福井の女性を世界に発信!ウィキペディアに記事を書いてみよう (2020.02.11)

福井ウィキペディアタウン番外編として、福井にゆかりのある女性や、女性文化について、資料を調べ、ウィキペディアに記事を編集し、発信するエディタソンを開催しました。
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何を題材に記事を書く?

Washiyama @washiyamak

ふるさと文学館で展示をみながら、 学芸員岩田さんのはなしをききます #fukuiwe2020 pic.twitter.com/f311XfomVS

2020-02-11 13:48:30
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資料調査&編集

fuyo @fuyofuni

時間を10分延長して、あわあわと記事をアップ、修正する人たち。 (わたしもだけどね😬) #fukuiwe2020 pic.twitter.com/GTZvUDZzrq

2020-02-11 16:40:15
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Washiyama @washiyamak

集合写真 たのしかったですねー #fukuiwe2020 pic.twitter.com/ZFbRDwP3XB

2020-02-11 18:10:22
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Washiyama @washiyamak

交流会なう。 3回やるとかけるような気がする! かくつもりでよむと、いままで、見えなかったものが見える。 #fukuiwe2020

2020-02-11 18:35:34
Washiyama @washiyamak

はじめはしらなかったものが、いっぱいさがしてると、だんだんくわしくなって、かきあがるとすごく知ってる気がする。 #fukuiwe2020

2020-02-11 18:37:08

今回編集した記事

グループワーク

リンク Wikipedia 石田縞 石田縞(いしだじま)は、越前国丹生郡下石田村(立待村を経て現・福井県鯖江市)を発祥として、江戸時代後期から生産されている縞木綿。 高島善左衛門(1775年 - 1849年) により導入された。緯糸には細い唐糸を合わせた双子糸を使い、きめ細やかに織られる。染料には主に藍が使われている。女学生の制服、農作業着、布団地などに使用されていた。 丹生郡の下石田(現在の鯖江市石田下町)に住む高島善左衛門は、文政年中(1818年 - 1829年)、耕地が少なく農業のみでは生計維持の困難な貧しい村人を救うため、機織の工場
リンク Wikipedia 仁愛女子短期大学 仁愛女子短期大学(じんあいじょしたんきだいがく、英語: Jin-ai Women's College)は、福井県福井市天池町43-1-1に本部を置く日本の私立大学である。1965年に設置された。大学の略称は仁短。 ≪『仁愛兼済』の言葉は大無量寿経からとられたものである。≫≪仁愛の「仁」は支え合う望ましい人間関係、「愛」は人間のみならず、すべての生命を敬愛する共生の認識、単なる知識ではなく、限りなく生かされる生命の事実に気付き、感動することといってよい。≫≪兼済はかねてすくうと読み、仁愛の自覚と感動から生ま 1 user
リンク Wikipedia 森田愛子 森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 1947年4月1日)は、福井県坂井市三国町出身の俳人。高浜虚子の写生文「虹」のヒロインとしても知られる。 1917年(大正6年)、三国港で回船問屋を営む豪商・森田三郎右衛門と田中よしの娘として生まれる。三国の芸者置屋の娘である田中よしは名妓で、18歳で森田三郎右衛門の側室となった。2人の間には長男武雄、長女敏子がいた。 1924年(大正13年)、三国北尋常小学校入学。1928年(昭和3年)、姉敏子が19歳で死去。 1930年(昭和5年)、福井県立三国

個人ワーク(記事編集&出典づけなど)

リンク Wikipedia 勇姫 勇姫(いさひめ、天保5年7月14日(1834年8月18日) - 明治20年(1887年)1月6日)は、江戸時代幕末期から明治期の女性。諱は常子。熊本藩10代藩主・細川斉護の三女。福井藩第16代藩主・松平慶永の正室。 天保5年(1834年)に江戸の熊本藩上屋敷龍口邸において誕生。母は正室の益(広島藩主浅野斉賢の娘、顕光院)。 天保11年(1840年)2月、福井松平家から細川家に、福井藩主松平慶永との縁組をまとめたい旨が伝えられ、3月に細川家は異存がない旨を回答。その後5月27日、両家の縁組が幕府から承認され
リンク Wikipedia 芳野菅子 芳野菅子(よしのすげこ、天保8年2月4日(1837年3月10日) - 大正4年(1915年)2月4日)は、江戸時代幕末期から明治期の女性。福井藩奥女中(年寄)。歌人。福井藩主松平茂昭の子息・侯爵松平康荘の母。明治期には、漢学塾逢原堂(のちに私立逢原学校)の分校として裁縫学校を開設し、女子教育に尽力した。 天保8年(1837年)江戸日本橋生まれ。父は儒学者・芳野金陵、母はつな(1810-1902)。幼名はみさ、すげ。幼い頃から父に和漢の学問を学び和歌は間宮八十子に師事し、のちに福井城下で橘曙覧に学んだ。
リンク Wikipedia 桔梗屋やつ 桔梗屋 やつ(ききょうや やつ)屋津。生没年不詳。日本の助産師。幕末の産婆。 第16代福井藩主松平慶永の娘貞姫(安姫の妹、母は中臈たま)、次の藩主茂昭の子息高麿・信次郎(茂昭の次の松平家当主松平康荘、母は芳野菅子)の出産を助けた。いずれも福井城の大奥において誕生し、その際やつは懐妊から着帯、誕生までに関わった。 このため慶応3年(1867年)4月、「度々御用骨折」との理由で福井藩から、米3俵を下付された(この年のみ)。慶応元年8月の貞姫の帯祝いは戌の日に行われ、藩医半井仲庵、田代万貞、産科の町医師石田一
リンク Wikipedia 細井順子 細井 順子(ほそい じゅんこ、天保13年7月3日(1842年8月8日) - 大正7年(1918年)9月26日)は 福井県の絹織物の先駆者。明治9年(1876年)、官費による伝修生として京都にバッタン機による製織の技術を学びに行き、福井県の絹織物羽二重織の品質向上と普及に努めた。 足羽郡下六条村の百姓、竹下久次郎の長女として生まれ、福井市呉服町の雑貨店、細井万次郎に嫁ぐ。34歳の頃、器用さと聡明さを見込まれ、敦賀県(現福井県)の官費伝修生として京都府織工場に研修に行く。敦賀県の廃止に伴い、1年未満で帰国を余
リンク Wikipedia 山川登美子 山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月19日 - 1909年(明治42年)4月15日)は、遠敷郡竹原村(現福井県小浜市)出身の歌人。本名・とみ。弟は小説家の山川亮。 3 users
リンク Wikipedia 津村節子 津村 節子(つむら せつこ、1928年(昭和3年)6月5日 - )は、日本の小説家。本名は吉村 節子(旧姓北原)。 福井市生まれ。1965年「玩具」で芥川賞、1990年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞、2003年「長年にわたる作家としての業績」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。同年日本芸術院会員となる。2011年「異郷」で川端康成文学賞受賞。ふるさと五部作に『炎の舞い』、『遅咲きの梅』、『白百合の崖』、『花がたみ』、『絹扇』がある。夫は小説家の吉村昭。
リンク Wikipedia 羽二重 羽二重(はぶたえ、英: habutae silk)は、平織りと呼ばれる経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に交差させる織り方で織られた織物の一種。絹を用いた場合は光絹(こうきぬ)とも呼ばれる。 通常の平織りが緯糸と同じ太さの経糸1本で織るのに対し、羽二重は経糸を細い2本にして織るため、やわらかく軽く光沢のある布となる。 織機の筬の一羽に経糸を2本通すことからこの名がある。 白く風合いがとてもよいことから、和服の裏地として最高級であり、礼装にも用いられる。 日本を代表する絹織物であり『絹のよさは羽二重に 4 users
リンク Wikipedia 林歌子 林 歌子(はやし うたこ(戸籍名ウタ)、1865年1月11日(元治元年12月14日) - 1946年(昭和21年)3月24日)は教育者、キリスト教の社会事業者。 1865年1月11日(元治元年12月14日)越前国大野(現・福井県大野市)に、大野藩士林長蔵の長女として生まれる。 1877年(明治10年)に石川県(現在の福井県)第三女子師範学校(後に石川県第三女子小学師範学校と改名)に入学する。1880年(明治13年)に卒業して大野町の有終小学校で勤務する。1883年(明治16年)10月4歳年上の従兄で教員だ

おつかれさまでした!