梅ラボ騒動をめぐっての、藤田直哉氏とTwitter民とのやりとり

通称「藤田直哉無双」その2ってことで~ その1 http://togetter.com/li/138897 その3 http://togetter.com/li/138939
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@rivertruction

@take_burari 端折りまくって、包み隠さずに言えば、ニコニコ動画やオープンソースやらは、その枠やルールを作った個人なり会社なりはとっても有意味だと思うけど、その中で戯れてなんかしているだけで可能性を見出す立場ってのは一瞬で忘れられて然るべきだよねってこと。

2011-05-21 17:18:36
@rivertruction

@take_burari まあ、そういうことに繋がりそうなことを藤田直哉っていう頭は良いんだろうけど肉体が無さそうな人がこのツイッターで滔々と語っておられたのを、豊崎由美っていう文芸評論家のツイッター伝いで見たものだから。なんかね、とりあえず思ったことを書いてみたのだ。

2011-05-21 17:21:43
@rivertruction

@take_burari ま、これこそ忘れてられて然るべき呟きだね。

2011-05-21 17:22:38
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

ブーメランアートとか炎上アートとかそういう新しいものなのかもしれないけど、毎日ネットで見れるものを敢えてアートとして提示されても全く面白くないので、知的な戦略に基づいて何かあっと言わせてくれるものと期待している。「法人化するから著作権侵す作品やめます!」という宣伝の儀式なら微妙。

2011-05-21 21:00:38
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun 代理戦争みたいになってきましたが…… 梅ラボ氏とカオスラウンジの運動と黒瀬氏の理論が不可分であり、その作品の価値は背景にネットでの運動や黒瀬氏の理論と不可分であるという前提を置いた上で、「カオス*ラウンジ宣言」を見ますと……

2011-05-21 21:30:16
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

まず、「無根拠なアートの神秘性によって身分を保証される」ことに否定的で、アーキテクチャは「アートの神秘性を認めない」「内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、システマチックに組み立てられてゆく。人間の内面は、アーキテクチャによる工学的な介入によって蒸発する。」と。

2011-05-21 21:34:11
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

で、仰るとおり、アーキテクチャに対して介入するわけです。「しかし、彼らは、アーキテクチャによる工学的介入の結果に対し、さらに人為的に介入を試みるのである」。

2011-05-21 21:35:09
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

しかし、「彼らは、アーキテクチャによって、自動的に吐き出される演算結果を収集する。そして、自らがひとつのアーキテクチャとなって、新たな演算を開始するのだ」とあります。人間=機械的な、古典的な主張があるわけですが、最終的には「アーキテクチャ」になっているはずなんです。

2011-05-21 21:35:55
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun さて、アートの名の元に彼らを擁護する行為は「アートの神秘性」を利用しているので不可です。ネットユーザーの価値観よりアートを上に見ることも同じ理由で不可です。「作家」として金を稼いだり名声欲に満ちた存在も「アーキテクチャ」なのかもしれませんが僕には人間に見えます

2011-05-21 21:39:29
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun もし彼らが「アーキテクチャ」なら、「人間の内面は、アーキテクチャによる工学的な介入によって蒸発する」以上、この怒りの感情も蒸発させて工学的にコントロールしていないとおかしい。できない以上、アーキテクチャではない。

2011-05-21 21:41:10
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

個人的には、この宣言が魅力的に思われたのは、アーキテクチャという言葉を用いて、明らかに矛盾しているこの文章が「神秘性」を持っていたから、だと思うんだけどねぇ。まさにマジックワードとしての「アーキテクチャ」の魔術的かつ神秘的な部分に依存していた。

2011-05-21 21:48:58
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@rivertruction 「モノ/コト」の強度を求めるならば、仰るとおりです。僕も基本的にはその立場です。しかし、それはアートや文学を発展させたり新しくする目的あればこそです。しかし、それは搾取と簒奪であり、ネットの固有性を損なうことだと思います。目的がないことがいいんです

2011-05-21 21:54:42
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

目的なり、「アート」なり「文学」なりという超越的な目標があって、発展や進歩を目指すのは(彼らの言う)「近代的自己」の構図であって、中心無きポストモダンの主体や現象を肯定する表現にはそぐわない。

2011-05-21 21:56:22
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

だから、今回の梅ラボさんの作品が面白い点は、構図的な「中心」を作った絵に変化させた点であって、そこでまさに炎上が起きるのは、無意識か意識的にか分からないけども、その匿名性と作家性の葛藤を表現してしまった、という点。

2011-05-21 21:58:27
かずくん @cazucun

@naoya_fujita 丁寧なリプライありがとうございます。ええと、いまいち争点が分からないのですが、ぼくはカオス*ラウンジに関しては、近代的な作家性を工学的な想像力に反射させて再び取り込むことでその定義を更新するような、そういう運動だと考えていました。

2011-05-21 22:14:35
かずくん @cazucun

@naoya_fujita (承前)なので藤田さんがカオス*ラウンジに対して「「近代的人間」を否定していたように見えるこの運動」という言葉を使った際に、違和感を感じました。ぼくの考えだとむしろその「近代的人間」をいかに更新するか、という運動なので。

2011-05-21 22:15:55
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun 「近代的な作家性を工学的な想像力に反射させて再び取り込むことでその定義を更新する」こと自体を問題にしようとは思いませんし、肯定します。しかし、宣言によると、「彼ら」は「ひとつ」の「アーキテクチャ」になるのであって、個的な作家になるとは一言も書いてありません。

2011-05-21 22:17:37
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun 「彼ら」が「ひとつ」の「アーキテクチャ」である「かのように」振舞うことが、オタクに対する「機械のような内面」というステレオタイプと共に受容されたところが、カオス*ラウンジの特異性であり他の作家と違うポイントだったと思うので、それを否定したら自滅だと思うのです。

2011-05-21 22:19:31
かずくん @cazucun

.@naoya_fujita その「個的な作家」を「ひとつのアーキテクチャ」として再定義したいのでは? まあ、あのカオス*ラウンジ宣言での「アーキテクチャ」という単語は藤田さんが仰る通りマジックワードなので、それをどう捉えるかでいくらでも宣言の内容が変わってしまう気が。

2011-05-21 22:21:43
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun 「ひとつ」もどう解釈するかが難しくて、一人一人が「ひとつ」なのか「彼ら」が「ひとつ」なのか、意識的・無意識的に曖昧にされていますよね。でも、「彼ら」が「ひとつ」であるという連続性幻想を明らかに煽っているとは思いますよ。

2011-05-21 22:23:33
かずくん @cazucun

.@naoya_fujita カオス*ラウンジ宣言を読み返してみましたが、たしかにカオス*ラウンジそれ自体がひとつの巨大なアーキテクチャであるようにも読めます。けれどそうでないようにも読めるw ……どうもこの件に考えても答えは出ないような気がします。

2011-05-21 22:34:45
かずくん @cazucun

.@naoya_fujita (承前)いや、ぼくたちの対立を整理すれば、藤田さんはカオス*ラウンジを工学的で匿名的でアーキテクチャ的な運動として捉えていて、ぼくはむしろ人文的で顕名的でクリエイター的な運動として捉えている、というところに尽きると思います。

2011-05-21 22:35:52
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun 後者だと、単に、テクノロジーで都市を作って新しい環境を作り、それを自然だと思う人間の感性の条件を受け入れ、新しい環境や技術に応じて感性を表現してきた、「カオス*ラウンジ宣言」が否定してきた作家と何も変わりません。それだと宣言自体の意味が消えます。

2011-05-21 22:40:50
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@cazucun そのような表現を行う作家は全く珍しくもないし、ゼロ年代にだっていたわけですから、特異性にはならないわけですよ。

2011-05-21 22:41:40
かずくん @cazucun

.@naoya_fujita (承前)なのでぼくとては、今回の梅ラボさんの絵も、構図的な「中心」をある種どうしようもないものとして受け入れながらも、しかしその「中心」自体をキメラ的なキャラ絵に置き換えることで「幽霊的な中心」を描き出そうとしたもののように思えます。

2011-05-21 22:40:16