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いまや戦争を体験していない戦後生まれの人は私も含め、人口全体の83.6%が占めています。この夏、快晴の空の下 街を歩いていた私はふと思いました。 「この何気ない日常に原爆が落ちてきたら・・・」 74年前、広島の街で生きていた人たちも焼夷弾が落ちてくる事や米軍機からの爆撃を予測出来ても pic.twitter.com/wW3EojfLFg
2019-08-22 22:15:30まさか原子爆弾が投下されるなんて 夢にも思っていなかった事でしょう。 悲しい出来事が多い近代史は、学校でも敬遠されがちです。 目を背けたくなる事実がいくつもあります。それでも、自分や家族や友人に置き換えて考える事が出来たなら。最後に見ていただきたい展示が有ります。
2019-08-22 22:15:31被爆現物資料:人影の石 爆心地から260m 紙屋町 寄贈:住友銀行広島支店 この石段は 住友銀行広島支店の入り口階段を切り出して移設したものです。 銀行の開店前に階段に腰掛けていた人は 近距離で原爆がさく裂した為、逃げる事も出来ないまま その場で死亡したものと思われます。 pic.twitter.com/R00YsO90bM
2019-08-22 22:15:31原爆の強烈な熱線で階段は白っぽく変色し、人が腰掛けていた部分は影のように黒くなって残りました。 この人影が自分の親族のものではないかという申し出が 複数のご遺族から寄せられています。
2019-08-22 22:15:32年々と戦争体験者の方たちが鬼籍に入られる中で、原爆投下から74年目の8月6日に放送された広島平和記念資料館のドキュメンタリー番組では、新たな取り組みが始まっていました。 資料館では これまでも被爆資料や遺品を通じ、核兵器の恐ろしさを世界に訴えて来ました。
2019-08-23 13:31:40今回のリニューアルにあたって被爆の衝撃を刻んだ遺品や写真、改めてその遺品や写真に纏わるエピソードを詳しく調査したのです。 「その人を想像してもらえるように展示が出来たら」 突然断ち切られた かけがえのない日常、大切な人を奪われた家族の深い悲しみを記し、展示する事にしたそうです。
2019-08-23 13:31:40資料館では遺された遺品に思いを託す事で 次の世代に被爆の記憶を繋ごうとしていました。資料館に遺品を寄贈した方たちは 原爆の遺品だというような ありきたりな見方ではなく、家族や身内の気持ちが込められていると思って見て欲しい、と仰っています。 pic.twitter.com/EnCd7sIt6H
2019-08-23 13:31:41私が訪ねた時も1つ1つの遺品に家族の思い出やエピソードが詳しく記載・展示されていました。 資料館には遺品や写真だけでなく 当時の状況を描いた被爆体験者が描いた絵も展示されています。
2019-08-23 13:31:41絵に描かれているのは脳裏に焼き付いた悲しみの場面です。描かれた絵はどれも衝撃的なものばかりです。 資料館では形あるものだけではなく、被爆者の記憶をも後世に伝えようとしています。
2019-08-23 13:31:41大きく生まれ変わった広島平和記念資料館。遺品や写真から紡がれる人々の物語がそこにはありました。 決して遠い昔ではない、日本で現実に起きた事。それが原爆投下です。 ぜひ、広島を、そして平和記念資料館や原爆ドームを訪ねてみて下さい。 pic.twitter.com/wV1GeGBscR
2019-08-23 13:31:42参考文献・資料 ・小西 誠著「サイパン&テニアン戦跡完全ガイド―玉砕と自決の島を歩く」 ・辻田 真佐憲著「大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争」 ・奥本 剛著「呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック〔増補改訂版〕」 TBSドラマ 「広島 昭和20年8月6日」
2019-08-23 15:38:02NHK特集 「夏服の少女たち 〜広島・昭和20年8月6日〜」 NHKスペシャル 「“ヒロシマの声”がきこえますか~生まれ変わった原爆資料館~」 「きのこ雲の下で何が起きていたのか」 BS1スペシャル 「ヒロシマ 世界を変えたあの日」 「オバマと会った被爆者 72年の記録」
2019-08-23 15:38:02また、今回のまとめを作るにあたり 資料館の展示の使用許可を頂いた広島平和記念資料館の学芸員の皆様、広島市立本川小学校・袋町小学校平和資料館に深く感謝申し上げます。
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