2019年に釧路で開催された第9回「全国石炭産業関連博物館等研修交流会」

石炭産業に関する研究者が炭鉱施設を巡検しながら炭鉱にまつわる鉄道や港湾、鉱山街の文化や歴史を紐解いていく
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釧路市立博物館 @kushiro_museum

第9回「全国石炭産業関連博物館等研修交流会」(全炭博研)が釧路で開催され、国内、また台湾や韓国から炭鉱研究者50名以上が集まりました。 市内の炭鉱施設や炭鉱跡、アトサヌプリの硫黄鉱山跡などの見学などを行い、また博物館講堂での公開講演会には100名を超す参加がありました。#釧路 #炭鉱 pic.twitter.com/EZGxhES8U7

2019-10-31 11:50:34
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全炭博研2019 1日目 巡検

釧路港の港湾整備と雄別鉄道8722号蒸気機関車の視察

なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

日本のSLが輸入から国産に切り替わる過渡期の機関車、雄別鉄道8722号  閉山前の売却話が流れたことで地元に保存された  #全炭博研 ift.tt/32Kfbm1 pic.twitter.com/iRgL6atSvP

2019-10-25 16:23:06
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#全炭博研 これ、SLの連結器を付け替える前の緩衝器の跡ですかね ift.tt/31MW6yg pic.twitter.com/1ktr3xKAGT

2019-10-25 18:23:25
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なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

#全炭博研  雄別炭鉱の石炭は一旦川で艀に積み替えて駅まで運んで積み替えていた  石炭桟橋が出来て直接駅まで運ぶようになった(閉山まで)

2019-10-25 14:59:41
リンク kushiro-ses.co.jp 近代化産業遺産「雄別炭礦鉄道車両(8722号)」 | 株式会社 釧路製作所 当社保存の近代化産業遺産「雄別炭礦鉄道車両(8722号)」について紹介します。 この車輌は、1957(昭和32)年に雄別炭礦鉄道に譲渡され、釧路~雄別炭山間の石炭輸送に活躍、同鉄道の廃止後に、関連会社であった当社に引き取られ保存されました。 本社工場管理棟前の8722号■ 雄別鉄道について 94
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

#全炭博研 石炭埠頭の石炭船と巨大ローダー、大型客船(100万トン級)を留めることもある(飛鳥2までは耐震埠頭で止められる) ift.tt/36egvzY pic.twitter.com/xdcSOUt4h2

2019-10-25 16:23:12
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#全炭博研 浚渫して水深14mに対応してことでアメリカからの穀物輸送の玄関口になった  ここから国内の各港に中型船で運ぶ(今まではアメリカから中型船で各港に運んでいた) ift.tt/2p2Lqyx pic.twitter.com/aX0gwpziva

2019-10-25 16:23:11
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なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

#全炭博研 ホクレン埠頭 深夜2時に着岸して4時間積み込み、20時間で日立港まで航行 牛乳パック46万本を都内に運ぶ ift.tt/2BHRgI5 pic.twitter.com/hhQQVjYhLP

2019-10-25 16:23:10
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なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

#全炭博研 フェリー運行には往復ともに安定した貨物需要が必要だが、いまは工場かRORO船を借り上げて運行できるので、フェリー復活の見込みは今のところない pic.twitter.com/gcocP7ZWT5

2019-10-25 16:35:51
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リンク icom946.com 釧路観光クルーズ船 BAY LOUNGE 世界三大夕日として知られる釧路の夕日や、釧路フィッシャーマンズワーフと釧路港の夜景を船上でゆられながら贅沢に堪能して頂けます。 忘年会やクリスマスなどの各種パーティはチャータクルーズとしてもご利用いただけます。 427

全炭博研2019 1日目 勉強会

道東の炭鉱の生い立ち、25年前の炭鉱風景、常磐炭田のマップ作り、うたごえ運動、浦幌町立図書館の取り組み、直方の炭鉱保安

なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

幕末に函館が開港した際、石炭を供給するために釧路から石炭の開発が始まった  当時は内陸地はまだアイヌの人の持ち物だったので、和人は海岸線のみを開拓していた

2019-10-25 20:00:22
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

北海道初の炭鉱は岩礁が多く1年で撤退、白糠に移ったが量産体制が取れなかった 明治6年に榎本武揚が海底に炭鉱が繋がっていることを予想 ライマンはすでに港のあった厚岸の港の近くが良いとした 結果、石狩炭田の方が開発が進み夕張の躍進が始まった

2019-10-25 20:05:38
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

北海道で3番目に鉄道が開設され、硫黄鉱山が開発されたことで燃料としての石炭が必要となり本格的に炭鉱の開発が始まった 春採湖沿いで採掘して船と馬鉄によって港に運んだ 硫黄鉱山は10年ほどで閉鎖した(火山活動なので自然に復活するが掘りすぎた)

2019-10-25 20:08:40
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

太平洋炭鉱が長続きした理由 陸上を掘り尽くしたため海底を掘り公害と無縁 断層はあるが海底まで緩やかで機械化しやすい カロリーは低いが硫黄が少ない 三井系だが一社一山で経営意識が高かった 都市近接の炭鉱だったことで総合的に産業化できた 社宅をなくし持ち家にして炭鉱意識を減らした

2019-10-25 20:15:29
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

労組一体の体制 世界初のSD採炭の導入 日本で初めて「ゼロ災害」の提唱 など

2019-10-25 20:17:12
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

暖房用石炭は在庫販売のみ 200トンある 600kg8万円くらい

2019-10-25 20:20:55
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

雄別炭鉱について 炭鉱周辺が手狭になり炭鉱社宅を移設した 閉山後に社宅跡を解体して工業団地にしたら高度成長期なので完売した 今では全社撤退してしまったが最近は太陽光発電になった 年産60万トンを切って山元原価を割るようになったが、持ち直した途端に閉山になった

2019-10-25 20:30:18
なな爺(LEVEL7G)@高等遊民 @level_7g

雄別は傾斜25度を限界として試算して閉山を決めたが住友赤平は傾斜30度でSD採炭していたので経営面での問題だった 鉱山施設は几帳面に解体したが煙突は金が掛かるため残って今やシンボルとなった ホッパ近くにSLのターンテーブルが丸ごと埋まっている 建物の基礎やコンクリ、模擬坑道もまだある

2019-10-25 20:37:39
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