- motoyaKITO
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@tarareba722 リプ失礼いたします。ラスボスさんの化生のアビリティ名として使われていたのは恐らくお能の「葵上」に出てくる六条のセリフかと思われます('ω') 今日のシナリオ、中古文学学ぶ身としては泣けるシーンが多すぎました……😭
2020-02-18 20:17:31あああーー! これすごいです!! 「このセリフ回し、どこかで…どこかで見たことが…、。」と苦悩していたのですが、伺ってパズルのピースがびしししっとハマりました! これ紫式部の宝具演出(「葵」の「かぎりあれば薄墨衣あさけれど」)にも引っ掛けてるんですね!! ありがとうございます!! twitter.com/teruhi_2525/st…
2020-02-19 11:45:19イベント開催リアタイで感想をすべきか否かに惑う
FGOバレンタインイベント第八段(最終節)の感想、さすがにネタバレ不可避なのでいつごろ投稿するか迷い中です。参考にしたいのでアンケートをとります。ご迷惑な方はミュートかブロック推奨、というのは大前提です。ご回答よろしくお願いいたします。
2020-02-19 15:16:10ご回答ありがとうございました。89.9%の方が「早く公開しろ」という結果でした。とはいえ「待ったほうがいい」というご意見ももっともだと思います。「(ネタバレ感想を読んで)面白そうだからイベントやってみる」という方もいらっしゃるかと思いますし、(続く twitter.com/tarareba722/st…
2020-02-19 22:50:06また、そのいっぽうで「イベント開催中真っ盛りだと心置きなくRTしづらい」という方もいらっしゃるかと思います。そこで折衷案としてあと二日、明後日に公開しようかと思います。楽しみにお待ちくださっている方、もう少しだけお待ちください。途中で気づいたこととかちょこちょこ書き足しています。
2020-02-19 22:51:15FGOイベントの感想少しずつ書き加えているのですが、序段で紫式部が語った「(清少納言は)挑まれたMCバトル全勝」という話、そのうちのひとつが当時の最高峰文化人、藤原公任を相手にしたものでした。見事すぎる美しい「返し」で、雪が舞い散る景色を織り込んだ和歌の中でも大好きな一首です。 twitter.com/tarareba722/st…
2020-02-20 17:17:21白居易といえば清少納言先輩も超愛読していた漢詩人で、対句構成や韻の踏み方等、『枕草子』のなかでもかなり影響を受けている場所があるんですけど(たぶん「これ(白氏文集)超カッコよくない!?」と思ってたはず)、清少納言と白居易といえば、個人的に一番好きなのは「二月つごもり」の話です。
2019-02-18 13:46:33『枕草子』と清少納言について鑑賞の手かがりになるエピソード紹介や私見
少し時間があいたので、『枕草子』と清少納言について、いくつか鑑賞の手がかりとなる話(私見など)を呟いておきます。 ・『枕草子』序段、「春はあけぼの」から始まる約四百字の章段は、おそらく日本で一番有名な随筆です(国の認定中高「国語」教科書にはすべて掲載されています)
2020-02-16 17:34:27・『枕草子』の書き出しが(FGO内で宝具演出にもなっている)「春はあけぼの」から始まっているのは、執筆当時、西暦1000年頃の平安京の文学的常識が関係している、と私は考えています ・当時、春、夏、秋、冬、それぞれの記述から始まる文学作品といえば勅撰和歌集(古今和歌集と後撰集)でした
2020-02-16 17:35:56・勅撰和歌集とは、天皇の勅命を受けて編む「その御世」を象徴する和歌集です ・天皇とはもともと(国家元首というより)農耕を司り豊穣を祝う祭祀であり、この時空間を象徴する存在ですから、「季節」を祝うことは今上天皇を祝うことに繋がるわけですね(だから「元号」を変更したり制定できる)
2020-02-16 17:36:17・だからこそ『古今和歌集』も『後撰集』も冒頭は「春」の歌から始まり、四季を言祝ぐわけです(なお『後撰集』は清少納言の父・清原元輔(明るく快活な歌人だった)も選者のひとりでした。清少納言が『枕草子』で「家名が傷つくから和歌はあまり読みたくない」と語ったことはいろいろと象徴的ですね)
2020-02-16 17:38:22・しかし和歌集はひとりでは書けないし選べません ・そもそも政治的敗者であった定子後宮の文化を和歌集として遺すことは許されなかったでしょう ・それでも、清少納言は定子後宮の輝かしい日々を残すべきだと考えて、(たったひとりで)(当時まったく新しい表現形式である)『枕草子』を書いたのでは
2020-02-16 17:40:45・そう考えると、『枕草子』序段の各パート書き出しが、 ・「春はあけぼの」七音 ・「夏は夜」五音 ・「秋は夕暮れ」七音 ・「冬はつとめて」七音 と、七五調なのは、偶然だとはとても思えなくなるでしょう(そもそも日本語は七五調、五七調と大変相性がよく、頭に入ってきやすい)
2020-02-16 17:41:52・『枕草子』執筆の契機は、(清少納言がかつて、なんの気なしの雑談で「これがあればどんなに嫌なことがあっても生きてゆける」と語った)真っ白で上等な和紙を、大好きな上司・中宮定子から賜ったことがきっかけでした ・またそもそも「清少納言」という女房名は、中宮定子が付けた説があります
2020-02-16 17:43:06・憧れ続けた宮廷への出仕直後、田舎育ちの中流貴族で顔を上げることさえできなないほど自分を卑下していた清少納言を、優しく指導し、並み居る上級貴族と対等以上に渡り合えるよう後押ししてくれたのは定子でした ・「清少納言」という存在は、定子(後宮)が作ったと言っても過言ではありません
2020-02-16 17:43:44・清少納言にとっては、(11歳年下の、最高身分を持つ)定子こそが絶対的存在であり、唯一の主人であり、「自分の時空間を象徴する存在」であり、自分の才能を育て、やしない、「世界」とその価値を与えてくれた人だった、と言えるでしょう
2020-02-16 17:45:24・いっぽう史実では、藤原(中宮)定子は政治的な敗者でした ・一条天皇に嫁ぎ唯一の正妻として栄耀栄華を極めるものの、父(藤原道隆)が急死し、兄(伊周)は焦って政変に敗れ追放、母も亡くし、実家は家事で焼け落ちて、失意のなかで24歳で亡くなっています(これを「長徳の政変」と言います)
2020-02-16 17:47:05・政治史として見ると、清少納言が宮中に出仕した約7年間は、中宮定子たち中関白家が宮廷文化の最先端をひた走り、またその座から追い落とされ、(藤原道長という平安中期の最高権力者が生まれるのと引き換えに)急速に没落してゆく絶望の日々でした
2020-02-16 17:48:18・そしてそのいっぽうでまた、『枕草子』には、そうした中関白家の(定子や伊周の)不幸や不遇、それを追い詰めた道長への恨み言はほとんど書かれていません ・『枕草子』の中でだけは、定子はいつでも美しく、煌びやかで、賢く、やさしく、振る舞い続けています
2020-02-16 17:49:45・『枕草子』の序段、「春はあけぼの」から始まる一文を目にするたびに、わたしは千年前のひとりの天才作家が背負った壮大な覚悟と、仕掛けた演出と、戦った相手(それはおそらく定子の政敵ではなく、「運命」や「人々の忘却」ではないかなとおもいます)のことを考えて、すこしだけ胸が苦しくなります
2020-02-16 17:50:34・なお定子が亡くなった長保三年(西暦1001年)1月、もうひとりの天才、紫式部は同じ平安京で夫・藤原宣孝と幼い子とともに、この政変を静かに見ていたと言われています(諸説あり)。おそらくまだ、この年の5月にその夫が急逝し、自分が『源氏物語』を執筆することになるなど夢にも思わずに(了
2020-02-16 17:52:03以上もろもろ参考文献。 『枕草子解環一』萩谷朴著 『源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり』山本淳子著 amazon.co.jp/dp/4022599200 『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』山本淳子著(←超お薦め) amazon.co.jp/dp/4022630574/
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