人類の脅威となる「エルフの遺物」をどれでも確保、収容、防護する財団、と戦う話(#えるどれ)
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前回の話
◆◆◆◆ エルフの女奴隷を受け継ぐ家系だったけど没落した話、略して #えるどれ 過去のまとめはこちら togetter.com/li/1479531 妖精を捕え奴隷にしていた影の国は地上から消え、鬼も竜も巨人もいなくなった。
2020-03-18 21:06:59魔法は失われ、科学が栄える時代になった。 人間の時代。蒸気機関車が汽笛を上げ、瓦斯(ガス)燈が道を照らし、剣と弓ではなく銃と砲が戦いの主役になった。 二百年続いた平和はとうに敗れ、戦乱に次ぐ戦乱の末、僅かな休息を挟んでまた戦乱が続く。革命と反動、独裁と共和が目まぐるしく交代した。
2020-03-18 21:11:57もはや人間を窘め、制してくれる年長の兄弟はいない。 すべての妖精は西の果ての至福の地へ渡っていった。善き神々に属する一切、光の種族とともに。彼岸と此岸を隔てる海は今度こそ完全に分かたれ、何ものも行き来はできなくなった。
2020-03-18 21:16:43だが至福の地と現世すなわち狭の大地との断絶が、確かに定まった頃になって、謎めいた父子が、文明と喧騒の巷に忽然とあらわれた。崩れた列石の輪を超えて。 千年紀を一跨ぎに越えて来たかの如き、遥か古の装束と香気をまとった旅人。まるで大昔の魔法とついさっきまで浴びていたようなたたずまい。
2020-03-18 21:25:51耳は失われた種族を思わせる尖り方だが、膚の色は気高い白ではなく、怪しげな黒。 父親の方は博徒で、過去の荒れた暮らしがたたり、すでに命脈尽きかけており、路傍に横死したが、まだ幼い息子の方は、さすらいの民と呼ばれる放浪する楽士や職人の一党に引き取られた。
2020-03-18 21:28:33車牽きと占い女が、みなしごの面倒をよく見たが、やがて不幸が襲った。 暗い膚をしたさすらいの民を嫌う、明るい肌をした西方人の結社「忠実なるもの」あるいは風鷲党が、銃や縄を手に押し寄せ、養い親にむごたらしい死をもたらしたのだ。
2020-03-18 21:32:52辛うじて惨劇を逃れた男児は、ふたたび天涯孤独の身となった。 ほかのさすらいの民は、生き残った子を凶運の印と疎んだが、かといって捨て置けもせず、よそへ押し付けようと決めた。暗い膚をしているが、町に定住する東方人のもとへ。
2020-03-18 21:35:43かくして、尖り耳に暗い膚の童は、渡瀬(わたらせ)の街にやられた。 さすらいの民は馬車から馬車へ荷物のように子供を受け渡し、国境を越え、紛争を迂回し、驚くほど僅かな日数で目的地へ届けた。気儘に江湖をさすらう楽士や職人がいざとなればどれぐらい素早く報せや品を運べるかの好例だった。
2020-03-18 21:41:00送り先は、死んだ占い女の親戚。さすらいの民から東方人へ嫁いだ女のところだった。五階建ての貸屋の四階にあるごく狭い住まいに姑と夫婦と子供六人所帯で暮らしていて、さらに食わせる口が増えるのにいい顔はしなかった。
2020-03-18 21:43:39「なんて名前だって?」 「ウィストだと」 「ゲラおばさんも妙な子を拾ってさ」 「子供を拾うのはさすらいの民の習いだ。死んだひとを悪く言うもんじゃない」 「それにしたって、耳が尖ってるなんてうすきみ悪い」 「引き取らないのか」 「引き取りますよ。仕方ない」
2020-03-18 21:45:31かくしてウィストの街暮らしが始まった。 察せられる通り、新たな養い親はあまり親切には扱わなかった。厄介ものはせめてこき使おうとしたのだが、ウィストは不器用で何をさせてもへまをするので、桶で皿を洗うのも、雑巾で床を拭くのも、安心して任せられない。
2020-03-18 21:49:00使い走りをさせれば迷子になり、ぎょっとするほど遠くで知らない大人に咎められて連れ戻されるありさま。 ウィストは毎度神妙に謝って縮こまったが、もし弁が立つ性質だったら言い分はあったろう。まず渡瀬の街はやたら大きくごみごみして、内壁に囲われた東方人居留区だけでも迷路のように複雑。
2020-03-18 21:52:23石と煉瓦作りの建物はどれも四階、五階建てで似たりよったり、地下室があるところも多く、思わぬところに下り階段があって、降りると大人なら肩をぶつけるような狭い隧道を通って別のところにつながる。
2020-03-18 21:54:58土地っ子でも時々間違えるほどだし、まして貰われてきたばかりの田舎育ちの男児には手に負えない。 「それに、下水があるんだぜ」 同居するようになった子供の一人が、ウィストを脅そうとして教えた。 「下水って解るか?うんこやしっこや洗濯の水を流すとこなんだ」
2020-03-18 21:56:39「ながさないよ。そのへんにべしゃーってすててるよ」 もう一人の子供、生意気盛りの年下の女の子が横から反駁する。 「大昔は流してたんだよ!お前だまってろ!いいか、下水は今はふさいじゃったけど、どこかにまだ入り口があるって。もしうっかり迷いこんだら…」
2020-03-18 22:00:09年上の子供が雰囲気たっぷりに語るのへ、聞いているウィストの方は両眼を皿のように丸くし、発育不良の矮躯をいっそう縮こまらせながら、家の中でも被っておくよう言われているぶかぶかの頭巾を手で押さえた。 「おい、耳ふさいだってだめだぞ」 「…もういい…」
2020-03-18 22:02:34「お前みたいないつも迷子になるとんまのために教えてやってるんだぞ」 年上の子供はウィストを何回か本気で蹴ってから、無理矢理聞かせる。 「いいか。下水に迷いこんだら食われるんだ」 「…えっ…なにに」 「えっ」 「えっ」 「…わにだよ!!」 「わに!?」
2020-03-18 22:03:51「鰐がお前を食うんだ。頭からばりばりな。かけらも残すもんか」 ぶかぶか頭巾はうつむいて震えあがった。 年上の子供は満足してにやついた。 「おい、きょうはしょんべん漏らすなよ。あと夜中にまたうんうん言ったらおいだすからな」
2020-03-18 22:05:49ウィストは鰐に食われるのは、焼かれたり吊られたり、体が穴だらけになったりするのとどっちが苦しいだろうかと考えたが、特に口にはしなかった。 夜中にうんうん言いたくなかったが、どうしても夢に見るのだ。最初の養い親だった車牽きと占い女に起きたできごとを。
2020-03-18 22:07:25見知らぬ大人達に馬車から馬車へ渡されてゆく間、ウィストはずっと、死んだゲラとヂップのことを考えていたが、なかなか涙は出なかった。どんなに痛かったか、怖かったか、苦しかったかを想像しようとして、できないと解って、ただ丸くなってじっとしているしかなかった。
2020-03-18 22:09:15今は少しほかのことも考えられるようになった。鰐のこととか。 また周りの言葉も尖り耳に入ってくるようになった。 しかしやはりつい時間があると燃える馬車の光景が頭に浮かんでくる。 ゲラの話してくれた物語の英雄だったら、仇討ちを考えたかもしれない。親友を卑劣な代官に殺された猟師のように。
2020-03-18 22:11:32邪悪な騎士に恋人を不具にされた糸紡の娘のように。 でもウィストはできなかった。養い親やほかのさすらいの民の命を奪い、ところどころに奇妙な鷲の印を見せつけるように残していった相手が何者なのかはうすぼんやりとしか解っていなかったが、知りたいとは思えなかった。怖かった。
2020-03-18 22:13:57物語の英雄のように犯人を突き止めて戦ったり罠にはめたりするなんて到底考え及びもしなかった。 ただ二度とあんなできごとが起きてほしくなかった。
2020-03-18 22:15:14ひょっとしたら、大人達がひそひそと話していたように、ウィストが原因なのかもしれなかった。凶運をもたらしたのは尖り耳の子供である自分のせいなのかもしれなかった。 占い女のゲラと車牽きのヂップは、不吉な子供に優しくしたばかりにむごい目にあったのかもしれない。
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