司史生氏による、日本にとっての満州の価値に関する考察

 有名なスローガンである「満蒙はわが生命線」と言うのは実態からかけ離れている、当時の日本にとって生命線とは、実は敵対してしまった国のほうだったりする。で、満州はと言うと、実は大して価値があったわけではない。
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司史生@減量中 @tsukasafumio

満洲事変前夜の林奉天総領事の発言では、20万の満洲居留民の大半は満鉄職員か満鉄にぶら下がった仕事で暮らし、満鉄附属地の中で暮らしていた。附属地外の広大な地域で中国人を対象として独立企業する者はほとんどいなかった。

2011-05-31 00:41:42
司史生@減量中 @tsukasafumio

附属地の外で商工業を興さないのだから、関外からの人口流入により市場拡大した満洲の経済成長は、中国人がその主たる利潤を得る。

2011-05-31 00:45:36
司史生@減量中 @tsukasafumio

つまり1920年代の満州には、日本の経済権益や経済的影響力は、満鉄以外は実質存在しなかった。在満邦人はただ満鉄という国策企業にぶら下がってただけ。

2011-05-31 00:53:10
司史生@減量中 @tsukasafumio

満洲事変の口実となった特殊権益は実質的にその程度であった。しかも満鉄は満州事変を主導したわけではない。満鉄の経営悪化は張学良の政策ではなくむしろ日本の経済事情によるというのが満鉄自身の認識だった。

2011-05-31 00:56:57
司史生@減量中 @tsukasafumio

満洲事変とは結局、関東軍と満鉄の利益に寄食した大陸浪人という「満洲業界」の利益のために起こされたに過ぎないのではないかという印象は拭えない。

2011-05-31 00:59:08
司史生@減量中 @tsukasafumio

あと二十世紀初頭に中国やシベリアその他の海外に進出した日本人の商売が売春。いわゆる「からゆきさん」ですな。ほんとにどこにも日本女郎の売春宿があった。大日本帝国の海外進出ってのはそういうレベルでもあった。

2011-05-31 01:06:23
司史生@減量中 @tsukasafumio

近代日本にとって満州が結果的に「宿命の地」になったことは確かだが、半ばは戦後形成された伝説だったのではないか。

2011-06-01 01:25:10
司史生@減量中 @tsukasafumio

現代日本人が満州に抱くイメージは、昭和前中期の人間の視野を通したもので、明治時代の満州は彼らの視点で物語化されたものになる。

2011-06-01 01:28:44
司史生@減量中 @tsukasafumio

それすらも伝説化の操作を免れていないが石光真清『曠野の花』は、ロシア占領期の満州を描き、昭和の神話化されたそれとは異なる様相を見せている。

2011-06-01 01:30:42