《「福島県」の人々は、「福島県」が人工的に作られる前から分断され続けたままだ》

自己ツイートをまとめました。 「原発事故による福島県民の分断」は、事故発生後間もなくから多数の人々に言われてきました。 福島県生まれ育ちの私の目から見ると、それらの文章は「外部から来た、マレビト」(民俗学概念)が一方的に地方生活者に持っている固定観念で語られているように感じます。「地方生活者」は「都市インテリ」が夢想するような、純朴な存在ではありません。県境など、明治政府がかってに決めたものです。
被災者 福島県 歴史 分断
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
原発事故 「被害」と「加害」に引き裂かれた私 - 谷 賢一webronza.asahi.com/culture/articl… 原発事故発生前、学生時代の5年間を除き、福島県に生活し続けてきた私(宍戸)は、申し訳ないが、この演劇者とは異なる感覚で「福島県」を見ている。福島県民は、近代以前から分裂していたのだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
福島県から、大学進学や就職や芸事への入門等で出て行って、 その後、福島県に戻って生活の唯一の拠点を福島県に持たなかった人たちが、 多数いる。 福島県で育ち、生活し、仕事をして、福島県で抜け去ることが難しい人間関係に包まれて生活した人でないと、理解しにくい感覚があると私は思う。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
上記のように、福島県だけが自分の世界になっている人は、全国的な知名度を得ることは、ほぼ無理だ。例えば、登山家の田部井淳子氏は、生活拠点が福島県内にあっても、活躍の場所は福島県外の高山だった。地元に戻って生活している間は、福島県のしがらみに囚われていたかもしれないけれど。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
江戸時代から明治に変わった時、廃藩置県によって「福島県」が人工的に作られてしまった。江戸時代までは、相互に交流がほとんどなかった小さな幕僚や天領、相馬中村藩や磐城平藩、棚倉藩や二本松藩など、20ほどの郡に分かれて統治されていた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
明治になり、「福島県」として一つにまとめられる過程でも、戊辰戦争時にどのような行動をしたかが細かく分かれた。いち早く新政府軍に付いた三春藩、徹底抗戦で「官軍」に蹂躙された会津藩や二本松藩、日和見をした藩や領地。その遺恨は今も残っている。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
幕末から昭和恐慌に至るまでの経過も、福島県全体で同じ動きにはならなかった。気候が違うので農作物も違う。地味が豊富で農業が容易な阿武隈川流域と、冬は豪雪となる奥会津、雪がほとんどつもらないいわきとでは、生活で苦労する点も喜ぶ点も異なった。そして県内の近隣地区と比較する悪癖が付いた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
最初の演劇関係者の文章に戻って、話を続けよう。 「福島県」は、県ができてから今まで、「ひとつ」にまとまったことはない。それは経済や気象よりも、「福島県民」としての自己認識として、強く表れる。自身を「福島県民」としてよりも、その中のもっと小さい地域の人間として認識するのだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
例えば、大学生時代に、福島県から来た学生と知り合った人には、次のような経験はないだろうか? 「福島県って、冬の体育はスキーなんでしょう?」「福島県って、海があるところだよね?」「福島県なら、桃はたくさん食べたでしょう?」 こんな話に、冷たいリアクションをされなかっただろうか?
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
福島県内で、冬にグラウンドでスキーができるような場所は会津地方の一部だけだ。海があるのは浜通りだけで、他の地区から海岸に行く為には片道1時間程度必要だ。桃が取れるのは、主に福島市や二本松市の周辺で、同じ中通りでも白河市ではあまり栽培しない。猪苗代湖?真ん中にあるだけだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
当然だけど、会津地方からは太平洋は見えない。海ならば新潟県の日本海の方が近い場所も、福島県にはある。山が続くので、県内の殆どの場所からは磐梯山は見えない。 歴史的にも一体感がない地域を「繋がっているから」というだけの理由で、一つの県にまとめたのが福島県だ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
余程転勤が多い家庭に育たなければ、高校卒業までに相馬市、双葉郡、いわき市、福島市、二本松市、郡山市、須賀川市、白河市、三春町、猪苗代町、会津若松市、喜多方市、金山町の全てに住む経験はできないだろうし、それほど転居したら近所づきあいもできないだろう。だけど、これらは全部気性が違う
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
それほど多様な生活と気性を持った地域を、明治政府による強権で一つにしてしまったのが、福島県だ。 かなり長くなったが、私が言いたいことは、言葉にすれば簡単だ。 福島県は、今まで一つになったことなどないし、ずっと分裂したままだった。311がなくても、分裂したままだったのだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
ただし、福島県の外部に向けて「福島は一つにまとまっていない」などと言う「福島県人」は、「わざわざ、故郷を侮辱する人間」として、白眼視される。それぞれプライドが高いので、「一つにまとまることさえできない」と言われるのは我慢できない。だから、県外から来る人には「福島は一つ」と見せる。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
中学や高校を卒業して、福島県外に出ていった若者は、家を代表した近所づきあいを経験することもないので、田舎特有の閉鎖性も体験しないままに、「外の人」になる。「外の人」がたまに訪れるならば、田舎の人間は外面を繕う。そうやって、311前はなんとかできることが多かった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
しかし、311が起きて、津波や原発事故の影響で、気性が違う浜通りの人たちが、そこで生活する人間として中通りや会津に来てしまった。双葉郡の人間がいわきに来てしまった。長く付き合うとなると、いつまでも外面を保つことは難しい。バラバラな性質が、互いの気に障るようになる。これが「分裂」だ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
原発事故が始まってから、東京電力の幹部や、政府の官僚、専門家に、 福島県の人たちが何度も投げつけた言葉がある。記憶している人もいるだろう。 「本気なら、ここでずっと住んでみろ」 自分と同じ苦痛や不安は、自分と同じ場所で生活しないとわからない、と。 これは本気の叫びだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
では、例えば政府の官僚が福島市に家族で移住したとする。それで、福島県全体から納得が得られるだろうか? 私は無理だと思う。福島市に住む人には、会津若松市の生活や不安はわからない。飯舘村の生活や不安はわからない。 一か所に住んでみるだけでは、福島県のそれぞれの地域の気持ちはわからない。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
では、例えば演劇という手段で「福島の人々の気持ち」は表現できないか、と問われたら、私は可能だ、と答える。ただし、それはあくまでも「福島の特定の人の気持ち」でしかない。1人で、200万人の気持ちや立場は背負えない。抽象化できるほどの均一性は「福島県民」にはない。 それを、理解してほしい
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
私が言いたいことに、恐らく他の災害の被災地の人々の多くが、賛同してくれるだろう。 「被災者を一括りにして、一つの政策で一つの方向に連れて行けば復興できる、というのは無理だ。なぜなら、被災者は多様な人間たちだから。被災者それぞれの気持ちと状況に合った、多様な支援をしてほしい」
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
言いたいことはもう一つある。 「被災者支援の主人公は被災者自身だ。被災者も普通の人間だから、多様性を持っている。支援者を感動させるために被災者が存在する訳ではない。支援者が期待する枠に、被災者を詰め込まないでほしい」

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