「百聞は一見に如かず」と、記憶の話と、「Googleストリートビュー型方向音痴」の話

最後はなぜか方向音痴の話になった
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きもぴか(停止) @picca009

「百聞は一見に如かず」ということについて。 私の動きや考え方のベースとして、「無知の一見よりも百聞が勝る」「百聞の上での仕上げとして一見がある」というのがありそうだ、という話になった。

2020-01-22 18:15:42
きもぴか(停止) @picca009

夫からは 「一見しただけの人間にマウントを取られたことでもあるの?」 と聞かれたけど、特に思い当たる節もなく。 むしろ思い当たることがあるとすれば、「無知のままでただ与えられた一見では、あまりにも見落とすものが多すぎた」という、自分自身の悔しさの記憶の方が結びついている。

2020-01-22 18:17:24
きもぴか(停止) @picca009

父は「百聞は一見に如かず」と言って、一見の機会を捻出してくれることも多かったけれど、私自身がそれによって感じたのは、百聞なき一見の得るものの少なさだった。自分の中に分解酵素を育てる前に食べたところで、咀嚼もできずに腸を素通りして栄養にもできず排便してしまうような悲しさがあった。

2020-01-22 18:19:24
きもぴか(停止) @picca009

それでも、百聞は一見に勝るとは思っていない。 匂いや味などの化学物質受容体を使う情報は実物がなければ確認できないし、響きや輝き、反射光などは立体のその場にいなければ知ることはできない。紙や電気信号に変換できない情報はまだまだあるし、それらを受け止めるためには一見するしかない。

2020-01-22 18:21:17
きもぴか(停止) @picca009

それと同時に......私の中にあったのは、一見の機会に恵まれた人たちへの、落胆だったかもしれない。 特に医学部に入ってからは顕著だったのだけど、いろんな教養や文化に触れる機会に恵まれた都市部育ちの子たちが、私が憧れていたものを幼い頃に享受していたのに、私よりも何も知らなかったりした。

2020-01-22 18:23:56
きもぴか(停止) @picca009

何を観劇した、どこへ旅行へ行ったという話から、「それは〜〜で有名でしょう、あれって実物はどんな感じなの?」と聞いてみても、「なにそれ、知らない、わからない。そんな背景があったとは知らなかった」と言われることが多くて、そのことに、言いようもなく悲しくなることもあった。

2020-01-22 18:25:17
きもぴか(停止) @picca009

でもそれは、田舎育ちのあたまでっかちのオタクの悲しみでしかないのかもしれない。

2020-01-22 18:26:31
きもぴか(停止) @picca009

とはいえこの特性のおかげで、自分自身がいざ旅行に行くとなれば、それはもう百聞をできるかぎり用意してから、一見じゃないと代替が効かないコンテンツを絞り込んだ上で行こうとしてしまうので、夫には便利な特性だと思われているらしい。

2020-01-22 18:27:50
きもぴか(停止) @picca009

あと、先程判明したのが......。 これは私の不得手という話になるのだけど。 「無知な状態のまま、一度見たものをもう一度思い出す時の、情報の解像度があまりにも低く、再現性が低い」 という話にもつながりそう、ということ。

2020-01-22 18:29:19
きもぴか(停止) @picca009

夫は無計画なまま旅に出ても、訪れた先の景色を立体的に思い出せるし、美術館や博物館の展示物もの配置も思い出せるそう。 頭の中で立体を回転させることもできるし、一度歩いた道は覚えているので迷わない、と。

2020-01-22 18:30:33
きもぴか(停止) @picca009

一方私は.........何を隠そう、驚く程方向音痴である。 道順は覚えられず、道を覚えるときは「Googleストリートビューの写真を撮るように」記憶するため、座標とか、位置関係とか、立体構造とかでは覚えられない。 頭の中で三次元の立体を回転させることはできず、部屋の配置も覚えられない。

2020-01-22 18:32:17
きもぴか(停止) @picca009

なにしろ、幼少期には「行きの道順の景色しか覚えていなかったために、帰りの道順がわからず、後ろ向きに歩きながら、行きの景色の記憶と照らし合わせつつ家まで帰った」ことがあったくらいには、道が覚えられないのである。

2020-01-22 18:33:25
きもぴか(停止) @picca009

この方向音痴ぶりがどうして「百聞は一見に如かず」の話につながるかというと。 前提知識を知らないままで曝露された情報を受け取った時の、受け止められる情報量や記憶していられる情報量が、おそらく私は圧倒的に少ないのだろう、ということが推測されること。

2020-01-22 18:34:51
きもぴか(停止) @picca009

夫は、無知なまま訪れた先にあったものを、あとから知識を得たときに思い出すことで、あとから理解/解釈できるのだそうだ。 ただ、私はおそらく、「それと知らなければ見落とす/覚えていない」タイプだと思われるため、すべてをエピソード記憶の形式にしておかないと、記憶の中に保存できない.....。

2020-01-22 18:37:10
きもぴか(停止) @picca009

故にか、おそらくは私にとっては、「百聞」という行為は、一見の機会を得たときに行った先で見るものの記憶をエピソード記憶として変換するための準備として必要な前処置であって、その処置なしで自分が一見の機会を得ても、覚えていられる情報量がごくわずかになってしまうのだと思う。

2020-01-22 18:40:23
きもぴか(停止) @picca009

というわけで、どちらがいいとか正しいとか、優れているとかの話ではなく。 おそらく記憶力の形式や容量やタイプの違いによって、「一見」の機会に対する準備量が異なるんだろうな、という結論に至った。 できないものはしょうがない......。それをカバーする手段があるならそれをやるだけだ。

2020-01-22 18:42:23
きもぴか(停止) @picca009

で、さらにその上で。 私は以上のような特性というか傾向がありそうなので、とにかくどんどん「一見」だけを積み上げられるのが、おそらく苦手なのかもしれない。 「百聞」を集める時間がある程度担保されていないと、「一見」ばかりどんどん積み上がっても、覚えきれないんだと思う。

2020-01-22 18:44:23
きもぴか(停止) @picca009

なので常に「百聞」をかき集めながら過ごし、時折「一見」の機会に恵まれたらそれでよい、のような、そんな感じの動きが出来上がってしまったように思う。 「一見」の機会に対する飢餓感がさほど強くないのも、おそらくそのせいかもしれない。先に百聞を満たしておきたい、という気持ちの方が強い

2020-01-22 18:48:39
きもぴか(停止) @picca009

びっくりするほど方向音痴+機会にあまり恵まれない田舎育ち+オタク気質、の特性が混ぜ合わさって、こんな感じになったのかもしれない......。

2020-01-22 18:49:27
--・-・ @emergencyAPZ

だからぴかちゃんの周りには人が寄ってくるのでは 話聞き上手だし、感想や意見をちゃんと述べてくれるから、えっそんなエピソードあるの?すげーな!!!!!?って自分の得た知や感情を拡張してくれるんだ

2020-01-22 18:59:13
きもぴか(停止) @picca009

そう言ってもらえるとありがたい.....。たぶん全部をエピソード記憶にしようと(無意識にでも?)躍起になってた上での副産物な気はするけれど.....。

2020-01-22 19:02:29
もこたもこみそ @m0co_ta

百聞を知らずに一見するやつ、思ったものすべてが自分のものなのでそれはそれで好きだし、百聞してる間に一見しなくていいかとなりがちな私にとってはとりあえず一見して、そのあと百聞知ってから、うわー!まじで!?そんなんあるの!?ってなってまた一見するとめっちゃおもしろい。

2020-01-22 18:31:56
きもぴか(停止) @picca009

「また一見する」の機会がある前提か無い前提か、の差はありそうなんだよなあ..... 夫も本を何周も読み返すタイプだし、同じ旅行先に何度も行くタイプなので、「また一見する」ことを前提に置いてる感じはある。 私自身は最初の一見のチャンス以降、次の一見があると思ってない節がある気はする。

2020-01-22 18:56:35
きもぴか(停止) @picca009

「一見」が、ほんとうに「一見」になっちゃう感じなんだよな。私にとって。たぶん。「一見」に対するスタンスがそんな感じ.....? 「あとで何度でも見返せばいいや」「また行って確認しよう」みたい前提は、あまり抱けない。

2020-01-22 18:59:47
--・-・ @emergencyAPZ

方向音痴ってこうなの!?!?!?!?マジで!?

2020-01-22 19:01:35