- Yuusisaitou
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殺害後は「手を洗う」「ボンベを持っていく」たったこれだけなのである。どちらもシガーの全身は映されず、体の一部だけだ。 「物を手に取ってフレームアウトする」という動作はカッティングポイントになる。ここで切れば「何かしに出かける」という認識を持ってもらえる。
2019-11-28 03:35:24次のカットは走行中の車を後ろから見たカット。これはシガーの主観的カットで、この車をシガーが尾けている。前の車の運転手の姿が先に映され、シガーは小さく映った画面奥から歩いてくる。 pic.twitter.com/AWRp1SSS1w
2019-11-28 03:35:29この場面の編集は「観客の不安感を煽る」目的でなされている。 映画の初っ端から陰惨な殺害シーンを目にした観客は、シガーに動向が気になってしょうがない。 なのに当のシガーは、殺害後身体が映されずのスタスタと去ってしまう。しかも何かを「持って」出かけている。
2019-11-28 03:35:30「何かを持ってフレームアウト」は、必然的にそのモノを後に使用することを予期させられてしまう。 そして出て行った後もシガーは姿が映されず、「次なるエモノ」の無防備な姿しか映されないのだ。
2019-11-28 03:35:30これが理想的な「物語の文脈を意識した編集」である。 一流の編集は、適当に割って繋げているわけではない。 観客を不安にし、シガーに釘付けにしたいからこそあえてこういうカットの繋ぎ方をしてるのである。
2019-11-28 03:35:30演出方針に沿った適切な構図の選択、持続の操作と見事としか言いようがない。 実上映時間はものの数分、実に省略的にサクサク進めているのに、観客には非常にねっとりしたいやらしい時間に感じられる。 まさに編集の魔術だ。
2019-11-28 03:35:31実例分析「ゴーンガール」
#映画やアニメーションの編集について 「補完的後説法」「奇先法」の秀逸な例 #デビッド・フィンチャー 監督の映画「#ゴーンガール」の一場面より #映画 #映画レビュー pic.twitter.com/sfDgCuPsAO
2019-11-29 22:11:55シーンの概要:主人公(ベン・アフレック)が、作中で巻き込まれたトラブルを解決するために、弁護士に相談しているシーン。 「父親の家」が、なにが不利な証拠になりそうだ、という話の流れ。
2019-11-29 22:11:56「父親の家に何があるんだ?」 「想像もつかない」 という「疑問(引っかかり)」を残し、場面が切り替わる。 観客は『何があるんだろう?』とじらされる。
2019-11-29 22:11:56次の場面は「封鎖テープのアップ」 前述した「シーンの始め方:物のアップ」である。 「物のアップから始める」場合、こうした「縮小法」という手法が併用されやすい。 「縮小法」とは、画像の拡大・縮小操作の「縮小」のことで、「大きく寄った画からカメラが引いて大状況がわかってくる」という手法
2019-11-29 22:11:56そして弁護士が「何か見つけたみたいだな」と結論を保留し、また次の場面へ。 ベン・アフレックが車に乗り込むさなか、既に次の場面の「台詞」が既に挿入されてることに注目して頂きたい。これが「音先行」だ。 流れるように場面、そして物語がリレーされている。
2019-11-29 22:11:56つまりこの一瞬の場面転換で 「補完的後説法」 「奇先法」 「物のアップから(縮小法)」 「音先行」 のテクニックが併用されているのである。
2019-11-29 22:11:57「#ゴーンガール」は優れたミステリーサスペンス映画である。謎が謎を呼び、グイグイ引き込まれた方が多いと思う。 脚本が秀逸なのは勿論だが、こうした編集の細かな技巧が施されているからこその「面白さ」なのだ。
2019-11-29 22:11:57