産科医2名でお産が継続できない理由
- inakashoge
- 32857
- 411
- 36
- 41
とりあえず「周産期センター」というには 1)産科医が常勤で8名 2)新生児科医が常勤で8名 いないと、まともにシフトが回らない、というところから話をしないといけませんな。 それをクリアしてもし医師が余ったら、その周辺にも配置できる、というレベル。
2019-08-03 18:15:12周産期センターが無くなればそもそも開業産科診療所レベルも存在できないので、その地域から分娩施設は完全に消滅します。
2019-08-03 18:16:27なので、地方自治体の皆様におかれましては、自分の地域の周産期センターがどこで、そこに常勤産科医8名+新生児科医8名がいるかどうかを確認するところから始めていただきたく候・・・
2019-08-03 18:17:551〜1.5次の産科施設も常勤3名以上が好ましいと思っています。3人いれば ・一人はフリーで休める ・学会などで知識研鑽に参加できる これは2人で開業している自分の実感
2019-08-03 18:22:01地域によっては周産期センターのバックアップがあれば2名もしくは1名で産科施設を維持できるかもしれません。ただしそれは周産期センターが先ほどの人数を確保してきちんと運営できていることが前提条件。
2019-08-03 18:23:28なお周産期センターでは年間分娩数1000〜1500件程度を想定。帝王切開率は20~30%(ハイリスク扱うので)で年間300〜400ぐらいですかね。
2019-08-03 18:26:37件の市長の話ですが 丹波医療センターを見ると産婦人科医師は5名ですかね? 常勤医が何名かは分からないですが、ここにささやま医療センターの2名が加われば7名となって、周産期センターの必要産科医数8名に近づきます。そうすれば交代制勤務を違法労働状態を作る事無く概ね実施できる。
2019-08-04 00:57:05兵庫医大の構想はそういうことなんじゃないですかね? 地元民じゃ無いからわからないけど・・・。 そうならやる気の問題では無く、人員配置の問題。 で、優先順位は 3次施設>2次施設>1次施設 なんだな。
2019-08-04 01:00:00なんでかっていうと、周産期では1次施設は2次施設の、2次施設は3次施設という親亀の背中に乗ってる子亀なので、親亀がこけると子亀もこけるから。親亀がいないと子亀も存在できない。だから親亀を守ることが第一なんです。
2019-08-04 01:02:54なので周産期施設というのはそもそも多施設連携が前提なんですよね。それぞれの医療圏である程度完結するシステムを構築しないといけない。「自分の町に産科施設がありさえすればOK」というわけにはいかないんです。 まあ、理解してもらえるならあんな発言は無いでしょうけど。。。
2019-08-04 01:08:17ちなみに周産期死亡率で言うと、平成元年でもまだ10超えてるんだよね。5を切ったのは平成17年。昭和54年は20超えてる。一人で開業が当たり前だった時代(昭和50年代ぐらいまで)は周産期のリスクは今より結構高かった、という認識は必要。
2019-08-03 03:11:39医師の働き方改革は、医師だけの問題ではありません。これまでギリギリ以上に働いて地域の医療を支えてきた医師の残業時間が規制されたらどうなるか? お産をする施設はかなり減らして人員を集中させないと回らなくなります。私たちは何ができるのでしょうか? buzzfeed.com/jp/naokoiwanag… @nonbeepanda
2019-09-19 09:07:16むしろ集約化をやめて中小規模を増やして、出来るだけ産婦人科医の管理者を増やして労働基準法の枠外に。。。ゲフンゲフン というのがむしろ今までの産科だったんじゃないですかねえ。。。 twitter.com/nonbeepanda/st…
2019-09-19 09:50:31@mihyonsong 丹波篠山市長さんの頭の中はここで止まっているので、あの思考はやむを得ない。協定を結んだ頃もまだ双方そこまで切迫した状況ではなかったのでしょうね。 ただ、時代が変わりました。単に働き方だけの問題ではないです。
2019-09-19 13:10:02@mihyonsong かつての一人産科開業時代 ・医師一人+産科看護師で分娩取り扱い (で開業助産師との確執が、、、は別の話なので割愛) ・基本的に自宅と診療所が一緒でずっと宅直状態 ・帝王切開:近所の産科開業医を呼ぶ(お互い様) ・新生児科医はいない
2019-09-19 13:17:27@mihyonsong で、一人で年間300〜500件ぐらいの分娩を扱うのが普通。中には700とか900件なんていう猛者も。 で、団塊ジュニアの年間200万件のお産をこういう人たちが取り上げてた。これが今、だいたい70代以上の先生方。 ミドルリスクの分娩も扱っていたので、経験値はべらぼうに高い。
2019-09-19 13:23:56@mihyonsong ただ、周産期死亡率見るとこの時代(昭和 40〜50年代)はそこまで低くないんですよね。産科出血や DICへの対応、早期産児への対応などはまだ今ほど進んでいなかったので、そういう要因かなと思ってます。
2019-09-19 13:29:04@mihyonsong ウチの亡父がどっぷりこの世代ですが、一人開業で年間400〜500件ぐらい扱っていたらしい。でも、自宅と診療所が一緒なので、子供としては親の顔を全然見ない、ということは無かったです。そのあたりは勤務医や一般企業のお父さんの方がよほど子供と一緒の時間が少なかったんじゃないかしら。
2019-09-19 13:34:05@mihyonsong 夜も医師会の会合やらなんやらで、結構飲みに行ってました。それで分娩に呼ばれてもまあ許されていた、そんな時代ではありました。 ただ、流石に完全フリーの休みは少なくて、家族一緒にどこかに出かけるというのはあまり無かったです。たま〜に近所の病院の先生に留守番頼んで出かけるぐらい。
2019-09-19 13:37:23@mihyonsong で、この時代と一番変わったのは実は産科よりも新生児科じゃないかと思います。新生児医療を大きく変えたのはサーファクタントの発見と実用化だという話がありますが、これが1980年ごろ。 jschild.med-all.net/Contents/priva…
2019-09-19 13:53:29@mihyonsong で、女子医大に NICUができたのが1984年。 twmu.ac.jp/NICU/job.html ここから産科+新生児科=周産期医療が大きく発展します。 ただ、当然ですが一人開業医の規模では NICUを持つことは不可能で、母体搬送という方法がとられるようになる。
2019-09-19 13:57:38@mihyonsong これで NICUをもつ周産期施設とその周辺の一次施設、という周産期システムが出来てくる。しばらくは母艦の周産期施設に人を出している大学医局の関連施設でシステムを構築していましたが、それは徐々に崩れてきているかな〜というのが、産科医として20年間見てきた印象。
2019-09-19 14:00:39@mihyonsong で、産科医ばっかり騒がれるけど、 NICUも 24時間365日稼働している施設なんですよ。むしろ重症の新生児がいたりすると、産科よりももっと大変だったりする。当然、新生児科医をかつての産科のように薄く広くばら撒くなんてできないです。
2019-09-19 14:03:10@mihyonsong そして、 NICUを中心に総合周産期センター/地域周産期センターが形成されてくる。なんだか太陽系での惑星の形成みたいですね。。。
2019-09-19 14:04:37@mihyonsong 一方、産科でも例えば子宮動脈塞栓術のように放射線科医がカテーテルを用いて治療するなんてのが出てくる。また、産科麻酔の進歩やハイリスク分娩で麻酔科医が母体の管理を主に担ったり、そんな状況が出てきます。つまり、特に母体の救命において産科だけで治療する、という時代では無くなりつつある。
2019-09-19 14:09:44