テレビとサブカルの関係はやっぱり大きい気がして、テレビで見ている文化をみんな知っている、という状況がない。ネットは本当に分散したものが乱立していて、どれもこれも肥大化している。そしてそれをブレイクビーツみたいにリミックスする人が出てきてカオス化する←now!
2011-05-18 03:24:35@trancefer 「メジャー」のジャンル化、ってのはすごいしっくりきました。サブカルに小さな箱がいっぱいあるなら、「メジャー」というのも一つの大きめの箱なんですね。なるほど。共通言語になるのがその箱の中で、人数がどれだけなのか、というかんじでしょうか。
2011-05-18 03:23:05ちなみにさっき話していた中身の続き。サブカル自体はやはり存在していて、それは「亜流」という考え方から「破壊からの再構築」になっているんじゃないか、という考え。例えばカオスラウンジや、ニコニコMAD文化みたいなもの。コラージュ的な感覚に近い。
2011-05-18 03:20:05あ、そうかわかった。サブカルがメインカルチャー化しすぎてたくさん並列して並ぶ時代になった(例・テレビをみんなが見なくなって共通言語が変わった)からこそ、音楽や文学なんかは分散しはじめているのかな。オリコンで売れる=メジャーじゃなくなった。インディーズでもメジャー、みたいな。
2011-05-18 03:13:31@k_kinono サブカル、って言葉自体が意味を無くして(80年代くらいは明確だったと思う)、ポップカルチャーが多数流れている状態なんだろうなと思ったりします。ただ「サブカル魂」みたいなものは別にありそうですよね。あるいはカウンターカルチャー魂でしょうか。
2011-05-18 03:11:19ただし末端であるのはかわりないので、例えば一部の濃いアニメは有名になって売れてメジャー化しても、末端であることにはかわりがないので、みんなが知っている文化なわけではない。この場合「サブカル」という言葉が正しいかどうかはわからないけど、「亜流が別の本流になった」というべきか。
2011-05-18 03:04:33@k_kinono ですね。サブカルチャーなのかカウンターカルチャーだったのかでも異なりそうです。パンクは反体制だったのに、反体制が肥大化してポップカルチャーになったらそれはなんなのかぼくにはわかりませんw
2011-05-18 03:06:53ちょっと今日していたはなしのメモ。「サブカル」というのはあくまでも亜流、またはカウンターだったはずなのに、みんながその末端である「サブカル」に集まったことで肥大化し、末端側が「メジャー」化してしまったというのは面白いね、という話。
2011-05-18 03:03:02