「ネタバレ」のネタバレ

※以下ネタバレあり。
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hiroyuki @hiroyuki_in

@odg67 ぼくが〈制作者の意図〉を鑑賞規範に含めることに否定的なのは、まず、脚本家やアニメーターといった個別の制作者ではない、虚構としての〈制作者〉を想定する意義がよくわからないという点があります。多くの人間が制作に関与するアニメの実情を捉え損なっているのではないかな、と。

2011-06-12 06:39:39
hiroyuki @hiroyuki_in

@odg67 さらに、より本質的な理由としては、〈制作者〉の想定を認めるとしても、意図を帰属する基準が主観的なものでしかなく、それが規範として成立する要件(鑑賞は自由にしてよいという一般的な直観を拒否するに足る何か)を満たし得ないという点です。

2011-06-12 06:48:59
hiroyuki @hiroyuki_in

@odg67「 〈制作者〉への意図の帰属」は、アニメのキャラへの感情移入に似たような現象だと思っています。アニメの作家性がかつてのように個人単位ではなく、製作会社単位で議論される最近の傾向は、〈製作会社のキャラ化〉現象が起こっていると考えています。

2011-06-12 06:51:49
hiroyuki @hiroyuki_in

@odg67 くどいようですが、「作品鑑賞は(虚構概念としての)〈制作者〉の(鑑賞者が想定する限りでの)意図を尊重してなされるべし」というテーゼには賛成できません。ただ、そういう規範を自ら設定して鑑賞すること自体は否定しません。鑑賞法の一つとして事実的に存在する、というだけで。

2011-06-12 06:56:55
ɐʍɐƃɐpo ǝʞnsıɐp @odg67

@hiroyuki_in しかし鑑賞において鑑賞者を主権者と見なすことは〈どう鑑賞しても構わない〉という理屈になってしまいませんか。作品の背後に特権的な作者の存在を想定することは無理だと思いますが、鑑賞を方向付ける客観的な(鑑賞者を制約する)規範は存在するんじゃないでしょうか。

2011-06-12 07:11:35
ɐʍɐƃɐpo ǝʞnsıɐp @odg67

鑑賞者の主観に依存しない、作品の解釈を方向付ける何かの存在は想定すべきだと考えています。誤読が可能だということが存在証明になるかなとQT @hiroyuki_in: 虚構としての〈制作者〉を想定する意義…多くの人間が制作に関与するアニメの実情を捉え損なっているのではないかな、と。

2011-06-12 07:23:57
hiroyuki @hiroyuki_in

@odg67 確かに〈制作者〉を想定することで、作品解釈に関してのスムーズな議論が可能となり、結果として鑑賞経験がより豊かなものになるというのはありますね。「想定する意義がない」とは言えないですね。

2011-06-12 08:37:26
hiroyuki @hiroyuki_in

@odg67 究極的には〈どう鑑賞しても構わない〉ということに尽きるのではないかと思います。なぜそれではまずいか、まずいとしたらそれはどういう種類のまずさなのか、今一つぼくにはよくわからないです。

2011-06-12 07:15:12
ɐʍɐƃɐpo ǝʞnsıɐp @odg67

なるほど。うーん、考えてみます。QT @hiroyuki_in: @odg67 究極的には〈どう鑑賞しても構わない〉ということに尽きるのではないかと思います。なぜそれではまずいか、まずいとしたらそれはどういう種類のまずさなのか、今一つぼくにはよくわからないです。

2011-06-12 07:26:07
saebou @Cristoforou

たぶんネタバレが問題になったのは18世紀以降だと思います。それ以前は皆知ってる話をロマンスや芝居にしてたのでネタバレあまりなかった。QT @odg67 たぶん一般的な文学研究でネタバレ問題が扱われてこなかった理由のひとつかもしれません。発表時には確実にこの問題はあったはずですから

2011-06-05 18:25:32
saebou @Cristoforou

以前授業で「『ハムレット』が最初に上演された時、みんな結末を知らなくてワクワクしたんでしょうか?」みたいな質問をしたら議論になって「復讐悲劇の型っていうのはもう既にあったらから、最後どうなるかはみんななんとなくは想像できたのでは」っていう結論になったな。クラスの議論にすぎんけど。

2011-06-05 18:28:38
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