自分とはなんの縁もゆかりもない、好みや生活習慣が全然違う誰かの表現が、否応なしに目に入ってくる、という機会は貴重なんだと思う
- lucifer_af
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ネットはどこか文脈依存というか、自分が見たいものを引っ張ってきて読む結果として、好ましいもの、引っかかってこないもの、初めて読むのに、読むというよりも思い出すような印象を持つ文章ばっかりが目に入る。Tumblr なんかは、自分の文脈が入る要素がないのに、それでも
2011-06-07 15:58:35今はもうそういう習慣もなくなってしまったけれど、仕事の帰りに本屋さんによって、ベストセラーの平積みをちょっと眺めるときには、そういう「もう知ってるよ」感がなかった。文字数からしたら、Tumblr 1日分と本屋さんの平積みと、比べようもなくネットのほうが多いのに
2011-06-07 15:59:47このあたりが未だに、リアル本屋さんにあってネットに載せきれてない何かの機能というものなんだと思う。今はもう、住んでいる場所に、「駅前」も、「立ち寄れる本屋さん」も、物理的になくなってしまったから、そういう習慣が無くなってしまったのだけれど
2011-06-07 16:00:48平積みの表紙というのも表現の一種であって、自分とはなんの縁もゆかりもない、好みや生活習慣が全然違う誰かの表現が、否応なしに目に入ってくる、という機会は貴重なんだと思う。どれだけたくさんの文章量を摂取しても、それとは違う
2011-06-07 16:03:09.@medtoolz 文献研究の基本テクニックなんですけど、「図書館の関連書籍の棚を眺める」というのはそれ自体が一つの技法なんですよね。未知の資料を発見できる可能性があるから。真面目な話。
2011-06-07 16:04:42学生の頃、お金なかったし、毎日2件ぐらい、本屋さんをはしごしては平積みを眺める、書棚を眺めるのが日課だった。新刊本は買えなかったから、たいてい古本だったにせよ。で、東京みたいにアートがごろごろしてるところはともかく、田舎だと誰かの表現といえば本屋さんだったのだと思う
2011-06-07 16:04:48@medtoolz 個人的にこの「自分のバイアス」に対する漠然とした恐怖感は日に日に高まっているのでよくわかります。昔のつけっぱなしのテレビ、斜め読みする紙の新聞から得ていたような何かを取りこぼしているのではないか、という。しかも、恐怖感がありながら昔のメディアに戻る動機もない。
2011-06-07 16:07:54@medtoolz 情報の選択に適切な重みづけをして偏りがない。内容に事前に色付けをしない。しかも押しつけがましくない。それって、今まであった「大手メディア」という幻想に他ならないような。
2011-06-07 16:17:04「引っかかってくる」感覚というのは、むしろ普通の本屋さんにあって、ビレッジヴァンガードみたいな本屋さんには、むしろ少ないのが不思議。自分だけかもしれないけれど。それを「表現だ」と認識してしまうと、もう丸ごとでしか見ることができなくて、引っかかって、自分が何か変化する要素がなくなる
2011-06-07 16:08:21「これはアートだ」と構えると、どれだけそれがものすごい表現だろうが、その体験は「すごいアートを見た」というフォルダに入ってしまって、なんというか、ディレクトリ直下に間違って置いたアプリケーションでとんでもない目に遭う、という状態にならない気がする。それこそが目的なのに
2011-06-07 16:09:38