改革?何それ?おいしいの?―改革によってグダグダになったフランスのケース―

だよもん氏による、電気料金値上げから始まった、改革の理想と現実のお話。
71
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

当然、次の戦争への備えを準備することなどできるはずがない。しかしフランスは勝ってしまった。クリミア戦争にもイタリア統一戦争にも勝利したのだ。だが、その勝利は将校と将軍の働きではなく兵士の犠牲の上に成り立っていた。管理補給業務は不手際だらけ、だが、彼らは慢心した。

2011-06-14 16:10:43
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

次の戦争に備える為の努力をしなかったわけではない。だが、その成果は乏しいものであった。兵力整備でも問題があった。当時のフランスの徴兵制はくじで行われており、極少数の運の悪い人間しか徴兵されることはなかった。徴兵されたとしても多くのものは駐屯地にすら入らず、そのまま予備役になった。

2011-06-14 16:14:37
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

運悪く籤に直撃してしまっても徴兵を逃れる方法があった。「代人制」である。つまり変わりに徴兵に応じるものを準備できれば徴兵されずに済む。というものである。法律自体にも大きな徴兵避けの抜け道が作られていた。つまり、実質的には学も財産もない貧乏人だけが徴兵されることになった。

2011-06-14 16:17:40
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

金持ち、または上級階層の青年たちはほとんど徴兵されなかった。それどころか彼らは徴兵に応じた入営者を馬鹿にすらした。徴兵に応じた貧乏人たちは7年の勤務を要求される。そして、7年も軍隊にいたならばもはや市民生活に戻る道をあきらめて軍隊に再志願するしか道はなくなっていた。

2011-06-14 16:19:46
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

ベトナム戦争でも見た光景だなとか禁句な! 「あの戦いは無駄だ。世界はLove and peace」安全なところにいた餓鬼が、俺ーにそう歌う~。とかも禁句な! http://t.co/FPaJOV7

2011-06-14 16:26:02
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

安全なところに居る人間がそれまでがんばってきて、今もまた危険なところで義務を果たそうとしている連中を馬鹿にする光景は世界のどこにでもあるようです。どこかにあるということは、ここでも発生するということです。

2011-06-14 16:29:04
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

しかし、人口に対していくらなんでも軍隊の数が少ない。ということで政府が軍隊を拡大しようと考えたが、市民からの反発とそもそも軍自体からして「まともに訓練も受けていない予備役がなんの役に立つ」という考えだった。市民は軍が力を持つことも、息子を軍に採られることもいやだった。

2011-06-14 16:32:32
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

当時のフランスには次のような考えが蔓延していたことも一つの原因である。「悪である戦争は排撃しなければならず、世界平和の到来もそう遠い未来ではない」と考える楽観的な平和運動家の力も馬鹿にはできない状況だった。(そもそも植民地には弾圧加えておいて世界平和というのもあれだが

2011-06-14 16:36:06
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

@chrometzahal  つ M.Howard ed ; the theory and practice war (1965)p13

2011-06-14 16:42:29
ambitious #No @_dj_ambitious

現代の自衛隊に置き換えても違和感なし@chrometzahal @v2yppq9sqy

2011-06-14 16:42:12
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

それでもフランス軍は次の戦争に備えるべく動いていた。先の戦でフランスに勝利したドイツに学ぼうとしたのである。

2011-06-14 16:38:52
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

1875年歩兵操典が改定。普仏戦争の経験とドイツ兵学の導入によりフランス軍は火力主義を選んだ。操典は敵火力の下での運動について重大な注意を与えている。1号~7号(1886年)までの防衛計画は防勢に立つことが基本方針だった。だが、敗北から時間がたつにつれ当時を忘れた将校が増え始める

2011-06-14 16:49:25
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

そうなると次におきるのは一つである。「自分のエゴを満足させる方向」に戦史や研究本を解釈し始めるのである。フランス軍にもそれは発生した。

2011-06-14 16:51:04
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

1880年代のフランス軍はドイツ軍もドイツ軍事思想も評価していなかった。 フランスが負けたのは一般徴兵制という制度とそれがもたらす兵数差で負けたと認識した。ドイツ参謀本部は非人間的な官僚組織であり、モルトケは偉大な軍人ではなく、その頂点に居る単なる技術者に過ぎなかった。

2011-06-14 16:53:37
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

だが1880年代後半からその空気が変わった「クラウセヴィッツの発見」とこれに触発されたナポレオン・ルネッサンスの到来である。フランスの軍人達は翻訳されたブルーメの戦略論やゴルツの国民皆兵論によりドイツの軍事思想を伺うことになる。そしてこれらの著作の引用からクラウセヴィッツと出会う

2011-06-14 17:00:37
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

彼らはドイツの勝利の源泉はクラウセヴィッツにあったのだと信じた。戦争論のフランス語訳は1886年。これを読んだ将校たちはクラスセビッツはナポレオン戦争を体系化したと考えた。フランス軍のジュベールはクラウセヴィッツがナポレオン戦争の極意を得、その弟子がモルトケであると考えた。

2011-06-14 17:06:33
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

ジュベールは戦争論をこう解釈した『「敵主力を殲滅する」と言うただ一つの目的にすべてを従属させる必要がある』 このクラウセヴィッツの発見はフランス軍に大きな慰めと励ましを与えた。ドイツの勝利は彼らが優れていたのではなくフランスが閉却していたナポレオンの用兵を彼らが真似だけだったのだ

2011-06-14 17:11:21
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

学ぶべきはドイツ軍ではなく、自国の歴史にこそある。こう考えたフランス軍はナポレオン戦史の研究に熱中した。そして、彼らはナポレオン戦史の解釈としてクラウセヴィッツの理解が不十分で幼稚な場面がある事に気がついた。彼らはクラウセヴィッツに学びながらクラウセヴィッツを批判し始めた。

2011-06-14 17:16:51
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

フランス軍は自分達のドイツ軍事思想の理解に疑問を持とうとはしなかった。そして過去の防勢に立つという時刻の防衛計画を批判し始めた。防御のような兵隊を軟弱にする戦術ではなく、攻勢という国民的伝統に回帰すべきだと考えた。

2011-06-14 17:27:45
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

フランス軍は攻勢に回帰した。操典には「損害に考慮することなく頭を挙げて決定的勝利を得る為に攻撃せよ」と乗せた。そして、都合の良いクラウセヴィッツの解釈と露土戦争の英雄の発言を引用して勝利の源泉は『精神力』にあるとした。

2011-06-14 17:31:35
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

露土戦争戦争では火力でトルコ軍に撃退し続けた経験から火力主義を唱えるロシアの将校もいたが、こちらの意見は引用されなかった。それどころか攻勢の継続を怠ったロシア軍への批判と、火力戦でロシア軍を撃退し続けたトルコ軍を受動的であると批判した。

2011-06-14 17:34:06
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

戦史から教義を学ぶのではなく教義で戦史を判断した。一応は1895年には攻勢と防勢のバランスの取れた教義に改正することができた。さらにはロシアと同盟を結ぶことにも成功し単独でドイツと戦う危機は去ったと考えた。もはや兵力の不足は心配する必要はない。改革案は出されたが次々と先送りされた

2011-06-14 17:37:39
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

とりあえずはここまでにする。 あとはドレフェス事件とその後に続くアンドレによる粛清レベルの改革という更なる悲劇がフランス軍を襲うことになるが、それはまたの機会に。

2011-06-14 17:42:52