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「明智光秀=天海僧正」説って、いつどこで言われたんだろう?(ほか桃太郎=吉備津彦命説についても)

「麒麟がくる」では、この伝説が登場したりするのですかね? /今回は情報を持ち寄っていくうちに、容疑者?がある程度特定できたようです。
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ちーけー @spr_tk

そういえばマガポケで修羅の刻を読んでたら、南光坊天海と松平伊豆守がでてきてるよね。 pic.twitter.com/wJBRGR7uNB

2019-04-25 19:34:38
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まとめ管理人 @1059kanri

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ というブログの管理人でございます。 iiwarui.blog90.fc2.com 主にブログ更新のお知らせとか戦国時代のこととかそれ以外のこととかつぶやきます。

iiwarui.blog90.fc2.com

まとめ管理人 @1059kanri

明智光秀=天海説は、どうも大正の頃に言われ始めたものらしい。その頃に何か有ったのだろうか

2020-01-28 01:57:25
かぐらん@ぐっどるーさー @kagglan

@1059kanri 徳川こそ悪!の明治維新から時間がたって玉石混合の意見が出始めたのでは?

2020-01-28 02:05:12
古上織蛍 @koueorihotaru

古上織蛍です。 ブログで歴史考察(戦国時代(石田三成・関ヶ原合戦等)・三国志等)、書評、小説や、日々思いついたことをつれづれに書いています。 ブログ:古上織の日々の泡沫(うたかた) koueorihotaru.hatenadiary.com

古上織蛍 @koueorihotaru

@1059kanri 明智生存伝説は色々あったみたいですが、「天海」伝説だけ、これだけ広まったのもなんか理由があるのですかね。

2020-01-28 02:05:25
bookroad @bookroad1

@koueorihotaru @1059kanri 「誰が言い始めたか」特定できないものだろうか。 twitter.com/1059kanri/stat…

2020-01-28 02:06:30
まとめ管理人 @1059kanri

戦前期はむしろ、天海が会津出身であることはほぼ常識として語られていて、「会津の偉人」の一人としても取り上げられている。これを光秀と結びつけるというアクロバティックさから言って、大正期ころにそれをやった歴史小説か何かが有ったのではなかろうか

2020-01-28 02:08:13
まとめ管理人 @1059kanri

@kagglan どうも正直、もっとエンタメよりの話のような気がしています

2020-01-28 02:09:55
まとめ管理人 @1059kanri

@koueorihotaru 広まったのは間違いなく戦後ですね。小説などに取り上げられて

2020-01-28 02:10:27
令和の土星人@10/11鈴木愛理・ビタスイ・中島卓偉名古屋ライブ @4568Ts

@1059kanri その説を流布したと言われる明智滝朗(例のケンザブロー氏の祖父)は明治19年生まれだそうで、大正の頃にはもう言いふらしてたかもしれませんね。 crd.ndl.go.jp/reference/modu…

2020-01-28 02:20:51

質問
(Question)
明智光秀の生存伝説について、現在の山県市に落ち延びた、僧天海となったとする伝説があるが、それについて触れた図書・論文がないか。

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回答
(Answer)
明智光秀の山崎合戦後の生存説については、以下の資料で紹介されている。なお、論文の体裁をとった資料は見つけられなかった。

1 『「異説」日本人物事典』(三省堂,1983年)
… p.31~p.35に明智光秀に関する項目があり、両方の説を紹介している。出典について、山県市説は江戸時代中期の随筆『翁草』に記されていることを挙げている(下記2)。また天海説については「明智滝朗(明治19年生まれ)などの説くところを整理」したとしている。
 
2 『翁草』(神沢貞幹著 安永5年(1776)序文 歴史図書社,1970年刊の翻刻版を参照)
… 巻122「雑話」に、明智光秀が「濃州中洞仏光山西洞寺」に隠れたことが記されている(翻刻版3巻p.1880)。

3『光秀行状記』(明智滝朗著 中部経済新聞社,1966年刊)
… p.267~285まで、天海説について触れられている。

 なお、天海説については大正時代に刊行された天海の伝記『大僧正天海』(須藤光輝著 冨山房,1916年刊)でも「奇説」として否定的に触れられており(p.595~596)、明智滝朗氏の著作より前からあった説らしい。

また、山県市説については、現山県市中洞ではなく洞戸村(現関市洞戸)の話として記載されている資料もある。
4 『美濃雑事紀』(成立年代不明(江戸後期か)『美濃明細記』との合冊復刻版(大衆書房,1969年刊)を参照)… p.671に「洞戸村の光秀裔」として記載がある。

回答プロセス
(Answering process)
レファレンス協同データベースに類似事例があったので、それを参考に当館の所蔵資料をあたる。
・明智光秀は捕らえられず、後に「天海僧正」(日光東照宮建立の中心人物で、百歳を超える長生き)となったという説があるが、八切止夫の作品がその説の最初か
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000000249  (2019年7月確認)

リンク レファレンス協同データベース 明智光秀の生存伝説について、現在の山県市に落ち延びた、僧天海となったとする伝説があるが、それについて... | レファレンス協同データベース レファレンス協同データベース(レファ協)は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築する調べ物のための検索サービスです。参加館の質問・回答サービスの事例、調べ方、コレクション情報など調査に役立つ情報を公開しています。
ののまる @nonomaru116

@1059kanri 誰かが思いつきで言ったのを、天海のこと研究した作家が著書で触れてて、それが広まるきっかけですかねぇ。戦後に広めたのは自称子孫氏の祖父だそうですけどw

2020-01-28 02:26:32
まとめ管理人 @1059kanri

@nonomaru116 もしかすると大正期に流行った伝奇小説で誰か書いたのかな、とも

2020-01-28 02:48:44
まとめ管理人 @1059kanri

@bookroad1 @koueorihotaru 何かしら遡ることはできそうですが、誰が言い出したかに成ると難しそうです

2020-01-28 02:50:01
まとめ管理人 @1059kanri

大正期頃に、天海僧正が講談などで一般の人にも人気キャラの一人だったことは間違いなさそう。であれば、既に知名度の有った天海僧正に、これまた知名度の有る明智光秀を組み合わせた創作が何処かで生まれた可能性が。天海が武田信玄の相談役だった、という大正期の創作は確認できた。

2020-01-28 02:55:36
まとめ管理人 @1059kanri

江戸期の絵本太功記などでも、明智光秀は大恩ある主君を殺した逆臣、というよりも、主君の暴虐に対する同情すべき被害者、として描かれており、この光秀への世間の同情心を受けて、創作において「実は生きていたのだ」という方向に進むのは割と自然な流れだと思う。

2020-01-28 03:03:48
まとめ管理人 @1059kanri

義経チンギス・ハーン説と同根の話かなあと。あれも本質的には英雄義経への同情が昇華したものでしょうし。

2020-01-28 03:07:25
みー@歴史垢 @r_k_s_l_v_

光秀は死んでなかったという終わり方にするのであれば、天海大僧正になったという風にするの?笑 フィクションが過ぎる気がするけど.....笑

2020-01-28 10:03:49
雄介(math) @shoukax

@1059kanri 大正というと、猿飛佐助が登場する講談と立川文庫ですかねえ。

2020-01-28 12:56:11
黙考 @p_v_a_c_

前、何かで「家康が伊賀越えの苦難を味わわされたため、明智光秀に対しての江戸期の評価は非常に手厳しかった。」などという話を見たため、結構、意外。 江戸期における織田信長の評価に興味が湧いてきた。 twitter.com/1059kanri/stat…

2020-01-28 14:25:30
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コメント

ミサイル @junko_missile 2020年1月28日
天海大僧正と芦名銅伯の兄弟説はどうなる
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語るおじさん(おじさん) @ojisan_think_so 2020年1月28日
桃太郎は香川も岡山も最終的には温羅と戦うのが興味深い 難敵だったんだろうね
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時計じかけのミカン @mkn_inv 2020年1月28日
あの時代って「源義経=ジンギスカン説」もあったしね。年齢の特定とか、資料的に未解決な要素が多かったから、その隙きを突いた異説なんだろうね。話は違うが裏地球説も70年代位まではSFの定番の題材だったが、観測技術の進歩とともに忘れ去られた。それと同じようなもんかな。
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Sひろし @1970er 2020年1月29日
山県市の生存説の初出は天野信景の「塩尻」なのに、いつまで「翁草」と書かれ続けるんだろう。「翁草」自体に「塩尻」がネタ元と書いてあるのに。
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