障害者と幸/不幸の問題について。
障害者と幸/不幸を考えるとそれは社会的には、自由の選択機会が制限されているということをどのようにとらえるか?という問題に帰着させることができる。しかしまた個人的幸/不幸は社会的な幸/不幸とは別に当人の判断することであると考える、このように少なくとも二つの側面があるから複雑な問題。
瀧岡 優 (Yu Takioka)
@ytakioka
RT @ynabe39: 「自分の幸不幸を自分で決めたい」という願望と「自分の幸不幸は自分で決めるものだ」という現実とは別のものだ。自分の願望を他人に押し付けるのはやめて欲しい。
2011-06-13 10:46:44
瀧岡 優 (Yu Takioka)
@ytakioka
障害者の幸/不幸を考えてみる前にいくつかの前提がある。(1)障害者Aと障害者Bが仮に同じ障害を患っていたとしても、両者の個人的な幸/不幸は独立であると考えられる。(2)しかし同時に社会的価値としての幸/不幸ということが考えられる。
2011-06-13 11:05:53
瀧岡 優 (Yu Takioka)
@ytakioka
(1)の幸/不幸は個人的なものであるから、幸/不幸は障害の有無にかかわらず個人的であるといえる。しかし(2)の幸不幸に関して言えば、障害者の場合、非障害者と比べて、幸福手段が限られるということは言える、これが乙武さんが言っていた”不便”かもしれない。
2011-06-13 11:08:36
瀧岡 優 (Yu Takioka)
@ytakioka
ここで、この”不便”=幸福選択の自由が制限されることを、それ自体非障害者に比べて不幸と定義するならば、たしかに障害者はこの点について不幸ということになるのだろう。しかし、選択の自由事態は制限されていても、その中でも実質的自由を最大化できれば非障害者と変わらず幸福といえるのかも。
2011-06-13 11:11:15
瀧岡 優 (Yu Takioka)
@ytakioka
私はこの”不便”事態を不遇と考えるから、やはり障害者には自由実現機会の差を埋め合わせするような政策が行われるのが好ましいと思う。もちろんこの考えは障害者だけでなくて重病者、性的など、多数者と比較して自由の権利を実現する機会が制限されているすべての個人に当てはまると考えられる。
2011-06-13 11:19:15