解決された領土問題の事例

たまたま「領土問題」でWikipediaを引いたところ、解決された領土問題もあるということで、暇に飽かして概要をまとめてみました。
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注意事項

このまとめのツイートに書かれていることは、すべてWikipediaのみを参照した要約であり、事実と異なっている可能性はあります。暇つぶしの個人的備忘録と思って、深掘り、検証不足はご勘弁願います。

想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

竹島にしろ、北方領土にしろ、尖閣諸島にしろ、完全に解決しようと思ったら戦争以外にない気はする……とおもってWikipediaの「領土問題」を引いたら解決している事案はなくはないらしい。 » 領土問題 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98…

2019-07-28 11:12:30
リンク Wikipedia 領土問題 領土問題(りょうど もんだい)とは、ある地域が、特に陸地である領土が、どの国家の領域に属するかをめぐって、国家間での争いが起きることである。 国境の線引きに関するわずかな見解の相違や小さな無人島の帰属といったレベルから、主権国家を自称している地域全体を別の国家が自国領土と主張する場合(台湾問題など)まである。後者の場合は国家の承認問題にも発展する。 領土問題を抱える国家同士の関係も様々である。係争地域の実効支配をめぐる深刻な対立・衝突がなく、友好的に外交や貿易、国民の往来が続く場合もあれば(カナダとデンマ 17 users 21

クリッパートン島事件

リンク Wikipedia クリッパートン島事件 クリッパートン島事件(クリッパートンとうじけん、英:Clipperton Island Case)とは、太平洋のメキシコ沖に浮かぶ絶海の孤島で無人島であるクリッパートン島の領有権をめぐる紛争を解決した仲裁国際裁判である。無人島の先占と実効支配が領有権確定の決め手となった。国際法の慣例の一つである。 クリッパートン島を発見した記録の最古のものは1521年である。1705年にイギリス人のジョン・クリッパートン(John Clipperton)が上陸し、彼の名がつけられたが、イギリスは領有権を主張しなかった。そ 1 user 1
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

発見当時はそれほど価値が認められなかったのか、実効支配も、領有宣言もなかったため、後に産業的価値が発生した際、それぞれ独自に発見していたフランスとメキシコで領有問題が発生。 » クリッパートン島事件 - Wikipedia (link: ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…)

2019-07-28 11:20:33
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

当時は国際司法裁判所がなかったのでイタリアに裁定を任せた結果、最初に公的に領有を主張したフランス領であるという判決となったそうで。

2019-07-28 11:23:32
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

それぞれの主張がぶつかったのは1898年1月8日「イタリアの裁定に任せる」とお互いに了承したのが、1911年5月9日。ここまで来れば解決が見えてきたというところからでも、イタリアの判決が出た最終的な解決が1931年1月28日ということで、20年近いの時間が費やされたんですな。

2019-07-28 11:24:56

パルマス島事件

リンク Wikipedia パルマス島事件 パルマス島事件(パルマスとうじけん、英語:Island of Palmas Case)とは、フィリピンミンダナオ島のサン・オーガスチン岬と、オランダ領東インド(当時)の北にあるナヌーサ群島の中間にある孤島パルマス島(別名ミアンガス島)の領有権を巡って、アメリカ合衆国とオランダが1906年から争った領土紛争である。最終的には、1928年に常設仲裁裁判所でオランダの領土であるとの判決が下された。 1906年1月21日、当時フィリピンのモロ地方総督であったアメリカのウッド将軍がパルマス島を訪れたことが、事の発端
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

オランダが実効支配していたパルマス島アメリカは関心を持たなかったがパルマス島はアメリカ領であるという認識で、ある日ウッド将軍というアメリカ人がパルマス島を訪れた時にアメリカ領であるはずのパルマス島にオランダの旗が立っていることに気付いたことで発生した領土問題。

2019-07-28 11:33:00
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

両国は特別協定を結び、国際法に照らし合わせた裁定での解決を図る

2019-07-28 11:45:44
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

アメリカの主張:発見したのはスペインで、パリ条約によってフィリピンに関する権原をスペインからアメリカに移譲されている。よって、地理的にフィリピン・グループの一部であるパルマス島はアメリカ領である。

2019-07-28 11:45:44
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

オランダの主張:オランダは1677年から継続的にパルマス島において主権を行使し続けている。原住民の首長にもオランダが宗主国であることは認められており、よってパルマス島はオランダ領である。

2019-07-28 11:45:44
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

両国が同意して指名されたスイスのマックス・フーバーは次のように裁定:スペインによる発見後、オランダが主権を行使した際、なんら問題は発生せず、平和的にオランダの主権行使は継続されている。よって、パルマス党はオランダ領である。

2019-07-28 11:45:45
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

ようするに「オランダは今まで誰にも文句をいわれず、ずっと主権を行使してたんだから、オランダ領ということでOK」という解釈であってるかな……。この判断は後の領土問題を争う上で引用される重要な判例になっているそうです。

2019-07-28 11:45:45

プレア・ビヘア寺院事件

リンク Wikipedia プレア・ビヘア寺院事件 プレア・ビヘア寺院事件(Temple of Preah Vihear case)とは、カンボジアとタイが互いに領有権を主張していたプレアヴィヒア寺院の帰属を巡り、カンボジア王国の帰属であるとしたハーグの国際司法裁判所の判例である。なお、この項目では日本語参考文献出典のプレア・ビヘア寺院に統一するが、タイ側の呼称はプラーサート・プラウィハーンという。 プレア・ビヘア寺院は9世紀末にクメール人(現在のカンボジアを中心とする民族)がダンレク山地内の東側に建立したヒンドゥー寺院で、巡礼の地であるとともに、考古学的
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

関係各国の名称や主権保持国が変わっていくので理解しづらいんですが、最終的には国境に位置するブレア・ビヘア寺院が、タイに所属するのか、カンボジアに所属するのかという紛争。

2019-07-28 12:44:16
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

長い歴史の中でいろいろあったし理解しきれないので経緯は省きます。最終的に第二次世界大戦後、タイ王国がブレア・ビヘア寺院は自国の領有であると主張し、実効支配。これにカンボジアは自国の領有を主張し寺院の帰属、持ち出した美術品の返還をもとめて国際司法裁判所に提訴しました。

2019-07-28 12:44:17
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

結論はカンボジアの領有であるというもの。

2019-07-28 12:44:17
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

タイが領有権を主張したのは第二次世界大戦後が初めてであり、それまでカンボジア側から発行する地図(もちろん寺院の領有はカンボジア側となっている)を黙認しており、さらにタイの王族が訪問した際に、当時カンボジアで主権を持っていたフランスの接待を受けています。

2019-07-28 12:44:17
想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku

つまり、今まで散々カンボジア側から「領有はこっち」という主張がされている状態であり、それに対して抗議をする機会はあったのにしなかった。特に王族の訪問二際し、接待を受けたことにカンボジア側の領有行為に気付かないはずがないという事になります。

2019-07-28 12:44:18