こよみゆうかさんの『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでるのまとめ

『西洋哲学史-古代から中世へ』(熊野純彦(著),岩波書店(刊),(岩波新書))を読みながら、こよみゆうかがつぶやいたことのまとめです
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

わたしは、『反哲学入門』を読んで、哲学とは一神教を肯定するために発展してきたのでは無いか?という、疑問を持ったのですが、どうも少し(だけ)ピントがずれていたんじゃ無いかと、この部分を読んで感じました ...ふむ

2020-01-29 13:44:27
こよみゆうか @koyomi_yuuka

「政治理論家としてのアリストテレスは、けれども、むしろ暮色のポリス的世界に対して忠実であった」 主題から外れるのですが、アリストテレスといえども哲学だけでは食えていないのですよね? ...いや哲学があるから、教師にも政治理論家でもあるとも... (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/cy4vrX4ECC

2020-01-29 13:52:10
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「哲学とは一時代のおわりに、その時代を概念的に総括するために登場するものなのだ」 おぉっ! この言葉はシビれますっ! (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/O512KIvIi9

2020-01-29 13:56:55
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「およそ存在するものは物体だけであると主張する」 おや?と、思うと 「ストア学派にとっては、したがってたましいも物体的なものである」 ふむふむ、と ストア派と仲良くやっていけるか不安ですw (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/Spx1QKHp0M

2020-01-29 14:13:30
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「神とはすべての質料に浸透するロゴス、あるいは理性それ自身のことである」 宇宙全体に広がっていると言われていた「エーテル」も「神」だったのでしょうか? 真理や、物理学者の目指す大統一理論なんかも「神」なんですかね? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/7aqly5I3xz

2020-01-29 14:21:43
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

言葉遊びのようにも読めてしまうし、まだ人類が辿りついていない真理(?)への道のような気がするし...うまく消化できない感じです 哲学は気を抜くと言葉の定義を話しているだけのような気分になるのですが、それだけ言葉を大切にしているのでしょうね...

2020-01-29 14:24:18
こよみゆうか @koyomi_yuuka

「「正義は、その名で呼ばれるにふさわしいものであるならば、自然本性にもとづいている」」 これって、ストア派は絶対的な善(正義?)があるはずだと考えていたってことなんですかね? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/bAtRwhbfT7

2020-01-31 10:55:11
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「ストア学派といえば、「アパテイア」(無感動)の理想が挙げられる。ひとは欲情や憤怒の虜となってはならない」 どことなく、諸行無常だとか、仏陀の教え(原始仏教?)にも似ている(?)気もします スタートは似ていても、結論が異なるようで興味深いです (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/gfntMVVMzt

2020-01-31 11:05:11
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「そのような「賢者」が、国家の最高権力者となってしまったら、彼はなにを考えることになるだろうか」 なるほど〜っ 皇帝マルクス・アウレリウスの感じた苦悩と言うか、諸行無常観と言うか、生死観には、なんとも言えぬ清々しさがあるようですね (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/VCSYdpytoF

2020-01-31 11:19:52
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「知をもとめつづけて、終わることのないいとなみが哲学であるならば、懐疑とは哲学することの別名にひとしい」 きの懐疑主義の章は、とても読みづらくて大変ですっ💦 少し置いてきぼり感があるので、間違えている事を恐れずに、頭の整理をしてみるのです (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/3ajyPxkVo3

2020-01-31 11:56:54
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

初期の哲学がたった一つの真理を求めるものだとしたら、懐疑主義は疑問に持ち、「あらわれること」(あること?)と「思考されるもの」(考えること?)を分離して、そうであると受け入れる(「判断中止」?)ことを考えたのではないか? 哲学が道だとすれば、懐疑はそこを進む道具(のひとつ)なのか?

2020-01-31 12:03:48
こよみゆうか @koyomi_yuuka

「原点は、デカルトから千年以上もの時をさかのぼる」 超基本的なことを理解していないのですが、デカルトは「方法的懐疑主義」で有名で、この章はその原点をめぐる話だったと言うことですよね? デカルトまでたどり着くと、もう少し理解できるのでしょうか... pic.twitter.com/qB0yapn1Ts

2020-01-31 12:08:24
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

また、セクストス・ホ・エンペリコスの話が多く出てくるのですが、彼自身は哲学者もしくは懐疑論者と言うわけではなく、懐疑論者やそれに関連する主張を探究し『学者たちへの論駁』としてまとめたのですよね? なので、それを元にしてそれ以前の懐疑論者の主張を推察することができると... pic.twitter.com/tGFSgGJMxD

2020-01-31 12:17:15
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「この認識を徹底すれば、ユクスキュルの環世界論へといたることになる」 ユクスキュルは20世紀の哲学者なので時代がかなり違うのです でも、その基点となっている考え方はセクストスの書き残した、動物相互の違いによる「感じかた」の違いにあるのです (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/7ZwXHKoKal

2020-01-31 12:24:35
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

懐疑論者の祖としては、ピュロンが挙げられている(ピュロン主義)けれども、ピュロン自身が懐疑論者だったかは、彼自身が書き残したものがないので良くわらからないようです なので、セクストスのテキストなどを参照して想像するしかないのです...

2020-01-31 12:30:07
こよみゆうか @koyomi_yuuka

時代が入り混じっていて、状況把握がややこしい感じがするのですが、懐疑を通して哲学することが懐疑論から始まり、近代まで脈々と続いている、といった感じの認識で良いのですかね?

2020-01-31 12:32:22
こよみゆうか @koyomi_yuuka

「身体という多を一にするものは、たましいであり、たましいは「多なる一」なのである」 多を一とするものがたましいなら、時計にもたましいはあるんですよね? 「たましいの上方に、知性が位置する」なら時計にはたましいはあっても知性はないのですか? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/Ba7Phd3hun

2020-01-31 21:55:49
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

まぁ、時計に知性はないと思うのですが...

2020-01-31 21:56:14
こよみゆうか @koyomi_yuuka

(ここで書かれている)「たましい」とは概念のことなんじゃないのか?って気になってくるのです... とすると、わたしが以前『「死」とはなにか』を読みながら漠然と考えた、周りの人から見たときのわたしも含めた「私」の「たましい」は他者からの認識のようなものなんじゃないか?と近いのですかね?

2020-01-31 22:09:59
こよみゆうか @koyomi_yuuka

「フィロンは、かくて、ときにキリスト教徒と誤解され、また新プラトン 主義の先駆者とされた」 プトレマイオス朝アレクサンドリアは様々な文化の合流地点でした そして、フィロンの出自はヘブライ文化だったが、神や聖書(?)の解釈を哲学的に行いました (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/p5vDREzWWK

2020-01-31 22:30:32
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

超ざっくり整理してしまうと、こんな感じですかね?

2020-01-31 22:30:59
こよみゆうか @koyomi_yuuka

聖書(or モーセ五書?)自体は、哲学とは別の道を辿って整理・継承されてきたのだけれども、(フィロンによって?)哲学と出会い、哲学的な解釈も巻き込みながら新しい歩みを始めたって感じなんですかね? 「存在」や「絶対的な真理」のようなものへの探求と一神教の教えが相性抜群だったのでしょうか?

2020-01-31 22:35:23
こよみゆうか @koyomi_yuuka

「「友との関係は自己自身との関係においてひとしい。というのも、友とはもうひとりの自己であるからである」」 ここも「自己」とか「たましい」、そして他者の関係を表しているんじゃないかと思うんですよね... (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/8V3nUeNbgO

2020-01-31 22:41:23
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「だから、愛する者が死んでしまったとき、私の一部もまた死んでしまうのだ」 ...なんか、ちょっと(わたしの言いたいこととは)違う気がするのです ...でも、似たようなことが書かれている気もする... う〜、もやもや (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/pYn6k4Wf3l

2020-01-31 22:46:20
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こよみゆうか @koyomi_yuuka

「哲学は、だから神を探し求める探求(神学)と別のものではない」 アレクサンドリアが文化の合流地点であり、そこでファロンにより哲学と宗教も交差した そして、その後にアウグスティヌスによってその結びつきが決定的になった って感じですかね? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/4LHdas88Sh

2020-01-31 22:52:25
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