「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」まとめ

3月18日(水)16:30 - 18:00 「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」 □会場:B104 □出演:会田誠、有馬純寿、小沢剛、曽根裕、パルコ木下、松蔭浩之 (敬称略・50音順) □定員:なし(WEB配信のため) 続きを読む
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ひらま @qwertyu1357

有馬:いろんな人に出会ったあとに現代美術の世界に入った。だから僕と松蔭はちょっと早い。 BTに記事を書いたのが1990年。この頃はBTは狂っていた。この時代のBTにはコンプレッソプラスティコはよく出ていた。エイズ特集などをやって飛ばしていた。それが92年に変わった。

2020-03-18 17:06:54
ひらま @qwertyu1357

有馬:僕が40年会に関りはじめたのが99年。一番遅い。個別に何人かは面識があったけど、パルコとかはそれで知り合った。

2020-03-18 17:07:34
ひらま @qwertyu1357

うさぎが乱入してきた、、、 松蔭:ハッピバースデートゥーみーんさーん

2020-03-18 17:08:08
ひらま @qwertyu1357

西原:誕生日ケーキを頂きましたがこれは曽根裕さんの作品です。

2020-03-18 17:09:07
ひらま @qwertyu1357

松蔭:曽根君は脱会している。94年にテレビをジャックするという形で記者会見をやって、小沢くんのなすび画廊をビルにするというのを建築をやってたオスカールだった。1/40スケールにしたけどそれは曽根君も参加していた。その後外に出ていった。まずは高松市美術館。

2020-03-18 17:10:49
ひらま @qwertyu1357

松蔭:僕はギターの練習をするというパフォーマンスだった。会田君も外で絵を描いていた。その企画構成が曽根だった。電話一本で決めた。 パルコ:毛利の家に泊まったときに曽根の作品があった。 有馬:90年代初頭はパフォーマティブなものがフィーチャーされていた。

2020-03-18 17:11:48
ひらま @qwertyu1357

有馬:今はバンドなどはオープニングの賑やかしとして呼ばれたりするけど、パフォーマンスは少ない。印象に残っているのはたまたま誕生日が同じだった2月1日祭。マラリアアートショウというのもやった。とにかくお祭りをやっていた。

2020-03-18 17:13:06
八谷和彦 @hachiya

ここでやってます。 「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」 youtu.be/bN8fc_RFIjM @YouTubeより

2020-03-18 17:13:28
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ひらま @qwertyu1357

会田:2月1日も昭和40年もたまたまとか、良かれ悪かれまじめじゃなかった。今の若い人はシリアスじゃないといけない感じになってる。時代の変化を感じる。

2020-03-18 17:13:59
ひらま @qwertyu1357

有馬:雑誌の場合は一ヶ月かかる。今はリアルタイムでディスられるのでおかなびっくりになっているのではないか。 会田:ぴあであれスタジオ・ボイスであれ大マスコミとは違う。ミニコミ的雰囲気が我々の活動にはあった。 有馬:なすび新聞とか作ってたね。 松蔭:当時はFAXだったから。

2020-03-18 17:15:43
ひらま @qwertyu1357

パルコ:村上さんからアートゴシップのFAXが届いた。 西原:みんな金無いからFAXにすごいたくさん書き込む。

2020-03-18 17:16:26
ひらま @qwertyu1357

パルコ:あの頃は安い印刷所を見つけてそこでやっていた。

2020-03-18 17:16:54
ひらま @qwertyu1357

有馬:90年代初頭はMac持ってる人が少なかったから手で切り貼りしていた。 松蔭:印刷しても切り貼りして原稿を作っていた。40年会の最初の蛇がモチーフのものとかはイラストレーターで作ったけど。プリンターもあったけど全然画面通りに出なかったり大変だった。

2020-03-18 17:18:48
ひらま @qwertyu1357

松蔭:40年会のルールは、まず40年生まれ。有馬は学年が一個違う。曽根もそう。40年会に入ることによって、デメリットがあるとすれば、学年が上なのにタメ口をきかれるという事。途中から41年の3月生まれまでは入れるようにした。小泉今日子が41年生まれなの。入らないとは限らないじゃない。

2020-03-18 17:20:34
ひらま @qwertyu1357

会田:90年代前半はぱっとしなかった。松蔭君は早熟だとしたら、おれは小沢より2,3年遅れている感じ。いろんな理由があるけど、90年代初頭のレントゲン的な、もしくは村上、中村とか銀ブラート、あれは呼んでもらったけどおこぼれてきで、馴染めなかった。

2020-03-18 17:22:13
ひらま @qwertyu1357

会田:システム的にはいけたわけど、本質的には乗れなかった。馴染めなかった。今回のアート乞食も呼ばれてやったわけだけど、自分のサクセスには役立たない遠回りな事をやっていた。90年代あたりのグローバリズムがトランプやコロナで一回頭打ちになっている気がする。だからおれの時代なわけでもない

2020-03-18 17:23:33
ひらま @qwertyu1357

松蔭:コロナのせいで今回のトークは無人でやっている。配信になったことでマスに向けて話さないといけないのかなと思っている。

2020-03-18 17:24:32
ひらま @qwertyu1357

パルコ:今30代40代の作家でグループ作ってる人は多いが、日本の美術史の中でグループが出てくるけど、断片的なので若い人達にも知ってほしいと思っている。当時はパーティー感が強くて、展覧会とパーティーが一緒にあった。

2020-03-18 17:26:11
ひらま @qwertyu1357

有馬:単純にそれだけではなくて、パフォーマンスが表現と密接につながっていたのでオープニングこそやると。そういう感じがあった。

2020-03-18 17:26:47
ひらま @qwertyu1357

西原:80年代の後半メセナが盛んになっていろんな美術館がレセプションをやるようになって、そこでは酒が飲めてシンポジウムが会ったりっていう感じで、それを真似していたのが、だんだん馴染んできたという流れがあった。

2020-03-18 17:28:27
ひらま @qwertyu1357

会田:あと90年代の頃、60年代の名残があった。もの派、ミニマル、コンセプチュアル・アートのの名残が残っていた。僕らは篠原有司男さんみたいな人と会うと可愛がってもらえた。おられの一つ世代下の人のせいで冷や飯を食わされていたみたいな。

2020-03-18 17:29:47
ひらま @qwertyu1357

小沢:オープニングで難しい顔をしてしゃべって最後殴り合うみたいなのがいやだった。 松蔭:かっこよければ良かったよおれは。ファッションもそうだけど音楽が切り離せない。サンプリングが裁判沙汰になりながらも当たり前みたいなのがあった。

2020-03-18 17:30:56
ひらま @qwertyu1357

西原:何を聞いていたの? 小沢:たまとかヒカシューを聞いていた。あと幻の名盤同盟。

2020-03-18 17:31:51
ひらま @qwertyu1357

松蔭:八谷和彦君がミニストリーだけのDJをやりたいって言い出して、やったら爆音すぎてお客さんがいなくなっていく光景が面白かった。暴力温泉芸者も面白かった。

2020-03-18 17:33:37
ひらま @qwertyu1357

パルコ:僕は当時パリペキンレコーズにはまっていた。世界に3枚しかないレコードとかもあった。

2020-03-18 17:34:20
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