一木支隊の話 令和2年4月10日

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あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

一木支隊の話。支隊がなぜ敵の固い防御と正面からぶつかったのか。一木支隊長は歩兵学校勤務があり、昭和12年歩兵操典、昭和15年歩兵操典、作戦要務令等の編纂に携わっているであろうし、支那駐屯部隊の大隊長としての戦闘経験があり戦訓普及にもつとめていたはず。

2020-04-09 23:56:47
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

日本陸軍戦術のエキスパートであるとも考えられることから、日本陸軍戦術の根本である迂回包囲をなぜやろうとしなかったのか、という疑問が出てくる。支隊に与えられた作戦方針が、飛行場奪回もしくは飛行場使用の妨害とあるが、細かい具体的な方法については、不明である。

2020-04-10 00:05:09
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

このように、一木支隊長の攻撃方法をどう考えていたかについては資料がないため不明だが、日米双方の回想や部隊史の記述等により、大まかな推測が出来る。その1つとして、一木支隊の所持していた地図に関する件で、推測してみたい。

2020-04-10 00:12:31
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

一木支隊が与えられたガ島の地図は海図であったことはよく知られている。海図であるから、地上に関する情報は少なく海岸付近のものが分かる程度だった、と思われる。支隊長は渡された時、恐らく唖然としただろう。

2020-04-10 00:17:13
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

その海図に、海軍側から提供された情報を記入し、さらに自身の予想する敵の防御態勢を書き加えていたと思われる。ガ島上陸まで海図を見ていたという回想もある。その海図は、上陸後に斥候隊に持たせたていう。そしてその斥候隊は、米海兵隊パトロール隊の待ち伏せに遭い、壊滅する。

2020-04-10 00:22:07
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

斥候隊が壊滅した際、米海兵隊パトロール隊は戦死した日本兵の所持品等を押収、その中にガ島海図が含まれていた。米海兵隊はこの海図を見て驚愕する。海図に、米海兵隊の防御態勢が詳しく記入されていた、という。

2020-04-10 00:24:53
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

当時、ガ島には海軍警備隊が飛行場南側から西側に陣地を設けていた。その警備隊から沖合で警戒中の味方潜水艦を経由してラバウルの海軍司令部と連絡が取られていたが、通信は不安定であったと思われる。しかも、米海兵隊の圧迫により海軍警備隊は劣勢になりつつあった。

2020-04-10 00:28:23
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

このような状況から、ガ島地上防御態勢についての最新情報は、海軍警備隊だけでは不十分だったと思われる。また、海軍機による偵察も思うようにいかず、数少ない偵察による写真撮影の資料も参考にされたと思われるが、有用であったかどうかも不明である。

2020-04-10 00:31:27
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

このような状況で一木支隊長は、考えられる敵の防御態勢について、海図に記入していったと思われる。その海図を見て米海兵隊側が驚愕したと米側資料にある。つまり、一木支隊長の敵防御態勢については、ある程度予想通りだったのではないか、と思われる。

2020-04-10 00:34:07
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

米海兵隊側が押収した海図を見て、防御態勢の変更を行ったと考えられる。実は一木支隊がぶつかった米海兵隊の陣地状況が不十分で不安を感じていたと思われる記述が、米海兵隊側資料から感じられるのだ。

2020-04-10 00:38:12
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

以上のことから、一木支隊長の攻撃方法は、無謀な突撃ではなく、事前にある程度予想して導き出されたものだったのではないだろうか。

2020-04-10 00:39:48