〈一人称的/三人称的〉?──ポルノとゲームにおける操作者表現をどう呼ぶか問題。
- contractio
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@ishikawakz それはそうです。でもそれは(たとえば)「ベーシックなレベルで使われる技巧とそれによってもたらされる効果」という話は矛盾しない(し、後者が前者を押しのけるわけでもない)。分けて議論すればよいこと。
2010-04-13 01:54:39@ishikawakz つくられたものが生じさせるものが、つくった人の想定を超えている、などということはあたりまえのことではありませんか。
2010-04-13 01:56:27おググりくだされば出る話(これ知らぬ文学研究者はモグリ)で恐縮ですが、1. 語り手が「私」として指示しうる登場人物がいるか?と、2. どんな観点(の知覚)に同一化するよう読者が導かれているか(語り手の語る情報が登場人物の持つ情報と比べてどうか)とを区別することができそうでしょう。
2010-04-13 02:08:24ゲームの場合、そもそも語り手がいると見なすべきかどうかも、まだ(分析美学が発展途上であるゆえ)不明確ですが。ゲームとの関連で考えたブロガぜったいいるだろと思ったが、こんなスレしか引っかからない。ぶー。 http://tinyurl.com/focalise
2010-04-13 02:19:22ああっ、そうだっ、テレビゲームは映像芸術なんだから、ジュネットをもひいているこの本、チャトマン『小説と映画の修辞学』を紹介すればよかったんだ。http://www.amazon.co.jp/dp/4891763620
2010-04-13 02:28:09.@shinimai お久しぶりです。私としては、ゲームプレイ経験は読書経験と質的にそう異なるような経験ではない(すごく凝った組版の本と同じ)と論じられると思っていますが、そこまで味噌糞いっしょにしないで論じるほうがより生産的かもしれんとも思います。
2010-04-13 02:31:30@pubkugyo チャトマン『小説と映画の修辞学』は小説の分析から編み上げられたナラトロジーの手法を、そのまま映像に適応できないことを強く感じさせる本ですね。映画はあまりに早く進行するので読者は遡行吟味できず、物語の筋を追うことしかできない。つまり、映画は描写できないとか。
2010-04-13 02:38:48.@helpline 以前私どもの読書会でもそのへんを議論しました。しかし、映像にだって細密描写がやれないわけではないし、また読書経験のほうでも、我々はそうした細密描写を読み飛ばしてるんでは?などと述べ合った覚えがあります。
2010-04-13 02:44:21@pubkugyo こうした主張は、非言語的な映像それ自体の喚起力にこそ映像表現の特性を見いだす現代の観客の実感からはかけ離れているわけで、映像に語り論を適応していく必要性は強く感じますし、チャトマンの仕事は有力な先行研究だと思うのですが、かなり批判的に読む必要がある本かなと。
2010-04-13 02:45:00.@helpline 当時のレジュメをスキャンしてないので記憶だけで述べますと、映像作品そのものと・映像作品を見る我々の体験と・を(いちおうでも)区別すると、よりよい議論ができそうだ、と考えた気がします。いま読んだらもう少しマシなことが考えられそうですが。
2010-04-13 02:53:29.@helpline あと、ご指摘の「映像それ自体の喚起力」については、チャトマンにとってはあまり触れなくてかまわないとこなのでは?(なにせナラトロジーなのですから) / ジュネットが「視点」という視覚的な比喩を排したように、「語り」narrativeに代わる語も必要でしょうね。
2010-04-13 02:57:56@pubkugyo 語りに代わる語が必要というのはよくわかります。ゲームになると、読者?の能動性が大きくなるので、なおさら語りという感じではなくなりますよね。ゲームの分析から文学の読みの理論も変わっていくのかもしれません。この先まだまだ理論の展開がありそうですね。楽しみです。
2010-04-13 03:18:23でもやっぱり文学理論の哲学やらないとついついうっかり似たものを取り違えて扱っちゃうよなあ。「だれかがやらなければならない。ぼっぼぼ僕が やるしかないない。これは、僕に与えられた使命!」「いいえ」
2010-04-13 03:22:18.@helpline 「(登場人物のひとりの、あるいは、そうでない)だれかが、語っている」ような気がしてならない、というのも、textのフィクションとしての受容に思えるので、物語論はフィクション概念の探究によって進展するかもしれないと思っています。楽しみですね。
2010-04-13 03:32:18きのうめずらしく夜更かししたのでねむい。まだ頭がおきてない。@contractioさんからレスをいただいておりますな。お出かけするのですこしレスが遅くなるやもしれませんがまたレスいたします。
2010-04-13 07:45:24@contractio まず質問ですが制作者が操作するってのは言葉やものやいろいろ使って画面や絵を書いていじるってことですか。てっきり受けとる側が身をよじらしたり没入してみることによっていろいろ感じられるもの=効果がかわるってことかと思ってた。とにかくいま云われているのは(続く)
2010-04-13 07:51:39@contractio (続き) しかし私も話を少しずらしてしまったのでした。今気がつきました。申し訳ない。で、今回の議論で大切だなと思ったのは、フィクションの哲学やポルノやゲーム機から派生しているわけだから、制作なんですよね。その制作のことなんですが。(続き)
2010-04-13 07:56:00そうです。いまの例では、男性向けAVに男優の顔を「映さない」とか、シューティングゲームのプレイヤーキャラのパースペクティブを設定する、とかいったこと。 RT @ishikawakz: ** 制作者が操作するってのは言葉やものやいろいろ使って画面や絵を書いていじるってことですか。
2010-04-13 08:03:44@maanya すんません。いろいろいっぺんに話して。ただ、自分の隣人にはややこしい人もいるけども、そういう人とともに社会を構成しているわけなんで誰かを悪者にしても話はすまないだろうし、そうなるにはなにか理由があるんじゃないかってことです。お話いろいろしてくださってありがとうね。
2010-04-13 08:06:47@contractio それはおそらくコードというかいろいろ私のしらないテクニックがあるのかもしれないですね。ただどんな作品でも特定の場所に注意をむけさせる、あるいは無視させるそういう仕組みはありますね。どうしてそうするかってのは、そら作品によっていろいろ用途があると。そうですね
2010-04-13 08:09:53