運動と政治をめぐって
- ryusukematsuo
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上手く説明できませんが、民主主義は選挙を通じて国民と政治家が意思疎通するべきものであって、デモ等の方法は邪道、見たいな言説ですかね。或は、体制変革を伴うイデオロギー的議論を忌避するような言説。QT @myamadakg: 「選挙民主主義」に対する過剰な言説って?
2011-05-16 23:43:23使い手はどなたでしょう? QT @kankimura: 上手く説明できませんが、民主主義は選挙を通じて国民と政治家が意思疎通するべきものであって、デモ等の方法は邪道、見たいな言説ですかね。或は、体制変革を伴うイデオロギー的議論を忌避するような言説。
2011-05-16 23:45:20ぼくはあんまりそういう教育を受けていないかもしれない.^^;; QT @kankimura: @myamadakg 最大の担い手は、学校教育、かな。
2011-05-16 23:47:25@kankimura いわゆる「人騒がせな」参加形態に対する冷淡な態度は,この前の反原発デモについても見受けられましたね.
2011-05-16 23:50:53偏見かもしれないけれど70年代後半からストライキについても共感が減って,迷惑を訴える人が増えていった印象があるな.
2011-05-16 23:54:49@myamadakg 学生運動の破綻の反動かと。浅間山荘事件当たりで完成、という印象。
2011-05-16 23:57:18直接はなくても、メディア言説当たりから、データは簡単に作れると思います。QT @myamadakg: そういうデータってやっぱないかな?
2011-05-16 23:59:00あと過激派による爆弾テロね. QT @kankimura: 学生運動の破綻の反動かと。浅間山荘事件当たりで完成、という印象。
2011-05-16 23:59:56メディア言説が世論の鏡という仮定を置くならね. QT @kankimura: 直接はなくても、メディア言説当たりから、データは簡単に作れると思います。QT @myamadakg: そういうデータってやっぱないかな?
2011-05-17 00:01:13そういうものを背景にした政府と対抗勢力の相互作用に注目していくのが政治学的発想だと思います. QT @tarorx: その背景としては多分に、経済的・社会的不満がなくなっていったという現実があるのでしょうね。
2011-05-17 00:04:53豊かになるから不安や不満がなくなると考えるのは自然だけど,豊かになるから利用できる運動資源が増えるということもあるからなぁ.
2011-05-17 00:06:32理論的に、世論の言説、というのは、設定不可能な気もしますが。話されて、或いはかかれて初めて、言説ですし。QT @myamadakg メディア言説が世論の鏡という仮定を置くならね.
2011-05-17 09:26:47「マスにイデオロギーなんてない」という某大先生の蒲島イデオロギー研究批判を思い出しました QT @kankimura: 理論的に、世論の言説、というのは、設定不可能な気もしますが。話されて、或いはかかれて初めて、言説ですし。
2011-05-17 11:46:50@myamadakg イデオロギーと言説は違うような。言説は、認識の枠組みであり、表出されてはじめて言説ですから。例えば、メディアでもネットでもない(ネットも広い意味のメディアですが)、とすればその言説の空間はどこなのか。あるとすれば、日常会話、かなぁ。
2011-05-17 12:43:33@kankimura イデオロギーと言説は無論違いますが,エリートのイデオロギー分析は言説を通じてなされます.マスの場合はまずサーヴェイ,それがなければ新聞記事となるわけで.谷口将紀さんのTime Machine論文(IPSR)なんかが例かと.
2011-05-17 13:30:59エレクトラルデモクラシーとは、定義がいろいろあるけど、形式的な意味合いが濃いので、実質的なデモクラシーとは区分される。デモのような実質的な運動は、形式論の文脈には相入れないというのがひとつ。
2011-05-17 14:03:08