細川家筆頭家老、松井康之・興長親子メモ
- k_kinoto_roman
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細川家や松井家のことで呟きすぎてて、情報が整理しきれなくなってきたためトゥギャッターの利用を開始する。
『細川幽斎伝』平湯 晃
読書記録より。
第一回朝鮮出兵があった頃、興秋は10歳くらい。 今、松井家の朝鮮における活躍と、康之嫡男の興之の死についてのあたりを読んでいたんだけど、ま…松井…(落涙)興之は15歳で元服したばかり、朝鮮での戦いが初陣となっていた。そうか…そうか…
2019-06-29 22:21:41やはり、秀次事件における三成治部、許さんぞ(過激派細川ファン)あとやっぱり松井がいないと細川家、関ヶ原より前に滅んでたな。絶対滅んでたな。3回くらい滅びチャレンジあったな。
2019-06-29 22:58:51二条の御所が完成し、御祝いの能が興行されて、信長はこの時小鼓を打った。藤孝の息子、与一郎(熊千代)は六歳ばかりであったが「猩々」を一番舞ったという。(『老人雑話』、『大日本史料』第十編)
2019-08-29 14:07:22足利将軍家と縁を切ったことを背景に、細川姓を名乗るのなんとなく気詰まりで、長岡に改名したって説が好き 幽斎……本当は義昭のことだって見捨てたくなかったんじゃ無いかな…やっぱ…生まれてこのかた骨の髄まで幕臣だったじゃん…
2019-08-30 19:18:27なんか、藤孝様、基本的に遊びすぎじゃない???(言い方)忠興が元服して、信長公から武勇を頼りにされ始めたのが目に見えてきてからは更に遊びまくってる姿が…なんかすごい感じられるんだけど…人生で何回連歌会やってるんだ???つうかそんな 毎月やるような感じなの???戦国とは??
2019-09-10 19:11:10なんか一人で平安時代みたいな遊び方してるな……って思ったら丹後攻めとかしてるんだよ……なんなの……あとまだ戦線近いのに囲碁の名人たちの囲碁打ち見て楽しんだりとか セレブか?
2019-09-10 19:12:21読めば読むほど、藤孝の手としていろんなところに赴いては武功を挙げて褒められまくってる松井康之。(藤孝は、忠興元服後やはり留守役に徹して公家衆と遊ぶか信長の相談役、というよりは中継ぎの役割だったと読める)康之の活躍について、信長からの書状で藤孝には「今以上に取り立ててやれ」、
2019-09-11 07:55:51忠興には「家臣の能力を見極めることが大事だ」みたいなことを書き綴っているようだ。忠興の「武」の部分は下地に藤孝の血があるとは言え、やはり実戦以降のあれやこれやは信長の薫陶があったのだな〜〜って良い解釈してる。
2019-09-11 07:57:31この本の解釈的に、光秀は吉田兼見などと示し合わせた上で本能寺の段取りを考えた説っぽい?兼見めちゃめちゃ動いとるやんけ(逆になんだか引きこもってる日がある)とか、日記が妙に抜けてる〜とか指摘をしてる。ついでに言うなら幽斎が愛宕山の連歌会に来てないことにも言及してる笑
2019-09-11 08:32:06つまり著者的には「なんらかの意図があって、いつものメンツで領地から近いとこで連歌会してんのに来なかった藤孝」を指摘してる。え、そんな風に書かれると、藤孝もなんらか光秀の動きを察してたみたいじゃん。また藤孝のこと信じられなくなっちゃう…()
2019-09-11 08:33:47大友と島津のアレコレに手を入れるための先兵として秀吉から九州行ってきてよ!てされた幽斎さま、の九州旅記録『幽斎道之記』、めちゃくちゃ普通に九州観光してて笑ってしまった…
2019-09-11 18:53:01船旅しつつ、関所見物、大社参詣、百韻、島周遊、参詣、豊前国門主付近周遊、参詣、博多見物、太宰府見物、姪浜、生松原見物、連歌会、香椎の浦見物、連歌ryyy
2019-09-11 18:57:19抜粋 幽斎の「九州道之記」からは、秀吉の九州平定の状況は知ることはできない。 そ、そりゃそうでしょうよ…素人が読んでも船旅して寺に泊まって連歌して参詣して歌読んで見物して歌読んで船乗って歌読んでしかしてないわ
2019-09-11 18:59:38この裏では秀吉が小倉城に入り島津の抵抗があり義久は龍伯と号して謹慎して新しい所領の配分があって朝鮮王国ほ来朝を求めて伴天連追放令があって右近が追放されてんのに何一つ書いてない旅日記
2019-09-11 19:02:17小田原北条征伐の時も似たような「東国陣道記」ってのがあるみたいなんだけど、どこそこを通った、歌を詠んだ、どこに泊まった、歌を詠んだ、泊まって月を待ったけど雨で見えなかった、歌を詠んだrryyy
2019-09-11 19:25:34病気になったから一足先に帰りますって秀吉に言って、帰るついでに足柄山行こ〜!とかしてるし(もちろん歌は詠んでるけど、病身が木曽山中を行けたのかは疑問で、もしかしたはまだ見ぬ土地を思った詠んだのかも、と)
2019-09-11 19:27:25この本、主に幽斎周りで交流のあった人々の日記や「細川家記」を基礎としながら日付を追って幽斎の動向、考えを推論してるんだけど、田辺籠城戦……まさか…そんな前からこの男には読めていたというのか……?!という論に愕然としてる。怖すぎる細川幽斎……
2019-09-12 08:39:09田辺籠城より前に、幽斎は智仁親王へ古今伝授を授けるために動いてたんだけど、まずそれをするに当たってわざわざ内府と豊臣方に許可を得ている。で、講義を始めて、あと一回か二回やれば終わるってところでなぜか空白期間を設けている。そうこうしてるうちに田辺籠城。因みに智仁親王は当時の後陽成
2019-09-12 08:45:45天皇の弟御にあたる。幽斎は「こういうことになってしまったものは仕方ない、親王への伝授はこれこれを以って完了にする」って手紙を出してて、内府、大阪、そして天皇家へ回るように手配してる。あとは幾度となく使者が来てってのは知られた通りだけど、つまり幽斎はわざと親王への伝授を止めておいて
2019-09-12 08:48:01