記
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ポケモンキッズを用いたフィギュア野外撮影を、1都市1キャラのポケモンを分布させるべく、ロケ都市数にして380箇所。それらを旅行記という形Twitterに連載し始めたところ、改めて旅先のことを調べ直してみるまで知らないままであったことに出会えることがまた愉しいなど、堅い言葉遣いしかできない私にとって、旅行記という形態が元からあるべき姿だったのではないかと思われるほどに。
また、Twitterへの投稿は紀行番組の本放送、トゥギャッターまとめは紀行番組の書籍版という、異なる趣旨を持たせることができた。
その流れで、当企画を「不定期放送の教養番組『ポケモンキッズと巡る旅行記』シリーズ」と銘打ってみた。
『ポケモンキッズと巡る旅行記』シリーズ、第11章は、ヒメグマを連れて旅をしました、ここはどこでしょうか。 背後には堂々たる天守閣が。 そう、熊本です。 pic.twitter.com/UJz8EZstxE
2019-06-03 19:07:53というわけで、不定期放送の教養番組『ポケモンキッズと巡る旅行記』シリーズ第11章、熊本の投稿を始めましょう。 今回の旅のお供はヒメグマです。 果たしてどんな出会いが待っているのでしょうか(♪番組オープニング効果音) pic.twitter.com/A6s3fXT7kX
2019-06-03 19:09:25ヒメグマを連れて熊本城を登閣しました。 撮影に出かけたのは確か2015年だったと思います。 ということで、次ツイートからこのようなヒメグマの写真を貼りつつ熊本城の来歴について説明していきましょう。 pic.twitter.com/x6TFFZMlCq
2019-06-03 19:11:37(訂正版)熊本城が位置しているのは、熊本市街を北から南へ半島状に伸びる「京町台地」の、その南の先端です。 この京町台地は、阿蘇山の火砕流堆積物が元です。 pic.twitter.com/shK05lKeYZ
2019-06-07 19:38:46それでいうと、私が地球科学を色々学んだ時、最も畏怖したのは火山学だったんです。 ここ、南九州だけでも、阿蘇山、姶良カルデラ、鬼界カルデラなど、過去に大噴火を起こした火山が大量にあって。 火山噴火の影響を知るだけで、こう、体が半分異次元にいるような感覚に襲われるんです。 pic.twitter.com/MxwEdcTz9W
2019-06-03 19:18:21何というか、(歴史書に記述がある、という意味での)有史から現代までの文明が、たまたま破局噴火のない時代に築かれたに過ぎないんだな、と。 縄文時代以前には火山の巨大噴火によって定期的に滅んできた、こんな内容なんですよね、火山学って。 もう、火山学に対しては「畏怖」しかないです。 pic.twitter.com/RyTYdPfYxp
2019-06-03 19:21:56さて、今回、ヒメグマのポケモンキッズを連れて訪れた熊本城自体の来歴に移りましょう。 戦国から江戸時代に移る当たりの1600年頃の、加藤清正による築城です。 で、この城がまた守りがめちゃくちゃ堅いのよ。 pic.twitter.com/MKrW0HD7bq
2019-06-03 19:24:58まずは熊本城天守閣。 ご覧の通り、天守閣が2つありますよね。 大小2つの天守閣がある城はそこまで珍しくはないですが、少なくとも、鉄壁の防御という意思表示は嫌というほど感じますね。 ヒメグマ越しに撮影することで、それが和らいでいませんか? ないですか。そうですか。 pic.twitter.com/reZmsE4XMv
2019-06-03 19:27:44熊本城天守閣に続いてはこちらの櫓(やぐら) 天守閣、いわば本体から独立した建物でこれだけの規模。 いかに防御したいかがよくわかりますね。 こちらの「宇土櫓」は、熊本城の中でも数少ない、江戸時代からある建物です。 pic.twitter.com/CLUHwh2GwQ
2019-06-03 19:30:42こちらの熊本城宇土櫓、手元の資料によれば、天守閣から独立した建物なのに、他の城の天守閣に匹敵する、とのこと。 確かに、立派ですね。これ自体が天守閣本体と言われても疑問に思いませんよ。 これに匹敵する天守閣の城って、色々と心当たりが……(強制終了) pic.twitter.com/xKXQ7bpyIZ
2019-06-03 19:33:59さて、ここからはヒメグマのポケモンキッズを連れての熊本城天守閣の内部からの写真になります。 天守閣から西の方向。 先程の「宇土櫓」も見えますね。 これが攻める側だったら、この城を落とそうっていう気にはなれないですね…。 pic.twitter.com/3lh4YPVNSS
2019-06-03 19:36:25こちらは熊本城天守閣から南側。 ヒメグマのポケモンの指人形越しに熊本市街を写した格好です。 中央には路面電車の線路(緑地帯)も見えますね。 うん?その路面電車の線路のすぐ右には、別の熊がいる…(畏敬) pic.twitter.com/ySjkgmatfw
2019-06-03 19:40:36ああああああああああ!この熊はあああぁぁぁ!!! pic.twitter.com/ehc7gWKZks
2019-06-03 19:40:37今までの投稿から察しが付く通り、熊本城を訪れたのは、大雨の日でした。 記憶が定かではないですが、たしか台風直撃の日だった覚えが…。 というわけで、ヒメグマを連れての旅とはなったものの、ヒメグマ越しに阿蘇山や有明海の写真を撮ることは、残念ながら出来ませんでした。 pic.twitter.com/UYKkD80PId
2019-06-03 19:43:48本日の投稿はここまで。 ヒメグマのポケモンキッズを連れての熊本城の写真を貼りつつ、熊本城の来歴についてお話ししてきました。 次回は天守閣を降り、石垣を見つつ、次の歴史:西南戦争についてお話していきましょう。 ありがとうございました。 pic.twitter.com/AqCuc7XJIv
2019-06-03 19:46:03別の日の投稿として続きを。
では、本日分の投稿を始めましょう。 ヒメグマのポケモンキッズを連れての熊本旅行記、次は天守閣を降り、石垣の間を進みます。 熊本城は石垣の見事さでも有名です。 そんな石垣をこれから見ていきましょう。 pic.twitter.com/R9KmMVVCEI
2019-06-07 19:40:28熊本城を建てた加藤清正が恐れていたもの。 それは、南隣、鹿児島の島津氏です。 戦国時代であれだけ暴れまわった島津氏に対しては、防御を幾重にも幾重にも構成しても、心理的には際限がないですよね。 そんな強固な防御として見ると、こちらの、ヒメグマ越しの奥の石垣、角度がついていません? pic.twitter.com/DDvdMTNcCh
2019-06-07 19:44:01そう、熊本城の美しさを語る上で、この石垣の勾配は欠かせません。 これは、「武者返し」という、上に行くほど角度が急になる構造です。 で、石垣ということは、石を積み上げてこんな角度を作り出しているということですよね。 これは、お見事。 …的な感じのヒメグマの一枚。 pic.twitter.com/xUU3xRRtfQ
2019-06-07 19:47:40さて、熊本城は守りが堅いという点は、石垣のみならず、櫓の数にも見られます。 築城当初は櫓の数49って、防御拠点が多すぎですよね…。 登れない石垣の上に大量の櫓、その櫓から攻撃が飛んでくるって、もしこの城を攻めるのなら、この状況だけで畏怖してしまいますよね。 pic.twitter.com/3F9hLpmYuc
2019-06-07 19:51:09ではここからは、ヒメグマのポケモンの指人形を写しこんだ熊本城の写真を貼りつつ、西南戦争についてお話していきましょう。 戦国末期、1607年に加藤清正によって完成した熊本城、南の薩摩を恐れ過剰ともいえる防御でしたが、それが実践されるときが来ます。 270年後、明治時代の1877年のことです。 pic.twitter.com/Qr4LhQMrn9
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