自然主義的/まんが・アニメ的リアリズムから見る「まどマギ」や「とらドラ」
「所詮まどかもほむらもキャラクターなんだよ」っていう”冷たい”見解じゃなくて、さ。キャラクターだから、人間と見做して理解するにも限界があって、1つの観点じゃ言いつくせない部分が出てくるというか……ううむ。ありのままの相手(キャラクターであること)を受け入れようぜ、みたいな。
2011-05-29 12:40:36物語や書き手の都合で行動する/させられるけれどね、キャラクター。でも、これは書いてる側の実感だけど、まるで実在の人間の様な感情と思考で、物語や書き手の都合から外れようとしてくるわけで。(書き手の都合で動くキャラクターって”作者の都合のいい操り人形”って揶揄られたりするよね)
2011-05-29 12:42:40杏子が死んだのは、身も蓋もない事を言うと「展開上生きてちゃ困るから」。(どう困るのか、死んでくれることでどういう効果が生まれるのか、と言う点も一義では言い尽くせない) けれどそれだけじゃ説明しきれない部分もあって、そこはそれこそ、人間と見做すアプローチの出番なわけで。
2011-05-29 12:46:15まあアニメ語りする時、みんな無意識に前提にしてることなんだろうけどね。なんでか最近、よくこの辺に引っかかりを覚える。不思議。
2011-05-29 12:46:56@Six315 自然主義的リアリズムとアニメ・まんが的リアリズムを区別して、後者の可能性について語ったていたのは大塚英志のキャラクター小説の作り方ですね。その考え方をすれば、人間/キャラクターは表現方法の違いで、キャラクターであることを指摘しても批判にはなり得ないと思ってます。
2011-05-29 13:18:49@hmuraoka 僕自身も大塚理論に頭をやられてるんで、そこはすごい同意です。だから正直「このキャラクターはこんな人間的欠陥を抱えている!」といわれても、disりには思えないかな、と。
2011-05-29 13:34:01@Six315 指摘そのものにはあまり意味を感じませんね。ただ、人間/キャラクターの境界は曖昧なので、表現方法を丁寧に追っていくなら、人間的欠陥の話も有効なのかなと思います。さやかの内面描写は比較的、自然主義的リアリズムに近いかなと思いますし。まぁ、この辺は自分の中でも曖昧です。
2011-05-29 13:55:14@hmuraoka 人間/キャラクターでいうと『とらドラ!』はキャラクターだから感情移入できないっていうのがこのあいだのUSTでのオレの意見ですね。
2011-05-29 14:23:55@pro_neet ぼくは前半はキャラクター/後半は人間であるバランスがよかったと思ってます。キャラクターの割合が大きかったから普通に萌えることができて、後半の描写についていけた。前半が無いと見るのは辛いです><
2011-05-29 14:33:54@hmuraoka まあ『花咲くいろは』とかもそうだけど「現実でそんな上手くいくかよ!」って批判ですね。その点ストーリーは破綻してるみのりんの行動のほうがリアルな女の子っぽくて面白かった(キリッ
2011-05-29 14:41:09@pro_neet キャラクターなら現実と距離があるから批判を無視できるけど、自然主義的リアリズムの描写の割合が増えるとその批判を受けることになりますね。ちなみにぼくは、みのりんのメタプレイヤーになりそこねた感じが好きですよ~。
2011-05-29 14:49:42@hmuraoka みのりんだけはキャラクターで運用してたのに中身の黒いのが見えちゃった!みたいな感じがする(笑)
2011-05-29 14:52:52@pro_neet みのりんの落差が、ぼくがとらドラを好きな理由に繋がりましたw とらドラの話するときは、そこを押し出してみのりん擁護をします。そんな機会あるか不明ですがw
2011-05-29 14:59:30@hmuraoka まあみのりんがああなったのは物語上で回収できなくなったからだから作者の不手際だと思うんだけどねw そういう意味でハプニングっぽい。
2011-05-29 15:03:33@pro_neet 後半の展開は多少のハプニングがあっても押し切る勢いがありました。原作は読んでないのでわからないけど、アニメスタッフはハプニングセックスを計画する人達なのでハプニングにも強いはずです!
2011-05-29 15:15:10これが女子力なのか 『とらドラ!』長井監督&マリーインタビュー 1Pにセッ○スセッ○ス言いすぎwww http://t.co/WG9kdS5 via @yarare_kanrinin
2011-05-26 23:52:02