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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
#マリッジ・ストーリー」観賞終了 全てをチェックしてるわけじゃないが、今年のアカデミー脚本賞はこれで決まりじゃないかと思う。 本レビューでは脚本の評価を重点的に書こうと思う。 #ネタバレ #映画 #映画レビュー #脚本術 pic.twitter.com/Ty2rwzndEN
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物語は至ってシンプル、家族の離婚劇だ。この手の「ごく普通の家族の家庭問題映画」は多くある。 「普通の人々」「クレイマークレイマー」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「息子の部屋」等。 今作と似てるのは「クレイマークレイマー」だろう。 pic.twitter.com/RIELPei9ik
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「クレイマー」が、離婚劇を題材に親子の絆を感動的に描いていたのに対して、今作は夫婦の争いを徹底的に描いている。「クレイマー」とは対照的に、息子の存在はほぼ蚊帳の外だ(マクガフィン的と言ってもいい) 正直見ていて気持ちのいい映画ではない。観賞後、だいぶ嫌な気分になるタイプの映画だ。
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キャスティング、演技、楽曲、美術等総合的に非常にレベルの高い作品なのは一目でわかるだろう。 今作の特色である「遠距離離婚劇」を映像で伝えるためには、NYとLAの風俗の違いや、夫婦両者の生活観の違い(インテリアアデザイン等)は必須だったはずで、その辺りも非常に上手く作られていると感じた。
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俳優陣の熱演も素晴らしい。今作は一つ一つのシーンが長く、ほとんど無編集のような感覚だった。 ただの夫婦の会話、ただの口喧嘩、ただの日常空間」ほど演じるのが難しいものはない。 主演の二人はそれを完璧に演じきっている。ローラ・ダーンの憎らしい女弁護士もうまい。
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それにつけても上手いのは「脚本」だ。今作で最も評価されるのはここだろうと思う。 既にオスカーも最有力視されてるようだ。 どこが上手いのかを書いていく。
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映画の脚本には「主人公の体験や感情を観客がそのまま感じる」タイプのもの「映画の中で起こっていることと観客の感情が違うもの」がある。 今作は後者にあたる。そして後者のほうが執筆が難しい。 「主人公に悲しいことが起こるので観客も悲しむ」 観客を悲しませたいならこの手に限るわけだ。
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ところが後者の場合はそうはいかない。 観客に与えたい感情を想定した上で舞台空間ではそれとは別のことを演じさせる、つまり「間接的に」描くわけだ。 ハリウッドの脚本術ではこれを「サブテキスト」という。 今作は全編に渡って描写がサブテキスト的な脚本だ。
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例えば前半の「ニコールの実家にチャーリーが来るシーン」 ここでは「チャーリーの異物感」が演出されている。 ニコールとその姉、その母三人の台詞はただの「日常会話」だ。ここに楽しいだとか悲しいだとかいう感情は介在していない。 脚本にはただ単に「家族の日常会話」が書かれていることになる。
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このシーンでは息がピッタリ合った三人の掛け合い、離婚調停の封筒の押し付けい合いが続き、チャーリーがやってくる。 ここでアダム・ドライバーがキャスティングされた理由がよくわかる。異様に背が高くがっしりしたセンスのいい大男はこの平凡すぎる家庭空間には「浮いてる」のだ。
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そしてこの「浮いてる」感が、チャーリーの葛藤の種になる。精一杯良い夫、良い家族を演じ、義母からは愛されているのに、「浮いてる」ことに自覚が持てないために、ニコールと衝突する。 これは脚本的には非常に高度な技である。「語らず見せる」というのは脚本術の世界では鉄則だ。
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今作は全編こんな調子で「語らず見せる」サブテキスト的なシーンばかりだ。これで観客の感情を動かすのは計算され尽くされてなければ出来ない。 女弁護士のいや~な感じや、微妙に息子と折り合わない感じ等、脚本には何一つ直接的な描写はない ただ日常の空間、会話が書かれているだけなのに「伝わる」
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観察員がチャーリーの家にやってくるシーンも印象的だ。観察員の掴みどころのない人物造型や、チャーリーの焦り、苛立ちがハッキリ伝わってくる。 「ナイフ遊び」で本当に手を切ってしまい止血するも倒れてしまう、息子は素知らぬ顔で通り過ぎる。 全て「ただの日常の行為」でしかない。
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今作の冒頭はちょっと妙だ。ナレーションとモンタージュ「夫婦の印象」が語られる。ここでは仲が良かった頃の夫婦の様子が描かれる。 最初は「割と編集テンポの早い、省略的に描かれる映画かな?」と思ったが、劇中の会話シーンは全く時間の省略などなくねっとりと描かれている。
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これは脚本的に「楽しい時なんて一瞬」という結婚観を表現しているのだろう。冒頭の語り口、表現法(ナレーション)からして後の一環した描写と対比的に計算されてそこに仕込んである 更にラストシーン寸前でチャーリーがこの文を読み、最大の「気づき」を得るという構成にもなっている。伏線という訳だ
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対比の使い方もうまい。序盤と終盤の「家族写真」「散髪」、何一つ直接的な描写はなく前後の状態の変化「喪失感」を描いている。 最初は和気あいあいとしていた劇団員達の打ち上げが、最後にもう一度挿入されている。ここも序盤との対比だ。
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今作は「主人公が負けて終わる話」に分類出来る。最初はニコールの側から始まるが本編のほとんどはチャーリーの苦悩と葛藤が描かれている。 彼は彼が望むことがほぼ叶わないままエンドロールを迎えてしまう。裁判には負け、親権の配分でも負け、LAに移住するはめになり、ニコールの監督業は成功する。
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「主人公に感情移入して見る」タイプの人にはすこぶる評判が良くないと思う。「クレイマー」と比べても後味はかなり悪い。 しかし、今作は元々主人公の感情に寄り添った脚本、演出は施されていないので、今作の主眼はそこにはない 「主人公が見えてなかったものを見る」話なのだ。
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この手の作品によくある「家族愛」だとか、そういう甘っちょろいことは描いていない 今作が描いているのは「人の生き方」「望むものを手に入れる代償」だと思う 自分が欲しい物(家庭にしろ演劇にしろ)を手に入れるために周囲を効率よく使役してきたチャーリーは、それが「どういうことか」を思い知る
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(補足) 「役割を演じる女優の妻」「自分のイメージ通りに作り上げる舞台監督」という設定も上手い。 弁護士に電話しながら器用に舞台セットの指示を出すシーンでチャーリーの監督としての資質がわかる息子に対して支配的な姿も描かれる 今作はその「夫妻のパワーバランス(役割)の崩壊」を描いている
齋藤 雄志 @Yuusisaitou
今作に「どっちが悪いか」といった論争は無意味だ。元々そういうことを描こうとはしていない(チャーリーの立場からすればニコールは嫌な女に見えて当然) ノーラが「男尊女卑」を語るシーンに見られるように、「女も男のように欲しいモノを求めたらどうなるか」という現代的なシミュレーションでもある
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台詞らしさのない生々しい台詞、本当にただの日常でしかない空間だけで構成された場面計算された構成、表現様式。これは技術的に見て「優れた脚本」の映画だ。
齋藤 雄志 @Yuusisaitou
私が感動したシーン「故障したドアを三人で閉めるシーン」「チャーリーがニコールの文章を読むシーン」の二つ 前者は「扉を閉める」という共同作業『家族の別離』という矛盾したサブテキストを描いた今作を象徴する名シーンだと思う ラストの「靴の紐を結んであげるニコール」も味わい深くていい
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ラストカットは「羊たちの沈黙」タイプだ。常に寄り添ってきたカメラが遠めに固定され、登場人物がフレームから去り、人々の日常が続いていくことが表現される。 pic.twitter.com/AeUhTzWAdA
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余談だが、台詞の生々しさを重視したからなのか、今作の字幕は切り替えがちょっと早いと感じた。 ほとんど一言一言で表示が切り替わる。読めない箇所が二か所ほどあった。 省略しすぎはイヤだが、もう少し一文にまとめてほしいところだ。

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