ライトノベル作家・扇智史のつぶやき連作短編「ミッドウィンター・ログ」:エピソード1
- mizunotori
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「雪、強くなった?」あたしはらっこの頭の雪を払いつつ言う。見た目にはホロ雪と混じって区別できないけど、手の甲の冷たさと、らっこの顔で何となく分かる。らっこはまた天気情報を呼び出して、「まだ強くなりそうだね」「明日は久々に、積もるのかな」「かもね」
2011-05-18 22:06:13「どっかで温まってこうか」あたしが提案すると、らっこは「ガレ横?」「なら、サンレインかな」「賛成。しばらく行ってないしね」あっという間に合意して、あたしたちは坂道をずっと降りていく。そのうち、灰色をした高架の線路と、その下にごみごみとひしめくお店の看板が見えてくる。
2011-05-18 22:07:51ガレージ横丁は、今日も胡散臭い。錆びた看板からはホロキャラが飛び出し、回転灯が十年前のおすすめアイテムを教えてくれる。高架の下の空間は、もとはレンタルスペースだったらしいのが、なし崩しに店舗に転用され始めたという。そのせいか、店構えもぎゅうぎゅう詰めだ。
2011-05-19 21:22:18もうネットにも接続しない古いデータを、アンティーク的に有り難がる人たちが自然に集まって形成したのが、この横丁だという。店先のホロキャラが頭にホロ雪を積もらすのはいつものことだが、今日はいつになく寒そう。あたしも、ちょっと身震いしてしまう。
2011-05-19 21:23:44喫茶店『サンレイン』は、横丁の中ほどにある。磨りガラスのドアを開けると、からんころんと年代物のベルが鳴る。「いらっしゃい」お客のいないカウンターの向こう側、眼鏡とヒゲで顔の大半を隠したおっさんが、声だけ明るくあたしたちを迎えた。
2011-05-19 21:25:09「どうも、ね、この寒いのに」マスターの言葉にあたしは苦笑い。「寒くて、帰りたくないから」「女子高生がおじさんに『帰りたくない』なんて言うもんじゃない、ね」「やだ、変態」「そういうの喜ぶ人もいるから、気をつけな、ね」「マジ変態ですね」らっこの冷めた突っ込みが怖い。
2011-05-19 21:26:27カウンター席に腰を下ろす。陳列ケースにはいろんな種類のコーヒー豆がぎっしり詰まっていて、その上にホロ情報が浮き上がっている。グァテマラの明日の天気は晴れ、モカの値段が上昇傾向、とか。「ご注文は?」「あたしカフェオレ」「私も」「……はいはい」
2011-05-19 21:28:02マスターが寂しそうにするのも毎度のことだけど、しょうがない。豆を選ぶとか、もっと味の分かる人のすることだ。「あ、そうだ」マスターはケトルを火にかけ、豆をミルに放り込みながら「また面白いの見つけたんだけど、ね。見る?」「見たい!」らっこが即座に手を上げた。
2011-05-19 21:29:28そのうち、店内にコーヒーの香りが満ちてくる。ホットないれたてのコーヒーに、ミルクを混ぜて、二杯分。あたしたちの前にカップを出してきたマスターは、そのまま奥へ引っ込んでいく。体の冷えていたあたしは、とりあえずカフェオレを一口。うん、口当たりもよくておいしい。
2011-05-19 21:31:02ほどなく戻ってきたマスターの手には、ピンクと黄色で彩られた小さなジュエルケース……って「わあ、クラリドールリュクシー!」思わず声が出た。ちょうどあたしが子どもの頃にやってた、女の子向け変身ヒロインアニメのアイテムだ。蓋を開けると妖精が出てきて、変身する奴。
2011-05-19 21:32:19「けど、これが?」「見て。ホロの方、ね」言われるまでもなく、らっこはスマホをジュエルケースに向けている。マスターが蓋を開けると、ぼん、という爆発音と同時に、妖精のベリーベリーが飛び出してくる。青い毛皮で全身を覆い、頭から長い耳を伸ばした、小動物のような雰囲気。
2011-05-19 21:34:04「懐かしいな。ちっちゃいころ、よく見てた」「私は覚えてない。たぶん裏番組のカードバトル見てたなー」「らっこらしいよ」言い合いつつ、あたしは妖精に手を伸ばす。あたしの指が、ベリーベリーの耳に触れた瞬間、「*********」聞き取りがたい音声が、妖精の口から吐き出された。
2011-05-19 21:35:17「うわ」とっさに手を引き、耳を塞ぐあたしの横で、らっこはむしろ嬉しそうだ。「これ、フェッチ?」「そう、ね。何をどうしたのか、ここに閉じ込められたんだと」マスターはベリーベリーの長い耳を指でなぞる。彼は眼鏡でホロを見ている。これまた今は生産されてない、貴重品の多機能メガネだ。
2011-05-19 21:37:10「*******」ベリーベリーの言葉は、どこの言葉かも想像できないが、何となく雰囲気は日本語に似てる。「日本語?」「音だけは」らっこはスマホのキーボードをスライドさせながら、言う。「おもちゃの発音機能を使ってるから、音だけは日本語に似てる。でも、言語にはなってない」
2011-05-19 21:38:31「何言ってるのかな?」「さあ? こういう計算力の弱いチップに閉じ込められたフェッチは、とにかく外と交流したがるから、何でもかんでも音を出すようになるの。四方を壁に囲まれた部屋で、とにかく壁をぶっ叩くような感じ。偶然モールス信号にでもなれば幸運、みたいな」
2011-05-19 21:40:10らっこはあたしに解説しながら、きゅきゅっ、と鮮やかな指遣いで文字を打っている。と、突然スマホの裏側から、山高帽をかぶったファンタジックで小さな人影が飛び出してくる。らっこがネットで使うアバターだ。その山高帽のアバターが発するのも、ベリーベリーの声を真似たような奇怪な音。
2011-05-19 21:41:36山高帽と妖精が、とうていこの世のものとは思えない言語を交わし合う。「意志、通じてるの?」首をひねるあたしを、マスターは優しく見つめる。「言わぬが花、って、ね」「はあ……」「閉じ込めフェッチとの対話なんて、成功したためしがないよ。彼女も、酔狂だ、ね」
2011-05-19 21:43:04マスターの言葉も耳に入らない様子で、らっこはベリーベリーとの会話(?)に集中している。あたしはカフェオレをかたむけつつ、横目にそれを眺める。……退屈だ。なまじやり取りが音で聞こえるだけに、気が休まらない。まともな会話をするべく、あたしは自分の携帯でヒメちゃんにメール。
2011-05-19 21:44:34『寒いねー((p(>_<)q)) 雪降って来ちゃったよ ヒメちゃん帰れた?』返事はすぐに『もう家 そっちは?』『ガレ横ー カフェオレで温まってる』『急がないと雪つもっちゃ』あれ、途中で切れた。しばらくして、『ごめん 切れた コメタがちょっかい出してくるから』
2011-05-19 21:46:03『ヒメちゃんちは賑やかでいいねー』『賑やかっていうか(^ ^; ともかく気をつけてね』『はいはーい』と、のんきにメールをやり取りしているうちに、らっこの挑戦は終わったようだ。椅子にぐったりもたれて、カフェオレをあおってる。……やっぱ、うまくいかなかったらしい。
2011-05-19 21:47:30箱は閉じられてしまった。ベリーベリーは、というかそれを動かしていたフェッチは、また箱の中。「……フェッチって、こういう時、何考えてるのかな」「さあね。まともな思考が出来るほど、上等なものじゃないと思う」らっこの口調は淡白で、さっきまでの熱中ぶりとは似ても似つかない。
2011-05-19 21:49:06「思考もないのに、会話?」「会話になるかどうかが面白いところなわけ」「難しい……」「さっきの壁の喩えだと、向こうが叩く壁の音を偶然私が理解して、逆に私の叩く壁の音を向こうが言葉と認めてくれるかどうか。そんな奇跡が、万が一にも起きたらいいなあ、って」
2011-05-19 21:50:39マスターの趣味はコーヒーとホロ骨董で、どちらにせよ、自分で仕入れたものには愛着があるんだろう。らっこは、その骨董の向こうに奇跡を夢見ている。ふたりのかたわらで、あたしだけが違うものを見ている気がする……いや実際、ホロが直に見えるのはあたしだけだけれど。
2011-05-19 21:52:02