- koyomi_yuuka
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「ロゴスとはつまり、相反するもの、対立するものの両立であり調和にほかならない」 えっと、「タレスの水」からあらゆるものは「水」から始まり「水」に還るといったような例えが挙げられ、「輪廻」そしてピタゴラスの展開した「数」の主張がありました (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/3GsiGc1JZ6
2020-01-26 16:05:48「火が燃えつづけ、炎が揺らめきつづきているとき、そこには相反するふたつの傾向が働いている」 そしてヘラクレイトスの「炎」の生成と消滅の話があったのです ここでの「輪廻」とは、流れゆくものがそのものを形作っていると言う程度の意味なのですか? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/0259Pu8FEQ
2020-01-26 16:14:03そして、それが「ロゴス」であり、ロゴスは、炎が「生成」と「消滅」のような「相反するもの」が表裏のように一つのモノを(コトを?)形作っているということなんですかね? むむむ... 難しいですっ💦
2020-01-26 16:17:13「神が存在するなら、それはただひとつの、おなじものでなければならないはずである」 クセノファネスの神への想い(主張?)なんですが、つい鏡を想像してしまったのです 神とは自分の心にある鏡で、自分自身を写しているモノなんじゃないか? ナンテネ (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/tyPPTJmEJj
2020-01-26 16:27:32「世界と、世界をめぐふ経験のすべてがそこに結晶しているような一語を語りだすためには、いくえにも錯綜したことばのすじみちを辿りなおさなければならない」 パルメニデスは、すごいロマンチストなんじゃないのか? 文学と哲学の交差点をみた思いですっ (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/mnB5osbFLp
2020-01-26 16:39:23そして、パルメニデスにしてもピタゴラスにしてもタレスにしても、「調和」とか(自然の内にある)規律をとても大切なものと感じていたのではないか?
2020-01-26 16:41:42「あるとし、あらぬということはありえないとする道」 「あらぬとし、だんじてあらぬとするべきであるとする道」 パルメニデスが問うているのは、「存在」なのです(よね?) ...むむむ、難しいっ💦 (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/rK0r73qnw8
2020-01-26 16:49:58「「多」を否定するゼノンの論拠は無限分割の可能性にもとづいていた。おなじ論法によって、ゼノンはまた「動」を否定したといわれる」 超消化不良なのですが、この話の肝は、論証の限界であるとか、危うさを表していると言うことなのでしょうか? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/kLuahfhfwX
2020-01-28 16:14:14アリストテレスはゼノンを「弁証法」の創始者と呼んだようですが、ゼノンの語っている無限は、直感的に無茶がありそうだと感じるけれども、その違和感を論証によって示すことの難しさこそが、ゼノンのパラドックスの要点であり、だからこそ「弁証法の創始者」と呼ばれるのでしょうか?
2020-01-28 16:19:20タレスの「水」から始まって、「存在」について考えてきたと思うのです 「存在」を考えていると、始まりとか起源、そして「無いこと」や「変化すること」について考えが深まっていき「アルケー」につながっていくのかと... でも、ゼノンの話しはわたしの中で消化不良を起こしていて居場所がない感じ
2020-01-28 16:42:20やはり、ゼノンの話はなんともキツネに摘まれた感があって、その違和感のようなものに向き合って説明する(論証する?)ことの難しさだとか、その違和感こそが大切だったんじゃないか?程度にしか落としどころが見つからないのです...
2020-01-28 16:45:29「ソクラテスは相手との対話をすすめながら、自分は答えを与えない。解答をソクラテス自身もしらないからだ」 「なんかずるい気がする...」と感じでいたのですが、この前に書かれていたソフィストとフィロソフォスの話を読んで少し分かった気がするのです (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/GAB2YhBEJk
2020-01-28 19:41:49ソクラテスはあくまで「知を愛し、求める者」(フィロ・ソフォス)であり、答えを持つ「知者」(ソフォス)では無いのだと だから、ソクラテスは「問い」や「対話」を大切にしていたのでしょうか?
2020-01-28 19:44:36また、現代に「無知の知」と呼ばれている思想(?)に対しても少し誤解をしていたような気がしてきました ...と、言いながらも、言葉遊び感もあるのですよね...
2020-01-28 19:46:15「(前略)有用さそのものはいったいなんのためにあるのだろう。そのように問いかけ続ける者があったなら、その者は、どのような時代でも余計者として疎まれ、最後には憎まれることだろう」 (少し遡って読み返して)なるほど〜っ まさしくソクラテス像なのです (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/adaOWoCvRi
2020-01-28 19:54:10「だが、プラトンがソクラテスのもっとも充実した弟子であったかについては、一考の余地がある」 ぉ!? わたしは勝手に、ソクラテスはプラトンの創作上の人なんじゃないか?と、妄想しておりました😊 (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/xFJ0EOxezr
2020-01-28 20:00:41また、犬儒派などと言われているディオゲネスなんかも、世捨て人っぷりが凄かったんだと思うのですが、ソクラテスも相当な世捨て人で、プラトンが都合よく解釈しただけなんじゃ無いのか?などとも...😅
2020-01-28 20:05:20「「アテナイからの客人」は、なにについてであれ、変化を嫌う」 少し前に『「死」とは何か』を読んだときに「私」と「変化しないこと」が書かれていて、どうにもなぜ「変化しないこと」にこだわるのかわからなかったのですが、ここが関連するのですかね? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/RMIcAx0jWP
2020-01-29 10:31:29うまく、理解できていないのですが、「不滅であること」や「変化しないこと」は「存在」を考えるときに重要なポイントだと考えられていて、それが「私」の存在に繋がっているという考え方が根底にあるのかな?と...
2020-01-29 10:33:36「美のイデアがそれ自身美しいものであるように、「大」のイデアもそれ自体大きい」 少し戻って... 「大」は相対的なものなので、「それ自体大きい」とは変なことを言っているような気がしてしまいます またここも、「変化しない」もの(こと?)なのですね (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/VcACpnL77T
2020-01-29 10:39:10こうして見ていくと「人間がすべての尺度である」とした、プロタゴラスのことを考えてしまうのです 彼は「知者」と名乗ったようですが、「知者」もまた他人から見たときの知者だと言われてしまうのが悲しい...
2020-01-29 10:41:48「美しさそのものは美しいとものよりも、遥かに美しくて「それ自体が、それ自身だけで」美しい。美そのものは「永遠に存在して、生成も消滅もせず、増大も減少もしない」」 美のイデアの話。 この部分は、なんとなくわかる気がするのですが「美」を「大」に入れ替えると、う〜ん...と む、難しいっ💦 pic.twitter.com/p6V2cS84dP
2020-01-29 10:48:29「第一の動者は、こうして、それ自身は運動してはならないことになる」 むむむ? 「運動」とは何のことなのか分からなくなってきたのですが、比較によって物事の本質を辿っていこうとすると、絶対的な基準が必要となるよね?って話なんですかね? (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/v66WljY2EU
2020-01-29 13:26:18「晩年のプラトンは、プロタゴラスの命題を逆転させて、「私たち人間にとっては、万物の尺度はなによりもまず神である」と語っていた」 なんとなく、「神」の誕生というのか、必要性を見た気がします (『西洋哲学史-古代から中世へ』読んでる) pic.twitter.com/p2TLhF7xzv
2020-01-29 13:42:29