山尾悠子氏による “矢川澄子さんと「アンヌンツィアツィオーネ」のこと”
- kappawodori
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勢いが冷めないうちに書いてしまうことにします。矢川澄子さんと「アンヌンツィアツィオーネ」のこと。確か『ラピスラズリ』単行本発売時の特典エッセイとして書いたと記憶しています。ネット書店用に書いたエッセイの中の一部分。
2019-11-16 16:08:25矢川澄子さんとは、結局お目にかからず仕舞いになりました。2000年6月の『山尾悠子作品集成』刊行記念パーティーにお越し頂けるよう、礒崎氏が計らって下さったのですが、当日になって体調不良との連絡が。
2019-11-16 16:08:35本はお送りしたので丁寧な礼状を下さり、その返事を差し上げた、というだけの儚いご縁でした。でもひとつだけ自慢できることがあって、矢川澄子さんの最晩年の作となってしまった「受胎告知」。これは恐らく私の「アンヌンツィアツィオーネ」がきっかけでお書きになったのではと思います。
2019-11-16 16:08:36頂いたお手紙で、矢川さんは「季刊幻想文学」に私が書いたものへの感想も書いて下さっていました。「夜の宮殿と輝くまひるの塔」の感想でしたが、「アンヌンツィアツィオーネ」のほうも恐らく読んで下さっていたと思います。
2019-11-16 16:08:37私の「アンヌンツィア」と矢川版「受胎告知」、種本が同じなのですね。矢代幸雄の名著『受胎告知』です。私が今も所有するのは1973年復刻された版ですが、矢川さん宅の蔵書なら、元本があったかも。
2019-11-16 16:08:38私の「アンヌンツィア」をお読みになって、教養の深い矢川さんのこと、「おや、これは矢代幸雄」とすぐにお気づきになり、ご自分の書架から抜き出されたのでは。そののち矢川版「受胎告知」をお書きになったのでは。
2019-11-16 16:08:39時系列から考えて、たぶんこの推測は間違いではないと思うのですが、もしもそのとおりなら小さな誇りに思います。 ですから、思いがけない訃報は頭上に岩が落ちてきたような衝撃でした。澁澤龍彦のいない世界が、さらに矢川澄子を欠くことになってしまったのですから。
2019-11-16 16:08:40ーーということを昔書いたわけですが、昨晩の余韻のままに少し付け足しを。『作品集成』が出た頃の私は正直辛かった。立派な墓を建ててもらったら沢山の花まで頂戴して、「引き際」という言葉も頭をよぎったものです。結局、礒崎氏の粘りがそれを妨げたのですが。
2019-11-16 16:08:41そのころ矢川さんから頂いた手紙に「夜の宮殿と輝くまひるの塔」の感想があったことは先に触れたとおり。 ところで矢川さんというかたは、あれほどの文学者でありながら何故か自罰傾向の強いかただった。これは誰もが認めることでは。
2019-11-16 16:08:42そのとき、「私はこのままではいけない」と非常に強く思ったわけですね。不健康であることはよくないことだ、と基本的に考えている田舎の人間なので。矢川澄子さんほどの存在からそれを言われた、ということも大きかったです。
2019-11-16 16:08:43そして眠りと再生の話である『ラピスラズリ』を書きました。というほど単純な文脈ではないのですが。私と矢川澄子さんとは、むかし互いに小さな小さな石を投げ合ったことがある、といったところでしょうか。
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