クルセイダーキングス2:ジョージア王国興亡記(6)痛悔王バグラト8世

Crusader Kings 2のAAR。Sunset Invasion以外は2019年10月までのDLC全部入り。 第1回:https://togetter.com/li/1414953 第2回:https://togetter.com/li/1422007 第3回:https://togetter.com/li/1423842 続きを読む
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ぴろき @piroki_wod

このころ、ビザンツ帝国はハンガリーを服属させ、往時の隆盛を取り戻しつつありました。現皇帝はその名もコンスタンティノス11世。史実ではこれは最後の皇帝の名前でした。不思議な因縁・・・ pic.twitter.com/NAaIE7j2te

2019-11-19 22:03:54
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ぴろき @piroki_wod

政治と外交では順調なバグラト王ですが、親しい者たちに先立たれ続けます。三人目の妃で仲の良かったステパニアが死没。そして、愛猫もまた息を引き取りました。 王の心は疲弊を増します。 pic.twitter.com/qX1PDwYuH7

2019-11-19 22:07:50
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王はますます信仰を深めていきます。アトス修道院に巡礼の旅に。 pic.twitter.com/XRdoCX4U27

2019-11-19 22:09:29
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しかし王の心はどうしようもなく病んでいきます。1337年、42歳になったバグラト8世はとうとう発狂。もはやバグラティオニ家の宿痾なのでしょうか・・・ pic.twitter.com/sx09kdtTDK

2019-11-19 22:11:46
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四人目の妻、ロスティスラヴァ妃が懐妊したところ、密通を疑うように。 pic.twitter.com/rXEqEiWVbf

2019-11-19 22:12:58
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そしてそれは事実でした。婚前に恋人だったスーズダリの貴族が胎児の父親だったのです。激怒した王は妃を投獄、破門すると、そのまま斬首刑に処しました。 pic.twitter.com/zjeoNDIPSY

2019-11-19 22:14:43
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急速に家庭が崩壊するバグラト王ですが、対外的には勝利を重ね、かつてのアナトリア十字軍で教皇領となり、今は独立していたキリキア地方を臣従させ、北方のアゾフ海沿岸も制圧しました。 pic.twitter.com/Eh3FwoDivA

2019-11-19 22:17:47
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そして、黒死病によって退潮するアイユーブ朝にビザンツ帝国が攻撃をしかけている隙を狙って、未回収のアルメニア南端を奪取。王国再建の条件を満了! pic.twitter.com/eWYkGvIrD4

2019-11-19 22:19:14
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ビザンツ帝国もコンスタンティノス11世のもとで、長年の悲願であったシリア奪還を果たします。まさに正教の勝利。 pic.twitter.com/WtnXbqE0JS

2019-11-19 22:21:04
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西暦1353年11月18日。59歳のバグラト8世は、カフカス山脈を臨むジョージア、アラニア、アルメニアの三王国の宗主として帝冠を戴きました。後世、カフカス帝国と呼ばれる連合国家の誕生です。 pic.twitter.com/OjIfwIJJWO

2019-11-19 22:24:05
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ですが、皇帝の狂気はもはや重症でした。夜半、侍女を大きなネズミを見間違えて追い回す始末です。 pic.twitter.com/cWuJBAF1xm

2019-11-19 22:26:48
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バグラト王の最晩年、ビザンツが奪回したシリアでは、アイユーブ朝の王族によって、現地総督への反乱が勃発。 pic.twitter.com/vSsGRUhOLg

2019-11-19 22:39:10
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1357年、ジョージア、アラニア、アルメニアの王にして皇帝バグラト8世崩御。黒死病の時代を乗り切った篤信の王として信望を集めましたが、皇帝となった晩年は狂気の君主として臣民に恐怖され、孤独な死を迎えました。 pic.twitter.com/NMz2p1HdCW

2019-11-19 22:41:31
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