「狼」に育てられた古代ローマ人の始祖「ロムルス・レムス兄弟」の正体ー「狼」では無く、「牛」の兄弟だった?

古代ローマのレムス、北欧神話のユミル、インドの閻魔(えんま)大王などは、全部インドヨーロッパ祖語*Yemo「エモ」に遡り、牛の牧畜を世界に広めたインドヨーロッパ語族の神話に由来する。その驚きの姿と真実とは?
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

そう考えないことには、ロムルスの双子の弟のレムスが、インドヨーロッパ語族の牛の牧畜の始祖「双子」神話に由来するとの指摘をしてるアンソニー『馬・車輪・言語』の説明と整合性が付かないんですよね。

2019-12-06 03:54:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『図説ヨーロッパから見た狼の文化史』の作者(フランス人)が参照してる情報源は、日本語で調べてる限りでは分からないのだと思いますが、「狼=牛」だと述べられてるのは、それなりの歴史的検証結果があるからだと思います。

2019-12-06 03:56:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

アルバニア語の語形では、長母音の長い発音が消えてるような感じなので(長母音の表記が無い)、そういう言葉が接触してたと考えたら良いのではないでしょうか。それにしても、ローマ建国前のイタリア半島のローマ周辺って言語が錯綜としてる地域なのですね。 twitter.com/fushunia/statu…

2019-12-06 04:09:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

インドヨーロッパ祖語で、「狼」と「牛」が同じ語源になる理屈がよく分からなかったのですが、「狼」が*lup-で、「牛」が*lōp-みたいです。

2019-12-06 02:54:00
巫俊(ふしゅん) @fushunia

考古学の成果によると、ローマ建国以前の「ローマ」に何があったかというと、周辺のラテン人やサビニ人の村人が出てきて家畜に草を食べさせてた場所で、小屋があったりして、そこから生まれた村が自衛のためにだんだん大きくなって、ついには都市(首都)になったそうです。

2019-12-06 04:13:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

考古学的にも、牛「牧畜」の始祖神話が語られるのに、適した成立条件があるようにも思いました。

2019-12-06 04:15:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「狼」を聖獣とするのは、サビニ人の文化だと『図説ヨーロッパから見た狼の文化史』にありました。つまり、色んな言語の人が「ローマ」になってく集落にいて、牛を牧畜しながら、狼の神話も導入したということになります。だから、牛(印欧祖語ロープ)神話と狼(印欧祖語ルプ)神話が混ざって成立した

2019-12-08 23:15:31

追記

再構成されたインドヨーロッパ祖語の時代の神話
マヌ(男)
エモ(双子)
トリト(3番目)

の3人が出てきて、それぞれ、インドヨーロッパ語族の三階級の成り立ちを説明している。

最初の祭司者マヌ=祭司階級
犠牲にされた弟のエモ=農牧民の階級、祭祀に使う物品を貢納する役目
新しく出てきた三番目の男が奪われた牛を取り戻す=戦士階級の登場の説明

巫俊(ふしゅん) @fushunia

アンソニー『馬・車輪・言語』によれば、これはインドヨーロッパ語族の3階層身分の根拠として語られてる神話で、兄マヌが第1身分の祭司階層、弟エモは生贄の儀式に奉仕する牧畜民/農耕民を指している。そして次の時代に3番目の男(戦士階層)が登場し、ヘビの怪物に奪われた牛を取り戻す。

2019-06-07 04:08:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

司馬遷よりも前の時代に書かれた史記(歴史書)である古本『竹書紀年』には、殷の湯王の遠い祖先にあたる上甲微(じょうこうび)が出てきて、親の仇を打つ話があり、気になってました。なので、インドヨーロッパ祖語の時代に再構成される神話に、上甲微そっくりの話が出てくるのは、本当に驚きでした。 twitter.com/fushunia/statu…

2019-12-09 02:19:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

マヌ(祭祀者)とエモ(犠牲にされる牛、牧畜民、農耕民を指す)の双子がいた最初の時代に続けて、「3番目」という意味の名前の「トリト」という男の時代があり、ヘビの怪物のうらぎりで奪われた聖なる牛を、嵐の神に懇願して助けを借り、倒しに行く話になってます。このトリトは殷の上甲微にそっくり

2019-06-06 13:43:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

自分たちが飢えてても、「種牛」にエサを食べさせて生かし続けてた人たちがいたので、「牧畜」という文化は人類史の中で定着できたそうです。全部食べてしまうと、それで終わりで、文化が途絶えることになる。 twitter.com/fushunia/statu…

2019-12-09 02:41:36
巫俊(ふしゅん) @fushunia

日本にも来年植えるための種籾を抱いたまま餓死した人の話があったと思いますが、アンソニー『馬・車輪・言語』によると、8000年前のウクライナ西部の先住民も、我が子を飢えさせても「種牛」の維持を優先させる人で無ければ、当時の新しい文化「牧畜」は、元狩猟採集の社会に根付かなかったとあります

2019-06-11 12:53:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

何で、ここに「大きな牝牛」が出てくるのか考えてたのですが、アンソニー『馬・車輪・言語』P292によると、牛と馬の群れは先導する支配的なメスに従うので、ウマを狩猟して暮らしていた6000年前のウクライナの牛飼いは、先導する牝牛さえ制御すれば、群れ全体をうまく扱えることを知っていたとあります

2019-06-11 13:16:25
巫俊(ふしゅん) @fushunia

当時の牧畜民の社会は、とくに貴重な一部の牛を家族同然に愛する生活だったようでして、復元されたインドヨーロッパ語族の創造神話に「彼らは大きな牝牛(めうし)を連れて、宇宙を旅した」「しかし、兄は双子の弟(別の言い伝えでは牝牛)を犠牲にしなければならなかった」とあるとのことです。

2019-06-11 13:04:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

このことは野生の馬を扱うときに応用できるので、誰かがその類似性に気付き、家畜化された馬が誕生したと書かれてました。殷王朝は黄河の北に住んでた牛牧民が「夏王朝」を倒して成立したものですので、馬車を導入(戦闘用の馬車の出土例は殷代後期より)する以前は牛に車を牽引させていたはずです。

2019-06-11 13:24:15