【横山光輝「三国志」講座235「逍遙津の合戦」】
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【横山光輝「三国志」講座235「逍遙津の合戦」01】 第235話です。逍遙津は「しょうようしん」と読みます。 呉軍の侵攻により、皖城が落城。そのままの勢いで合肥城を目指していきます。一方合肥城を守るのは張遼です。敵は大軍。どう戦ったらいいものか、と思案しますが、打って出ても勝ち目はなし。
2019-08-20 17:06:22【横三講座235「逍遙津の合戦」02】 ここは籠城に限ると李典も主張。張遼もたしかに、と籠城戦を覚悟します。そんなおり、漢中から曹操の使者がやってきます。曹操は、現状漢中にいますが、呉軍進撃の報を聞き、合肥に迫ったらこの箱を開けるように、と使者に小箱を託していました。
2019-08-20 17:08:45【横三講座235「逍遙津の合戦」03】 以前は曹操から知恵袋を渡されて窮地を脱した経験がある張遼。ナイスタイミングでの曹操からの作戦が書かれた紙を読んだ張遼。そこには、なんと、打って出よという命令が。あの大軍に向かって?と李典らは驚きの声を上げます。
2019-08-20 17:10:38【横三講座235「逍遙津の合戦」04】 もちろん、曹操は玉砕しろと言ってるわけではありません。呉が兵を出したのは曹操が遠い漢中にいるからだと。その状況分析の上で、魏の城を甘くみてかかっているのは間違いない。おとなしく黙って籠城していれば敵はますますつけあがる。
2019-08-20 17:12:22【横三講座235「逍遙津の合戦」05】 といって、まともに10万を相手にするのは愚かなこと。すなわち、敵が近づけばその出鼻をくじき皆の心を落ち着かせてから堅く城を閉じ、防備を第一にせよ、というのが曹操の指示の内容です。
2019-08-20 17:27:54【横三講座235「逍遙津の合戦」06】 さすがに歴戦の勇者たち。敵を勢いづかせたまま城に近づけさせるなという曹操の意図を理解。すぐに張遼は行動に移します。李典は逍遙津にひそみ、呉軍が近づいたら小師橋を切り落とし、張遼と楽進で敵を討つことに。それぞれ二千の兵を引き連れて出陣します。
2019-08-20 17:30:07【横三講座235「逍遙津の合戦」07】 奇襲以外に呉の大軍に対して勝ち目はありません。以前も呉軍を寄せ付けなかった張遼は、そのあたりの読みも早く、逍遙津に兵を伏せます。一方呉軍は敵をのんでかかっており、続々と逍遙津の河を渡り合肥城を目指しています。先鋒は甘寧の部隊です。
2019-08-20 17:32:36【横三講座235「逍遙津の合戦」08】 伏兵を率いる楽進は適当に戦ったら引き揚げると言い、甘寧に襲いかかります。伏兵の姿に一瞬目を見開く甘寧。ちょこざいな、と応戦を命じます。勝ち誇っている呉軍は恐れを知らず、曹軍と戦います。頃合いを見て引き揚げ命令を出す楽進。甘寧は逃すまいと追撃。
2019-08-20 17:36:05【横三講座235「逍遙津の合戦」09】 先陣は勢いに任せ深追いを始めます。しかし、このことで孫権がいる中軍とは大きな隔たりができてしまいます。後陣はまだ河を渡っている最中。つまり、孫権は孤立したも同然です。そのスキを逃さず、張遼は孫権一人の首を狙って襲いかかります。
2019-08-20 17:37:50【横三講座235「逍遙津の合戦」10】 伏兵の出現に驚く孫権。すぐざま蹴散らすように指示します。両軍戦闘を開始。さらに孫権の右手からも李典率いる伏兵が。狙うは孫権一人。いかに10万の大軍であろうとも、孫権一人を狙って4千もの兵が押し寄せれば、孫権とて身動きが取れなくなります。
2019-08-20 17:40:23【横三講座235「逍遙津の合戦」11】 呉軍の後陣の凌統は上陸したばかりでしたが、中軍で起こっている異変に気づきます。中軍の旗が乱れていることを不審に思い、すぐさま現場へ急行します。すると、孫権の周りで曹軍が囲んでいるではありませんか。急ぎ孫権救出に動く凌統。
2019-08-20 17:42:15【横三講座235「逍遙津の合戦」12】 孫権にまとわりついている雑兵を薙ぎ払った凌統は、孫権にここは自分の隊が防ぐから、ひとまず小師橋を渡って引き揚げるように進言。部下の一人が案内役、凌統は部下たちにこの場を任せ、自分は孫権を護衛、3騎で小師橋を目指します。
2019-08-20 17:45:40【横三講座235「逍遙津の合戦」13】 しかし、すでに小師橋は李典によって打ち壊されていました。なんとしたものか、と孫権は困ってしまいましたが、案内役の部下は、馬で飛び越えれば良いと見本を見せます。孫権も真似してはーっ、と飛び越えます。お見事、と部下は称賛。
2019-08-20 17:47:54【横三講座235「逍遙津の合戦」14】 馬を降りれば渡ることはできそうな橋ではありましたが、この先もちょっと距離があるので、馬とともに橋を超えられたのは大きかったのでしょう。凌統は飛び越えることはせず、引き揚げると言い、部下に孫権を託します。
2019-08-20 17:49:34【横三講座235「逍遙津の合戦」15】 こうして孫権は南岸へ向かい味方の船に合流。しかし、後に残った中軍は惨たるありさまに。張遼と李典の挟み撃ちの前に隊はずたずたに分断されます。凌統の部隊もことごとく討ち死に。凌統ただ一騎が小師橋付近まで逃れてきましたが、全身に傷を追っています。
2019-08-20 17:51:44【横三講座235「逍遙津の合戦」16】 船の上の孫権は、凌統の姿を見ると誰か凌統を助けろと救出命令。部下が小舟を出して凌統を拾います。馬から降りていた凌統は槍を杖代わりに息も絶え絶え。しかし、孫権が無事かどうかを心配しています。なんたる忠臣。
2019-08-20 17:53:47【横三講座235「逍遙津の合戦」17】 おとりの楽進の兵を深追いしすぎた呂蒙、甘寧の先鋒隊も命からがら南岸に逃げ延びます。しかし、逃げ遅れ、船に乗れなかった者は無惨にもことごとく討たれてしまいます。想像以上の被害に、孫権はなんたるまずい戦をしたのか、と驚愕。
2019-08-20 17:55:44【横三講座235「逍遙津の合戦」18】 これは皖城を簡単に落とした事が敗因であると部下。あまりに勝ちにおごり、敵を甘く見すぎたからだと。これを一生の戒めとしてくれ、という言葉に、孫権は肝に銘じてわすれぬ、と答えるのが精一杯です。
2019-08-20 17:57:31【横三講座235「逍遙津の合戦」19】 曹操は敗戦を成長の糧としてきましたが、孫権もまた、今回の敗戦が大きな成長のきっかけとしたのでしょうか。ともあれ、この大惨敗で呉軍は再装備の必要に迫られ、呉の濡須まで引き返さざるを得ませんでした。
2019-08-20 18:00:30【横三講座235「逍遙津の合戦」20】 わずかな兵をもって奇襲により大軍を打ち破った例は戦国時代に多い。日本でも二千の兵でもって今川義元三万の大軍を破った織田信長の桶狭間の合戦の例がある、と横山先生。 大軍でも寡兵でも使いこなせる曹操のすごさが伺いしれます。
2019-08-20 18:03:00【横三講座235「逍遙津の合戦」21】 大敗した呉ははたしてこのまま引き揚げてしまうのでしょうか。この続きはまた次回となります。 今回はここまで。
2019-08-20 18:04:01