〈一人称的/三人称的〉?──ポルノとゲームにおける操作者表現をどう呼ぶか問題。

・「シューティングゲームについて〈一人称的/三人称的〉って表現は不適切だろ?」(→実は訳語の問題でした)という以上のことは議論できてません。(最後、「プレイヤーキャラクター」の話に繋がる予感を見せつつも、とりあえずそこまでで終わっております。) ・あと、知識の哲学におけるそれついては また別の 議論が必要なようであります。 ・あと、発言者がオトコノコ((c) ヘルシー女子大生)たちばかりなので(?)、もっぱら「攻め」の話に終止しておるのが やや残念な感じです。 ※ご参考: 続きを読む
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イスーカワ @ishikawakz

@contractio あと「没入」というのも、rnaさんが使っていた。この言葉も日常的な用語ではありますが、なんとなく体験を記述する言葉として、今回の場合は変なんじゃないかと思うんです。なんというかもちろん人の行いには真剣にやるものとそうでないものがある。しかしなんというか(続

2010-04-12 23:21:35
イスーカワ @ishikawakz

@contractio なんというか、経験に対してまるでそれは「自分のことではない」という否認というかあるいは乖離といおうかそういう態度がみられるような気がするのです。そういう態度こそある種の暴力ではないのかという気がしてきたのです。なんというか曖昧な物言いで申し訳ない。

2010-04-12 23:23:51
*死に舞/shinimai @shinimai

これ確かにたしに差があるよなRT @tomoyukix: とかつぶやいたあとにググッたら、こんなのがあった。>「三人称と神視点の違い」http://www.raitonoveru.jp/howto/h/270a.html

2010-04-12 23:27:58
可寝た @tomoyukix

聖書は客観的に神のことを記述するのだから、あれは何視点になるのだろう、という謎。というか、客観的に記述できてしまう時点で破綻してんじゃん>聖書

2010-04-12 23:32:01
イスーカワ @ishikawakz

@contractio なんとなく「没入」というのはあらかじめ関係と切られた状態があって、それをまたくっつけるみたいな感じがするんです。それは酒井さんもいうように攻めを強いられている男の子の発想なのかもしれない。というか男の子だけでなく、様々な人にあるのかもしれないが。

2010-04-12 23:33:28
*死に舞/shinimai @shinimai

@tomoyukix 大抵の聖典となるものは神が預言者に言葉を伝えるので、破綻しないのでは

2010-04-12 23:36:20
イスーカワ @ishikawakz

確かにバフチンも分かりにくいなあ。一人称、二人称というのは、あるいはモノであるとか複数であるという自体が何をいおうとしているのか。

2010-04-12 23:36:51
カスホ @kasuho

絵画における記述ってなにというか特権的な単眼視点=消失点を設定しておいて目撃者という別視点で見ろとは?と思う。

2010-04-12 23:37:25
カスホ @kasuho

絵画におけるストーリーに対して取りうる(比喩的な意味での)視点というのは分かる。で、現実錯視システムの視点はどこいった?

2010-04-12 23:41:25
カスホ @kasuho

絵画的な視点の問題と、物語の視点の問題とがごっちゃになるのをどう整理してるのかがあの本では分からなかったのです。

2010-04-12 23:47:12
可寝た @tomoyukix

@shinimai そうすると、聖典なるものは神の自分語りを預言者が記述したもの、ということになるのだけれども、そうすると神の自分語りは三人称的に行われた、ということになり、なんか変では?神が一人称的に自分語りしたものを、預言者が三人称で再構成した、というのも、預言者っぽくない。

2010-04-12 23:47:42
*死に舞/shinimai @shinimai

@tomoyukix うーん、第一に神は自分のことを語るというより世界のありとあらゆことを語るのだと思います。

2010-04-12 23:52:53
*死に舞/shinimai @shinimai

もちろん聖典とか神とかの概念はいろいろバージョンあるから今は典型的な一神教を想定するとして

2010-04-12 23:53:35
*死に舞/shinimai @shinimai

基本的に神は全知全能でオムニプレゼンスで、預言者はその一部を伝えるのだけど、聖書では預言者の三人称が描かれるということなんだろうか。

2010-04-12 23:57:17
*死に舞/shinimai @shinimai

あと神自身はどちらかというと記述するというより、指令的言明を為すことのほうがおおいよね。汝殺すなかれとか。

2010-04-12 23:58:13
*死に舞/shinimai @shinimai

命令形とか指令的な発話って記述やないから、三人称とか一人称とかそれ自体ではわからないよな

2010-04-13 00:00:00
*死に舞/shinimai @shinimai

ただ「神はこうおっしゃった。汝かくかくせよ」とかこういうときは神の三人称視点なのか。

2010-04-13 00:00:49
森功次/MORI Norihide @conchucame

一人称的映画思い出した。『チャイナタウン』だ。これは監督が自分で一人称的な映画を作ったってインタビューで言ってる。(ただ、カメラレンズに写り込んだ部分だけは操作されてて、一人称的視点ではなくしたらしい。)

2010-04-13 00:43:22
*死に舞/shinimai @shinimai

@conchucame そうそう、そこをそういうと違うと西村先生にいわれた

2010-04-13 00:55:19
@contractio

@ishikawakz 「効果」という言葉は、制作者の観点で使いました。「制作者が操作可能なもの/それら諸操作を介してオーディエンスに提供しようとするもの」という区別を考えたとき、「没入」は前者ではありえません。・・・というほどの意味で。

2010-04-13 01:35:23
イスーカワ @ishikawakz

@contractio なるほど作り手の側に重心があるのですね。ただ今日は遅いのでもう寝ようかといま思っていたのです。

2010-04-13 01:39:56
イスーカワ @ishikawakz

@contractio ただ付言するならば、私が一片の作品を作った時に、その作品は読む人に別様の回路をつくり、その回路つまり読みですが読みが私を触発してくることがあるなあと思いました。

2010-04-13 01:43:21
イスーカワ @ishikawakz

つまり没入は私の意図通りか確かめようがなく確かに製作者の操作可能なものではない。しかし私の作品に没入した誰かがいたというだけで、私は様々に揺さぶられるのです。そこまで制作に入るかはわかりませんが制作を通じてつながるなにかではあるなって。

2010-04-13 01:46:37
@pubkugyo

人称の話が出たのに焦点化の話をしないとはなにをやってるんだ文学理論は(文学理論では人称などという混乱した概念はもう使いません!!!1)。ジュネット『物語のディスクール』が有名なはずですが私もぜんぶは読んでいません。

2010-04-13 01:48:21
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