渡邊芳之教授@ynabe39による「「結果によって論理を修正していく」ものが科学です」

現に自分の予測が外れたときに「相手がまぐれ当たりである」と主張する暇に「自分はなぜ予測を外したのか」を考えるのが科学的態度じゃないかということ。
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渡邊芳之 @ynabe39

3月にメルトダウンだと言った人を「デマだ」と批判しておきながら、いまメルトダウンだと言ってる人を「それはすでに3月に起きたことでいま騒いでもしょうがない」というのはやはり都合がよすぎると思う。

2011-05-16 21:46:01
渡邊芳之 @ynabe39

それもそうだし、その時点での「悪く言いふらす輩」の予想より現実はもっとひどくなったわけです。

2011-05-16 22:07:20
渡邊芳之 @ynabe39

ある意図で述べられたことは事実であってもデマで、違う意図で述べられたことは事実とは違っても正しい、と言えない限りね。

2011-05-16 22:10:10
渡邊芳之 @ynabe39

「結果が予想できない」という点では「デマ」を出す側も批判する側も同じなのに「デマを批判する」という立ち位置がいっけん冷静さや客観性をまとって見えることに酔ってしまう愚かさ、というお話。

2011-05-16 22:26:42
渡邊芳之 @ynabe39

だからさ、論点は「自分がデマだと批判したことが事実であるとわかった、あるいは結果として事実になった」ときにあなたはなんて言うの?というそれだけのことなんですよ。で、現に比較的早い時期に「デマだと決めつけるな」と言った人は間違いなくいたわけ。

2011-05-16 22:33:34
渡邊芳之 @ynabe39

だからさ、「デマを批判する」という立ち位置を取るとなにか主張の妥当性が向上するというような錯覚が滑稽だよねと言う話。

2011-05-16 22:37:57
渡邊芳之 @ynabe39

アプリオリに正しい答えは常に「わからない」だけなんだよね。「わからない」と言った人だけが正しい。それ以外はデマを言おうがデマを否定しようが大きな差はない。

2011-05-16 22:40:30
渡邊芳之 @ynabe39

すごく単純な話で、メルトダウンしているとわかった後でも3月に「メルトダウンだ」と主張した人を「デマを拡げた」と批判することが可能か?ということ。

2011-05-16 22:45:07
渡邊芳之 @ynabe39

「デマ」とは「自分が信じたくない誤情報」のことである。

2011-05-16 22:52:09
渡邊芳之 @ynabe39

なにしろ現に「デマだと言われた情報のほうが正しかった」という結果が出ていることについてはなにを言っても虚しい。もちろん次はそうならないかもしれないが、今回は「デマと言ってごめんなさい」という以外の選択肢はないよ。

2011-05-16 23:03:22
渡邊芳之 @ynabe39

自分がデマだと否定した主張が結果として事実になったときに「これはまぐれ当たりであってデマだと言った自分は間違っていない」と合理的に主張できる方法があるなら教えて欲しいです。

2011-05-16 23:09:47
渡邊芳之 @ynabe39

Aさんは「神のお告げで明日は晴れだ」と言った、Bさんは「気象学的に明日は雨だ」と言った。翌日は晴れだった。このとき「Aさんはまぐれ当たりでBさんが正しい」という人がいるか。

2011-05-16 23:16:23
渡邊芳之 @ynabe39

「現に外した」「自分がデマだと言ったことが結果として事実だった」ということをきちんと認識して反省できないのは「科学的でない態度」だと思いますよ。

2011-05-16 23:26:59
渡邊芳之 @ynabe39

結果は正しくないが経緯は正しい主張を結果が正しい主張より重視する理由はどこにもないです。結果が正しくなかった主張をした者はとりあえず沈黙せよ、ということです。

2011-05-16 23:39:47
渡邊芳之 @ynabe39

むしろ私の知る限りは「結果によって論理を修正していく」ものが科学です。「予測は外したけど予測を当てた人より自分の方が考え方は正しい」なんて言う科学はない。

2011-05-16 23:46:56
渡邊芳之 @ynabe39

相手を疑うのもいいけど自分を疑わないのはバカだよ。それも現に自分の主張が間違っていたという結果がすでに与えられているというのに。

2011-05-16 23:51:32
渡邊芳之 @ynabe39

だからさ、現に自分の予測が外れたときに「相手がまぐれ当たりである」と主張する暇に「自分はなぜ予測を外したのか」を考えるのが科学的態度じゃないかということ。

2011-05-16 23:55:02
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょくいつもの「非対称性」の問題なんだ。どちらとも断定できない状況でAと主張するとデマと言われ、Bと主張してもそうは言われない。ここには社会構造や人々の願望や不安が反映されているのだろう。

2011-05-17 00:04:41
渡邊芳之 @ynabe39

あるいは「まぐれ当たりする人と同じ結論をきちんとした論理で導けなかったことの原因の考察」。まぐれ当たりした人が悪いのではないよね。まぐれでも当てられるようなことを自分は当てられなかったのは何故かという問題。

2011-05-17 00:10:15
渡邊芳之 @ynabe39

「最悪の事態を想定しようとする人」も「デマゴーグ」として批判してしまったのが敗因。

2011-05-17 00:13:04
渡邊芳之 @ynabe39

とりあえず「結果として正しかった時点でその情報をデマというのはやめる」というのは基本だと思う。

2011-05-17 00:15:11
渡邊芳之 @ynabe39

ようは人の好き嫌いの話をしている。この人は嫌いだからこの人のいうことはデマ、この人は好きだから信じる。好きな人が嘘を言ったらどうするのか。

2011-05-17 00:24:44
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく「デマゴーグ論」と「御用学者論」は原発に対する立場の違う人たちがそれぞれ情報の正誤を属人的に判断しようとしている全く同種の虚しき営みなのだ。

2011-05-17 00:27:06