【横山光輝「三国志」講座267「死場所」】

横山光輝「三国志」を一話ずつ解説してみようというコーナー。第267話「死場所」の巻。 ※解説はbotさんの個人的見解です。 ※今回の話は、大判・横山光輝「三国志」第14巻に収録されています。
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横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座267「死場所」01】 第267話です。樊城救援軍をめぐる攻防が続きます。 関羽は于禁による布陣の変更を聞くや、直ちに船や筏を作らせはじめます。山間なので材料には事欠かない様子。しかし、陸戦をするのになぜ船や筏を作るのか意図がわからないと、関平は関羽に尋ねます。

2020-04-24 13:47:25
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」02】 陸戦、という言葉を聞いて、関平を若いのう、と言いつつ、今にわかるから言われた通りの作業を進めるように言います。関平ほどの男がわからないのだから、魏軍も意図がわからないだろうと読んだか、わからないことを叱り飛ばすことはしません。

2020-04-24 13:50:08
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」03】 関羽は樊城を取り囲んだまま、それきり動こうともしませんでした。 そして秋八月の候となります。八月と聞くと夏真っ盛りな感じがしますが、ここでは秋が始まっています。日本とは季節感が違うんでしょうね。

2020-04-24 13:52:32
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」04】 その頃から連日雨が降り始めました。襄江の水は一夜ごとに水かさを増し始めます。白河の濁流も溢れ出し、緒川が一つになり、四方の陸を沈め始めます。 こうなると、樊城北十里の谷間や河川のほとりに布陣していた魏軍は高い所へ陣を移動せざるを得ません。

2020-04-24 13:55:07
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」05】 高い所へ高い所へと移動する魏軍。しかし、この様子を見ていた関羽と関平は、魏軍がこれ以上高い所へは登れない地点まで来ていることを確認します。背後の山が険しすぎるからです。関羽はこの状況になるのを待っていたのです。

2020-04-24 13:56:54
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」06】 もういいだろう、と上流の一川に作らせた堰を切って押し流すように支持します。関平はここで関羽の意図を理解するのです。 一方、魏軍の方は、于禁の側近が襄江の水がこれ以上増水することを心配していました。

2020-04-24 13:58:59
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」07】 于禁は、いくら雨が降ったからところで、襄江の流れがこの山を浸した歴史はないと、いらぬ心配をするなと言います。しかし、関羽軍は船や筏を作って陣を高地に移している様子。これは何か考えがあってのことかもしれぬ、と部下は言います。

2020-04-24 14:00:53
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」08】 于禁はもう良い、と意見具申を制止。将たるものが目に見えぬ危険におびえていては兵の士気にかかわるのがわからぬか、と叱責までする始末。後で名前呼ばれますが、この部下は成何(せいか)です。于禁の陣幕から退出した成何は龐徳に相談することにします。

2020-04-24 14:03:54
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」09】 山の後方に陣取っている龐徳は成何を迎えます。成何はかくかくしかじかと于禁に意見が通らなかったことを説明します。龐徳も関羽軍の動きはおかしいと考えていた様子です。陣を移すだけでなく、船や筏を用意しているのは変だど。

2020-04-24 14:06:28
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」10】 しかし、于禁は総大将という自負心が強いので、自分達の意見は取り入れまいと龐徳は言います。いやな予感をぬぐえない成何に、ならば明日自分たちは思い思いの場所に陣を移そうと言います。軍命に背くことになりますが、これ以上水かさが増したら水没必至。

2020-04-24 14:09:01
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」11】 ここで成何がむむむ。龐徳はとっくに腹をくくっていますが、成何に今夜は酒でも飲もうと酒盛りを始めます。 一方、関羽軍。関羽は魏軍が布陣を変えたと聞いた時から数百の兵士と数千の土民を使って一川の上流に大きな堰を作っていました。

2020-04-24 14:11:17
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」12】 連日の雨で堰に水は溢れんばかりにたまっています。堰を開けるのは4人の人夫による大掛かりな器械で堰が開けられますが、水の勢いが強すぎて、あっという間に堰が壊されます。この勢いのまま暴れる濁流。ゴゴゴという地響きが魏軍の陣にも聞こえてきます。

2020-04-24 14:18:17
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」13】 魏軍兵が洪水に気づいたときはすでに手遅れ。慌てて逃げ出そうとしますが、避難すべき高台がない状態に、兵士たちが濁流になすすべもなく飲み込まれます。 一瞬にして魏軍の精鋭七軍を溺れさせてしまいました。

2020-04-24 14:20:01
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」14】 雨があがり、船に乗って魏軍の陣に向かう関羽。筏にすがり、船を求める者は降った者と思って助けよ、まだ歯向かう者だけ相手にせよ、と命じます。流れた木にしがみついていた魏軍兵は口々に助けてくれと叫んでいましたが、こうした兵士は拾われます。

2020-04-24 14:22:34
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」15】 ほぼ壊滅状態と思われる魏軍でしたが、まだ陣の形を保っている場所がありました。龐徳のです。関羽は、行って捕らえてこいと命じる関羽。龐徳にはもはや何も出来ぬと降伏を勧めます。しかし、龐徳は最後の一兵まで戦う覚悟だと返します。

2020-04-24 14:24:19
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」16】 無駄な戦いとわかっても、一度は敗れ降ったのにもかかわらず自分を迎えてくれた曹操への恩に応えるという龐徳。主君への恩義という点では関羽も気持ちがわかる、と言い、望み通り最後の決着をつけんと攻撃を開始します。龐徳も最後の一兵まで戦え、と鼓舞。

2020-04-24 14:26:51
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」17】 双方激しい矢の応酬がありますが、数で勝るのは関羽軍。上陸して龐徳の陣を目指します。龐徳は岩を持ち上げ兵士に投げつけますが、関羽軍が放った矢が胸に当たり倒れます。やった、と関羽軍の兵士が龐徳の死を確認しようと駆け上がります。起きる龐徳。

2020-04-24 14:29:39
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」18】 しかし、ムクッと起き上がった龐徳。驚く関羽軍の兵士たち。こんなひょろひょろ矢に当たって命を落とす龐徳と思ったか、と槍を振り回します。味方の被害が大きいですが、矢も入れません。龐徳はものすごい奮闘を見せ、なんと関羽軍の船に乗り込みます。

2020-04-24 14:31:56
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」19】 龐徳はこの船で逃げるのか、いやいや、関羽を目指して一騎討ちを申し込むのか、船を漕ぎ出しますが、ここに現れたのが周倉です。周倉の船は龐徳が乗っている船に体当たり。思わず濁流に落ちてしまった龐徳。蜀軍随一の水練達者周倉が川に飛び込みます。

2020-04-24 14:34:06
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」20】 周倉と龐徳、この両雄は濁流の中で死闘を尽くしますが、水の中では周倉に分があります。ついに龐徳は周倉に生け捕られました。龐徳が捕らえられたことで、魏軍の組織的な抵抗は終了となります。

2020-04-24 14:36:18
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」21】 総大将である于禁も捕らえられていました。ここで于禁の評価が落ちる光景が。命だけは、命だけはお助けくだされ、と必死に助命嘆願をする于禁。関羽は、部下まで潔く戦って死んだというのに、それが総大将の言葉か、と見下します。

2020-04-24 14:38:40
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」22】 ここで于禁が、自分はどうなってもいいから生き残った部下は助けてほしい、とでも言えばまだ評価は落ちなかったのでしょうが、このあとの龐徳とのやりとりとの対比もあるので、あえて于禁は卑屈な役割に。このへん于禁ファンには納得いかないでしょうけど。

2020-04-24 14:40:50
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」23】 関羽は、犬ころを斬ってもしかたがない、荊州に送って獄に入れてやる、と連行するように言います。こうして晩節を汚したと言われる于禁は退場します。 そして、次、と関羽が言うと龐徳が連れてこられます。

2020-04-24 14:46:16
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」24】 関羽は、立派に戦った龐徳に対し、玄徳に仕えないか、と持ちかけます。しかし、龐徳は逆に、関羽が自分と同じ立場なら魏王に仕えるのかと尋ねます。関羽もかつて曹操の世話になっている時に玄徳が生きていると知って千里の道と関所を突破したではないかと。

2020-04-24 14:48:58
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【横山光輝「三国志」講座267「死場所」25】 自分はもはや曹操以外に仕える気はない、放てば再び蜀の敵となるであろう、という言葉に、関羽も龐徳の真意を汲み取ります。自分も同じ状況なら死を選ぶであろうと、龐徳の首は自分の手で…、といいます。

2020-04-24 14:50:45