20191202

連投ツイートまとめ
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hiroki_ino @hiroki_inmt

いろいろ考えなければいけないことがある気がする。まずSNSについて。 自分がSNSを使うのは、まぁ一言でいえば寂しいからで。 でもSNSで寂しさは埋まらないというのはわかっていて。 それは対面での人間関係に比べてどうしても薄くなるからで。 文字だけとか声だけでは、濃いやりとりは難しいと思う。

2019-12-02 08:33:35
hiroki_ino @hiroki_inmt

「濃いやりとり」っていうのはたぶん、そういう情報量の問題に加えて、場所性の問題というか…。 たとえば村みたいな場所では、嫌いだろうが苦手だろうが同じ村で共同体として過ごさなければいけないという強制力が働いていて。

2019-12-02 08:37:06
hiroki_ino @hiroki_inmt

そういう強制力を僕は基本的にめんどくさくて時代遅れで非効率的なものだと考えているけど、ヒトという生き物の遺伝子にとって、そういう群れの中で、自分では選択できない人たちとともにどうにか生きていくことが、自然なものであり、僕の思う”濃いやりとり”につながるのだとも思う。

2019-12-02 08:37:22
hiroki_ino @hiroki_inmt

つまり僕のいう”濃さ”とは、ヒトの持つ遺伝子的な素質を、どれだけ発現させるかみたいな話なんだろうな。

2019-12-02 08:40:19
hiroki_ino @hiroki_inmt

あるいは脳機能をいかに使うかみたいな話でもあるのかもしれない。 ドパミンやセロトニンなどのホルモンだとか、結局寂しさを埋めるのはそういう物質的な反応だと僕は考えているけど、それを大量に得るためには、それに応じた刺激が必要だと考えている。

2019-12-02 08:43:24
hiroki_ino @hiroki_inmt

たとえば視覚と聴覚と触覚と…それらを組み合わせた総合芸術みたいなものがあったとして、それを受け取ったときの脳の反応は、同じ作品を視覚だけで受け取るときよりも、大きくなるだろうと。 もちろんそれが不快を感じさせる作品であれば、その分不快の反応も大きくなるだろうけど。

2019-12-02 08:43:53
hiroki_ino @hiroki_inmt

だからSNSは、受け取れる刺激の量が少なく、薄い。 ヒトを作品としてたとえた部分にはちょっと間違いがあるかもしれないけれど、僕の現状の大筋の考え方の表現としては間違っていない。

2019-12-02 08:45:39
hiroki_ino @hiroki_inmt

その上でどのようにSNSを使うのかといえば。 1.薄いツールだということを受け入れ、薄い刺激のために使う。(芸術に触れるような心の大きな動きでなく、その時その場で満たされるためのインスタントなものを求める) 2.最終的に”濃い”刺激にいきつくための、いわば出会いのためのツールとして使う。

2019-12-02 08:48:18
hiroki_ino @hiroki_inmt

僕はこの1と2の間で揺れていて。 SNS単体でもやりようによっては濃いものになるんじゃないかという展望もあって。 それはたとえば音楽というものは、聴覚だけにしか響かないものだけれど、場合によっては映画よりもずっと大きな心の動きをもたらすように。

2019-12-02 08:50:14
hiroki_ino @hiroki_inmt

それから距離や機会ということを踏まえて考えるなら、出会うことが難しい人々(たとえばブラジルの学生)とかともやりとりができるというのは、SNSでしかできない経験だとも思う。薄くても、無よりはマシだという考え方。

2019-12-02 08:52:13
hiroki_ino @hiroki_inmt

まとめてみる。 僕にとってSNSは、 1.対面で関わる機会が”無い”人たちと、”薄い”やりとりが可能なツール。 2.”濃い”やりとりを築くための、出会いの場としてのマッチングツール。 3.もしかしたら使い方によっては”濃い”やりとりが可能かもしれないツール。

2019-12-02 08:57:06
hiroki_ino @hiroki_inmt

”濃さ” ”薄さ”の基準とは、ヒトの身体(おもに脳)にどれだけの反応をもたらすかという、刺激と反応の量から見るもので。

2019-12-02 09:03:24
hiroki_ino @hiroki_inmt

それは僕が芸術分野(おもに音楽)に深く関わっていたことからくる、割と独創的で経験則的な考え方なんだろうとも思う。 逆にいえば僕には、もともと”濃さ”を求める傾向があったからこそ、いまにいたるまで芸術分野に深く興味を持ち続けているのかもとも思う。

2019-12-02 09:03:32
hiroki_ino @hiroki_inmt

ただ最初に戻ると僕の”寂しさ”というのは、たぶんもっと単純に、ヒトの本性的な部分と実生活とのGapから生じているもので、斎藤環さん的にいえば”社会的生活”や”家族的生活”という輪との関係性が整っていないことからくる、精神疾患的な孤独感なのだとも思っている。

2019-12-02 09:06:29
hiroki_ino @hiroki_inmt

でも「その孤独感を消すために村に属しましょう!」ってのはどうしても受け入れられないんだよなぁ…。 ここが僕の根本的な問題で。属することを拒絶してしまう。 ”村”というのは比喩で、会社や家族や国家や友達グループなど人間が所属するあらゆるもの。

2019-12-02 09:13:27
hiroki_ino @hiroki_inmt

所属意識を持った途端、人間が個人じゃなく”集団のうちの一要素”になってしまう、そんな風にIdentityが所属意識に侵食されていくことがとても怖い。 Hannah Arendtのいう”凡庸な悪”が、僕にとって今一番怖いもの。それから逃げ続けている。

2019-12-02 09:22:33