エルフの女奴隷を代々受け継ぐ家系の話( #えるどれ )~8世代目・その12~
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「おばあちゃん!ただいま!」 リズが声をかけると、車椅子に乗った老女が太い腕で車輪を回しながらあらわれる。乗り物には、孫が携えているものよりやや柄の短い筒が取り付けてある。 「…リズ。そちらのお客様はどなた?」 筒の握りにさりげなく手をかけながら媼は問う。
2020-02-09 17:07:26「ドレアムっていう名前だって。頭が変になっちゃってる。でも害はなさそうだよ」 「あらまあそれはお気の毒ね」 筒から手を離さずに、老女は眼鏡ごしにじっと客を観察する。 暗い膚に尖り耳の青年はへらへらしている。
2020-02-09 17:08:36「手前はドレアム。影の国のもんでさあ」 「影の国?どこかしら。おじいさんは詳しかったんですけどね。近頃はほかの防月壕の話もほとんど入ってこなくて」 「ちょいと遠いところで」 「そうなのね。よくいらっしゃったわ。お食事をご一緒なさいません?」 「そいつはありがてえや」
2020-02-09 17:10:00地下で育てているらしい豆と牛骨でだしをとった羹(あつもの)が、タラ牧場の晩餐だった。乾燥させた牛糞を燃料にして熱い料理にしている。 青年は遠慮なくごちそうになった。 祖母と孫は、客の無邪気な健啖ぶりを眺めてようやくと筒をそばから離した。 「影の国というのは何人ぐらいいるの?」
2020-02-09 17:14:04媼が問うと、旅人は考える。 「人間ですかい?千は降らねえと思いますがね」 「まあ!そんな町がまだ残っているのね?ほかの防月壕との行き来はあるのかしら」 「交易は栄えてまさあ。地下の道で運河とつながってやして」 「地下道ね。おじいさんが言ってたわ。そういう方法は有望だって」
2020-02-09 17:16:12「へえ。まあ手前のご先祖が穴掘りだのなんだのが得意で」 「この防月壕も私とおじいさんと…子供達で整備してきたのよ…長い間ね。あなた壕のことはくわしいかしら?空調とか?」 「いやあ、ご先祖のマーリだったらお役に立てるとこですがねえ」
2020-02-09 17:18:30ドラムは老女に尋ねる。 「月の落とし子について教えちゃくれやせんかい?ここらじゃあ。どれくらいいらっしゃるんで」 「そうね…ほかと同じだと思うけど。いつも落涙は満月の晩に始まるわ。新月には降りてくる」 「へえ毎月。そいつはてえへんだ」 「そちらではもっと少ないの?」
2020-02-09 17:20:41「手前はどうも月のことはあんまり詳しくねえんでね。その落涙ってやつぁぜひ見物してみてえ」 「まあ…」 老女は唖然としたようだったが、やがて笑った。 「おじいさんに似てること。いいですよ。おじいさんの観測の道具が残っていたと思います。案内しましょうね」
2020-02-09 17:22:04孫の方がびっくりした。 「だってこいつ頭が変なんだよ?おじいちゃんの大事な道具を」 「誰かが月の落とし子の正体を突き止めなきゃいけないって、おじいさんは言ってたわ。ほかに誰も助けてくれないかもしれないなら、私達がやるしかないって」 「だけど会ったばかりのよそものに」 「いいの」
2020-02-09 17:23:33防月豪の地下には天体望遠鏡やら観測記録をつけたノートやらが残っていた。 リズは牛脂の蝋燭をつけてくれようとしたが、ドレアムは六本指を振って、闇の中ですらすらと文字を読み、器具を弄り回した。
2020-02-09 17:26:04「旦那さんの観測はたいしたもんでさあ。色々なことが解りやした。手前もひとつ、直に月の落涙ってのを見てみてえ」 「本当におじいさんに似ていること。落涙の間、落とし子は空にいるから危険はないけれど、好んで眺めたがるひとなんてほとんどいないと思うわ」 「そいじゃ望遠鏡をお借りしまさ」
2020-02-09 17:28:38「扱い方は解る?」 「影の国では手前の子守をしてくださったおひとが天文をやっておいでで。多少は使えまさ」 「そうなのね。そうあるべきだわ。人間はただ防月壕にこもって震えてばかりいるべきじゃないのよ」
2020-02-09 17:30:37「もちろんでさ。そうだ、一つ教えて下せえ。この辺りに石柱が輪になって並んでるところはございますかい?」 「あら…タラの丘の環状列石ね。私が小さい頃はまだあった。でも目立つ印は月の落とし子の注意を引くからと、おじいさんと私とでどけてしまったわ」 「そうですかい」
2020-02-09 17:31:53満月まで、黒の賭け手は牧童を手伝い、牛の世話と防月壕の手入れ、石鹸作りや革なめしまでこなした。初めてのことも多かったが、青年はすぐに少女からこつを会得した。
2020-02-09 17:34:01「ドレアム。頭が変なわりに器用なんだな」 「そりゃまあ。頭と手は別々に動くこともありまさ」 「それだけ役に立つなら…し、しばらくタラ牧場にいてもいいぞ」 「ありがてえこって。ところでリズさんは将棋をご存じで?」 「知らない」 「教えまさ。あとでちょいとひと勝負いたしやしょう」
2020-02-09 17:36:02青年は妖精の木から作った将棋盤を取り出し、車椅子の老女や牧童の少女と遊んだ。防月壕の中は楽しみが少なく、二人は随分喜んだ。 ドレアムは二人のために牛骨と廃材を使ってもう一組の将棋盤と駒をしつらえた。
2020-02-09 17:37:51「…あなたは本当に素敵な紳士ねドレアム」 「手前はしがねえ博打打ちでさあ」 「いいえ。紳士よ。ねえドレアム。もし、リズがもう少し大きくなって、それであの子とあなたの気持ちが合えば」 「もうリズの姐さんと手前は友達でさあ。もちろんマーガレットの姐さんも変わらず」
2020-02-09 17:40:09月は満ち、望となった。 黒の賭け手は遠見の鏡玉を担いで、タラの丘に登った。 かつて石柱の円環があった場所へ。 暗天にかかる太陰は黄金の円盤となって輝き、眩い表面はびっしりと細かな六角形の模様が覆い尽くしていた。
2020-02-09 17:42:45「きれいだろ」 いつのまにか筒を携えた牧童の少女がそばにいる。 「リズの姐さん。月のある晩にお外に出ねえ方がいいんじゃねえですかい?」 「いつもならそうする。でも、頭が変なやつをひとり、ふらふらさせておけない。私が守ってやる」
2020-02-09 17:44:30牧場の娘は、夜空の灯を指さした。 「あそこは…落とし子の巣だ。丸ごとひとつ巣なんだ。あそこには落とし子がぎっしり住んでる。私が生まれる前からそうだった。落とし子はあそこから涙に入って降りてきて、ここに住んでる皆を襲う。私達はどんどん減っていく…なのになんであんなにきれいだ」
2020-02-09 17:46:38「面白ぇ」 六本指の博徒は望遠鏡を覗いた。 やがて月が、まるで恋を失った乙女の瞳の如く潤み始めた。 黄金の涙が膨れ上がり、滴となって、ゆっくりと落ちてくる。 この大地へ。
2020-02-09 17:48:25太陰は泣いていた。 こがねの涙を流していた。 涙の中には、あまたのものが隠れ潜んでいるという。 「涙ははじけて、雨みたいに私達の上に降り注ぐ。そうしてそこからあいつらが出てくる。新月までには必ずやって来るんだ」
2020-02-09 17:50:59「月から大地まで。てえへんな旅だ」 「月の落とし子にとっては何でもないんだ。畜生。私に月へ行く力があったら!この銃であいつらを皆撃ち殺してやるのに!」 「そいつぁおっかねえ」 「馬鹿にしてるんだな」 「いいや。リズの姐さんならやりかねねえ」 「どういう意味!」
2020-02-09 17:54:13