- JO_JO_t_kaoru
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故に土俵でのカーストが生なければ良いという考えが出てくる。しかしそれは力を認識し、流れを知っている者から言わせれば、自明であり、水が高いところ、低いところに落ちていくという作用みたいなものだ。変えようがない。
2019-06-25 14:27:06だけど持てない奴も一定数いるのも自明である。そんな奴らを切り捨てて、能力がある奴だけが次の時代を進めば良いのか?そんな課題を昔から我々は突き付けられ、往々にして切り捨ててきた。それ悪いと断じるのは簡単であるが、
2019-06-25 14:28:43そんな中、読んだ漫画が『月光条例』、その中で語られていた「デクノボー」という認識。 pic.twitter.com/5GUUPKWzl4
2019-06-25 14:29:45簡単に言おう、この漫画の中の「デクノボー」は、強い奴は弱い者の前に立って、ちょいと無理して弱い奴が良くなるよう頑張る奴の事を言う。
2019-06-25 14:29:58だがねぇ、それしかないんだわなぁ。一定数能力がない人はいるわけだ。そいつらを切り捨てるしかないとか、切り捨てても良いとする人は、それしか方法がない。その能力しかないという事だ。
2019-06-25 14:30:21「デクノボー」はそうじゃない、「ちょっと頑張れば助かるんだったらオイラが頑張る」ってそんな奴が世の中には大事なんですよ。
2019-06-25 14:30:44だけど、そいつらばっかりに任せて、馬車馬のように働かせて、その輝かしい栄誉のまま散っていてもらうのも、寝つきが悪い。デクノボーが自分の理想のために頑張ってカラダを傷付けて、壊れて、幸せになれないなんて、やっぱり嫌なんですよね。
2019-06-25 14:31:08だから多少なりともデクノボーたちの負担を減らしてやるってのは気持ちとしては、自明で心情に現れる。それを助けてやれるのが、今のところ教育という役割だけなんですよね。
2019-06-25 14:31:46だけど、それだけではもちろん足りない。アビリティがこいつらは足りないって切り捨てる判断するやり方もありゃ、デクノボーみたいに弱い奴らを守るやり方もある。しかし手っ取り早いのは、アビリティない奴らにアビリティを付けてあげるきっかけ作りを行う事だと思う。
2019-06-25 14:32:19ここからはビジネスにしたいので言わないが、彼等にアビリティが付けば、デクノボーの負担を減らして、別の何かにその『勢い』が使えるかもしれない。それだけでも個人にも社会にも良いのだと思う。
2019-06-25 14:32:25それを叶えるにも、まず人類はある権利を認知し認識しなきゃいけない。 その前に権利とは何か。俺の認識からすれば、先ほどご紹介したチカラ、そのチカラ(自らの意思を望みどおりに実現させる力)を、本当に実現させるために使う道具である。
2019-06-25 14:32:42俺が示したい新しい権利、それは【他人に距離感を求める権利】だ。これにより、人は他人との距離の取り方に色々な方法がある事を知り、その距離の取り方から、その人の人となりを検討でき、かつ話合いの場に引きずり出す事も可能になる。
2019-06-25 14:33:22つまり他人対して、距離感を持ってもらう事、それは他者に方向性を示し、かつその方向性の強さを示す事ができるという事だ。俺の考えとして、先ほどの能力はもちろん、この権利の認識、認知そのものがアビリティとなると思う。
2019-06-25 14:33:27具体的に言うと、権利を行使すれば、その関わり合いの際に、自分の立ち位置を明示することで相手の立ち入りにくい事に関しても、立ち入れられる可能性があると言えないだろうか。
2019-06-25 14:33:36またこの権利から制度作りも出来、他者との距離感を埋める事が下手な人々でも、ある程度の物差し(基準)があれば、アビリティがない人々でも使えるかも、この物差しでどういう関わり方をしたいかもわかる。
2019-06-25 14:33:43人間は余裕が欲しい、いつもハァハァ、ゼェゼェ、言いながら、物事を進めたくない、それに慣れて、カラダの使い方がわかる人は多少無理してるように見えてもコントロールできている、しかしそれも管理できる能力(アビリティ)だ。だからそういう人は対象ではない、
2019-06-25 14:33:59本当にアビリティがなく、疲れている人だ。そういう人たちがアビリティを自らに作り上げる、そんな環境があれば良い。
2019-06-25 14:34:04これはアビリティがない者を強くするチャンスでもある。アビリティ無き者が助けられている状況を見て、特になにも思わない可能性もあるだろう、ただそれでも良い。ただデクノボーが頑張ってる姿を、それも自分に対して頑張ってる姿を見て、自身の中に何も起きないのであればそれでも良い。
2019-06-25 14:34:35そんな価値観の人間には能力をもたらせても何も得られない。例え能力があっても、使わなければ、「ない」に等しい。そんな人間に期待などはしていない。
2019-06-25 14:34:47つまり目指すべきは、アビリティがない者が、デクノボーの姿を見て、自分でも何かやらなければという感覚をもってもらい、そのチカラを伸ばすような動きを取り、もしかしたら、自分が誰かのデクノボーになれるかもしれない。そんな状況の機会を、アビリティ無い者に与えることが良いと考える。
2019-06-25 14:35:01デクノボーが増えれば、デクノボーは休まれる。能力(アビリティ)を持ち、かつ頑張れる人を応援するそんな世が良い気がする。
2019-06-25 14:35:12それを達成するためには、自己顕示欲も必要だし、承認欲求も必要だ。アビリティのない連中にもそれら人間工学的心理を利用できれば、アビリティを育てる、つまり強くなれるきっかけとなると考える。
2019-06-25 14:35:22